・ドイツで美術商をする真木の元に突如舞い込んだ木枯らし娘の話
・軽いギャグ
・最後は※原作※通り
・なんでもいける人向け


「弟子入りさせてください!!」
「急に訪ねてきて、何を」
「私、マキさんの目利きの素晴らしさに惚れたんです!ほらこの間マキさんうちの店に来たでしょう、骨董品を見に!その時、」
「帰ってください」
「帰りません!父親に認められる美術商になるまで家には帰らないって決めたんです!」
「貴女の事情なんて知りません」
「仕事の邪魔は決してしません!家事もそこそこならできます!あっ寝るとこもこの床とか」
「勝手に入ってこないでもらえますか」

木枯らしが吹く秋口、彼女は栗色の癖っ毛の髪を無造作に束ね、リスのような眼を爛々と輝かせて真木克彦--三好の家に、唐突に乗り込んで来たのだった。まるで三好が彼女を受け入れるのが正当、世の理というように。三好は多少手荒に外に放り出したが、「弟子入りさせてくれるまで私何時間でも何日でも待ちます!」とドアの前で3時間粘られては三好も打つ手がない。外で死なれたり強姦されたりしても困るので、街が闇に包まれる頃、三好は渋々彼女を引き入れたのだった。

そこから三好と彼女のなんとも言い難い同居が始まった。彼女の父親は、三好がよく訪れる骨董品店の店主で、「1人娘が独身の男の家に住むのは不味かろう」と一度遠まわしの文句をつけたけれど、「マキさんなら安心だ、手がつけられない娘ですが色々教えてやってください、なに意欲は人一倍あるんだ」と言われてしまったのだった。これならば真木克彦の信用度(この場合女関連に限る)を下げるような事をしていれば良かった、と三好は心内で舌打ちをした。あまり拒絶しすぎると、逆に怪しまれてしまうので、ならばとっとと一人前の美術商に仕立て上げて追い出すのが良いと三好は考えた。

「マキさん、マキさん来週はどこへ行くのでしたっけ?」
「また付いてくるんですか」
「当たり前ですよ!今回のは連れて行ってくれなかったじゃないですか。それになんたって私はマキさんの一番弟子ですから!」
「認めたつもりはありませんけどね」

旅先から帰ってきて三好が荷物の整理をしていると、寝室の扉をノックなしで入ってきて彼女は三好の周りをうろちょろした。男手一つで育ったせいか、年頃の娘にしては異性に対して抵抗がない。というより、男を異性として見ていない節があった。もう少し相応の格好と化粧をすれば、(性格は置いといて)見栄えは良くなるものを。彼女が興味を示すのは専ら美術品ばかりで、前回一緒に連れ立った時はギリシャの石膏像を見た途端「まるで本物のよう!」と手袋をはめた手で石膏像の胸板をひたすら撫で回したものだから、周りにいた男たちは皆揃って苦笑いをした。

最初はどうなるかと思ったが、案外彼女との共同生活は悪くないものだった。なんせ、彼女の存在があまりにも目立ちに目立ちすぎるだ。お陰で近所の者から真木克彦という人物の印象は薄くなっていった。仕事でも彼女を連れて行くと、必ず彼女が出しゃ張るので、相手にとっては、おてんば娘が取引相手で、三好はお付きの男程度のように見えるようだった。美術商の仕事は少々やり辛かったが、それで良い。スパイは目立つべきものではない。なんせ同盟を結んでいる、一応味方の国に潜伏しているのだから、尚更だ。

「マキさんってよくよく見ると、とても綺麗な顔立ちをしていますよね」
「そんな事はないと思いますけど、普通ですよ」
「父も他の人もおんなじ事を言うんです。なんでだろう、こんなに美しい形や彫りをしているのに。私も最初は別段何も思わなかったんだよなあ」

そう言いながら彼女がずずいと三好に近づいてきたので、三好は軽く、その顔を押しやった。それでも諦めずに顔を寄せてくるので、その広く滑らかな額をパシンと平手で叩くと、悔しそうな顔をしながらやっと観念したのだった。

"娘の結婚式に来て欲しい"

2人が最近懇意にしている美術関連の人間からそうお呼ばれがあった。その頃本職もいよいよ大詰めを迎えていたので、適当に理由をつけて断ろうと思っていたのに、彼女が「行きます!」と返事をしてしまったものだから、三好は結婚式用のスーツを新調する羽目になった。

「そもそも結婚式に着ていけるようなドレスを持っているんですか」
「はい!母が昔着ていたものを手直しすれば!明後日実家から取ってきます!」

そのまま実家に永遠に帰ってくれても構いませんよ、という三好の言葉は完膚なきまでに無視された。2日後、彼女が実家から持って帰ってきたものは、予想通りひと昔前のもので、手を加える必要がいくらかあった。冒頭に彼女が「家事もそこそこならできます」と述べたが、本当にそこそこであったので、つまり裁縫に関してもそういう事である。ドレスの手直しが終わる頃には、お互いヘトヘトに疲れ切っていた。

