手にしたグラスの中の琥珀色の液体の中から気泡が沸き上がってははじける。
その中にきらめくシャンデリアの明かりが写し込まれて、きらきらと一つの宝石のようにガラスの中が輝いた。
決して誰が声を荒らげること無く言葉を交わしたとしてそれが無数に集まればそこそこの音量になる。
グラスを一つ持って、テーブルの横に立った、礼服の男はそのざわめきがあまり好きではなかった。くるり、と回す必要のないグラスを一度回して、少しだけ口をつける。このままでは飲み過ぎてしまうかもしれないから次からはノンアルコールのものをもらおうか、と男は考えた。
「楽しんでいるかしら?」
かけられたその声が自分に向けられたものだと気づくために、少し、時間がかかった。
「…失礼、楽しんでいますよ。シーモアさん」
笑みを作って振り返る。その先にシャンデリアに負けない豪奢な輝きを纏った体格の良い女性(本人が申告しているためにこう記するべきだろう)がいた。
「それは良かったわ」
社交的に微笑む彼女はネイサン・シーモア、ヘリオスエナジーの社長であり、この建物の落成パーティーの主催である。彼女はその肌の色によく似合うラメの入った白い口紅をさした唇に、綺麗に爪塗りの施された指を当てた。指先までの動作が彼女の魅力の一部だった。
「まさかこんなところでお会いできるとは思わなかったわ」
ネイサンは首を傾げる。それに男、ウィリアム・ギルバートは苦笑いを返して、自分もです、と言った。
「先日はキースがお世話になりました」
ビルがそっと頭を下げる。ネイサンは良いのよ、とクスクスっと笑った。
「見返りを求めるわけじゃないのだけれど、ひとつお願いを聞いていただけるかしら?」
ヘリオスエナジーの遣手の社長は隙のない微笑を浮かべながらいたずらっぽくウィンクをした。そのお願いの内容を考えて、ビルは慎重に曖昧な返事を返す。安請け合いは出来ない。そのビルの内心を慮ってか、ネイサンは大したことじゃないし、私的なお願いなの、と言った。
私的な、というのは、と思いながらビルはネイサンの身振りに誘導されるままに、視線を滑らせた。
彼女の大柄な(一般的な女性と比較すると些か大きいので、失礼を承知でこう表記する)身体の後ろから少女が現れた。
少し周囲を気にして顔をふせている少女は、綺麗に着飾っていたが社交界では初心者、という雰囲気だった。白い肌にピンクの頬、髪の毛は栗毛色。愛らしい顔つきをしているが少しだけ目元が生意気そうなところがアクセントになって、非常に魅力的な少女だったが、周囲の空気に押されて少し萎縮していた。
この、場慣れした遣手社長のとなりでは仕方のないことかもしれない、と思いながらビルはなんとなく自分がお願いされようとしていることを悟った。
「この子、少し緊張しちゃってるみたいで……。よろしかったらお相手してくださらないかしら?」
ほら、しゃんとしなさい、とネイサンは少女の背中を叩いて、彼女にだけ聞こえるように何事か耳元に囁いた。
「……カリーナ、カリーナ・ライルです」
「カリーナ嬢、ですね。自分はウィリアム・ギルバートと言います」
ビルは精一杯誠実に見えるように微笑んで手を差し伸べた。おずおずと手を差し出したカリーナが握り返すのを待ってから握手をする。
指先は綺麗だが、作法といい、上流階級のそれではない。どういう理由でネイサンが彼女を連れているのかわからなかったが、ビルはそれを聞くような真似はしない。
その間に、ネイサンは他の誰かに話しかけられ、別のグループの話の輪に入っている。これでは隣に付いている彼女は落ち着かなかっただろう、と思いながらビルはそのネイサンの姿を目で追っているカリーナに話しかけた。
「……彼女はとてもエネルギッシュだね」
「あ、そ、そうね、じゃなくて、そうですね、」
「くだけた言い方でいいよ。楽な方で」
「ありがとうございます」
少し身体のかたい彼女の緊張をほぐす方法は何かないかと考えながら、ビルは思考する。
「あの、ギルバートさんは、お仕事はいいんですか?」
カリーナがおずおずと切り出す。彼女に話題を選ばせてしまうのは折角ネイサンに任せてもらったのに、役に立てていないな、と思いながらビルはそれに答える。
「今日はただの代理だからいいんだ。出席することに意味がある」
「そんなものなんですか」
「今回はね」
少しほっとした様子のカリーナは、ビルの邪魔をしていないかを気にしていたようだった。
いい子だな、と思いながらビルは少し屈んで彼女の顔を覗き込む。
「カリーナ嬢、喉はかわかないかい?」
「すこし」
その返事を聞いてビルは給仕を呼び止めてノンアルコールのカクテルを2つもらって、飲みかけのシャンパンを下げてもらう。
そのうちの一つをカリーナに差し出して、あまり、酒に強くないんだ、と言って首を竦めてみせた。
赤からオレンジへのグラデーションが綺麗なグラスには綺麗な花が飾られている。女性向けのアレンジのようだったが、それを気にせずビルはそれに口をつけた。
オレンジと、カシスの香りがする。
それを見ながらカクテルに口をつけたカリーナが美味しい、とつぶやいた。
はにかんだような笑顔が可愛らしい、とビルは思った。

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