「ちゃんとしたものを着ればそれなりにはなるものだ」

結婚式当日、女らしい格好や化粧をきちんとした彼女は、三好の思った通り綺麗な町娘に姿を変えた。とりわけ美人というわけではない。その辺の娘よりは、というくらいである。それでも彼女の持ち前の愛嬌もあってか、どう見てもそういった下心を持った男から沢山の声がかかった。彼女の興味は「この皿はかなり年代物ですね」「あ!この絵画はもしかして」「新婦のドレス、なんて綺麗なんだろう」と美術品等に一直線で、男たちは彼女の美術トークに付き合わされるばかりだった。

「楽しんでるようですね」
「ええ!もちろん。幸せそうな人たちに囲まれて美術品も喜んでいるように見えます」
「そうですか」

あまり酒は飲まない彼女も、こういう場であるので、ある程度飲んだらしい。顔や胸元が赤く染まっていた。

「もう私も必要ないようですね」
「そんな!まさか!」
「貴女は十分立派な美術商としてやっていけますよ」
「いえ、私なんかまだまだですよ」
「私に教えられる事はもうありません」

どうしてそんな事を言うのかしら、という目で、彼女は三好の事を見つめた。その瞳は酒のせいで潤んでいた。三好は彼女の方を見ずに、自分が持っているグラスのふちを撫でながら話を切り出した。

「イタリアに、腕の良い美術商がいます。どうやら一緒について回ってくれる人を探しているようで、私に声がかかりましたが、私としては是非貴女に行ってもらいたい」
「マキさんにお声がかかったのだから」
「あの人には貴女の方がお似合いだ。貴女の事を話したらとても気に入ったようだったので、貴女さえ良ければすぐにでも、と」
「でも」
「沢山の美術品を見て回りたいとあんなに仰っていたのは嘘ですか」

三好の切れ長の目が彼女に向けられ、いささか酔っていた彼女は、その艶かしい様子にどきりとした。彼は、こんなにも扇情的な瞳をしていただろうか。

「嘘、ではありません」
「では、行くべきです。それに、貴女は私の弟子なのでしょう。師匠の言う事は聞くものですよ」
「……!そうですね!」

三好は今まで一度として彼女の事を弟子だと認めた事がなかった。彼に認められた!と舞い上がった彼女は、大きく頷いて、三好の右手を両手で握った。

「私、頑張ります!!」
「はい、頑張ってください」

勢いよく上を向いたせいか、彼女は強い眩暈を感じて、そのままヘナヘナとその場に座り込んでしまった。思ったより酒が回っていたらしかった。意識の彼方で「本当に、馬鹿なお人だ」と彼の笑う声と、額に柔らかいものが押し付けられた気がしたのだった。

出立はあれよあれよという間に決まり、彼女は元気よくイタリアに旅立って行ってしまった。「立派な美術商になったら会いに行きます!」と涙ながらに手を振った彼女を見送った後、三好はさて仕事も終わりに近いと、人ひとり減った部屋で本来の仕事に精を出した。彼女は恐らく2年は帰ってこない。帰ってくる頃にはここはすっかり空き家で、真木克彦という人間の行方も知れぬだろう。彼女の甲高い声が聞こえなくなった事に、少しの寂寥を感じている自分に気付き、三好は鼻を鳴らして笑ったのだった。


「マキさん、ここにいたのですね」

数年前の列車事故で亡くなった身寄りのない人が埋葬されている墓の前に佇む女がひとり。彼女は彫られている名前をなぞりながら、持っていた花を手向けた。彼女はつい先日この地に帰ってきたばかりだった。

真木克彦が列車事故で死んだという報せを受けた時、彼女は日本にいた。ここが真木が生まれ育った場所なのだと胸躍る最中での出来事だった。すぐにでも飛んで帰りたい気持ちだったけれど、せっかく真木がくれた縁なのだ。真木には立派な美術商になって帰ってくる事を約束していた。こんな半端な状態で帰っては死んだ真木に呆れ笑いをされるだろうと、彼女は悲しい気持ちをぐっと堪えて美術の勉強により一層励んだ。

帰ってきて、死んだ真木の事をドイツ軍が調べ尽くしていた事を知った。一緒に住んでいた娘は今どこに居ると父は再三尋ねられたらしい。ドイツ軍はどうやら彼の事を日本のスパイと疑っているようだったと父は悲しそうな顔で彼女に言った。「でもお前が遠い国に居てくれて助かったよ。軍は何をするか分からないから」

彼は、自分の死期を悟って、彼女を外に追いやったのだろうか。それとも本当にスパイで、彼女がいない内に姿を消すつもりで?いや、そんな事はない。すべては机上の空論であり、すべては偶然に違いない。そう思うのだけれど、なぜか腑に落ちない点があった。

「今思えば、マキさんが私の事を弟子だと認めてくれたのは、後にも先にもあの時だけでした。私、本当に嬉しかったんですよ、マキさんが弟子だって言ってくれて」

目を瞑ると、あの時の彼の顔を彼女はまだよく思い出す事が出来た。

「マキさん、あなたは死んでしまったけれど、マキさんが教えてくれた事はぜんぶぜんぶ私が覚えています。これはなくなったりなんかしません、絶対に。だから、」

だから、どうか安らかに眠ってください。

額を墓碑につけると同時に彼女の頬に涙が一筋の線を作った。

ああ、そういえば、あの時額に感じたものは、彼の唇じゃなかったかしら、と彼女はひとり今更ながら思うのだった。

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