ジョンに起こしに行かせてもキースが起きてこないことを訝しんだウィリアムは、そっとキースの寝室の扉を開けた。プライベートスペースにあたるその部屋には鍵が付いているのだが、キースはその鍵を使っていない。
寝起きがあまりいいとは言えないキースをウィリアムが起こしに行くからでもあったが、それ以前にキースは人を疑うこと言うことをしらない人間だった。

はじめて彼にあった時のウィリアムに取ってはそれは驚きの事実であった。ウィリアムは人を信じるということを滅多にしない人間だったから。

実際、ウィリアムは彼に合わせるように部屋の鍵は使わないが、引き出しなんかには鍵を掛けている。
それは、自分に秘密を作らないキースに対する罪悪感を伴うものだったが、実際彼に秘密ばかり作っている自分なのだから、とウィリアムは開き直っていた。

暗い室内に目がなれた所で、ウィリアムはキースの顔を覗き込んだ。
些か苦しそうな呼吸に、火照った頬。

額にかかった金髪をそっとのける。
金の中でもとびっきりに甘い色をしている髪の毛は見た目に反してやわらかい。

ウィリアムは額にへばりついた髪の毛をのけてから汗ばんだ額に自分の額をくっつけた。
じんわりとしみるように熱が伝わってくる気がするのはビルの体温が低いからというわけではないだろう。

発熱しているのだ。

やっぱりか、とウィリアムは溜め息を吐いた。
原因は昨日、彼が傘をささずにずぶ濡れで帰ってきたことだろう。

傘は出かけるときに持たせから、不思議に思って問い詰めたところ、道端でお婆さんが困っていたからくれてやった、とのことだった。

何も傘をくれてやるのはこれが初めてのことではない。

この男は野良猫にでもなんにでも傘をくれてやるのだ。
雨が降る度に彼は誰かに傘をプレゼントして帰ってくる、というのは言い過ぎかもしれないが、その頻度はウィリアムが高い傘を買うことをやめる程だ。
お陰でウィリアムは傘の特売に目敏くなった。

それはこの男の美徳でありウィリアムの好きなところであるから問題はないのだが、問題点は彼がずぶ濡れで帰ってくることにある。

だからいわんこっちゃなかろうと小声で呟いて冷凍庫から持ってきた氷枕をタオルに包んで頭の下に差し入れる。この男は普段体調にこれ以上ないくらいに気を使うくせに変なところが無頓着だ。馬鹿だな、と思うがウィリアム厳しく注意する気はなかった。
……多分言っても仕方ない、というのもある。
多分というのは正しくないかもしれない。彼が濡れて帰ってきたところを見たら、大抵ウィリアムは彼を叱る。その時はしゅんとして反省している様子の彼は、それでも傘を置いて帰ってくる。
そしてこうやって風邪を引いたときは、ウィリアムは何も言わずに彼の看病をする。

彼は今日も出勤日だったけれどウィリアムは今日は休みの日だった。
だから彼をずっと看病していられるのだけれど、人一倍仕事を大切にするキースは起きたらきっと激しく落胆するのだろう、とウィリアムは想像しながら彼の携帯端末を探す。

それを勝手に操作してヒーロー担当の人物を呼び出した。それは、キースの体調不良を伝えて彼が休むという旨を伝えるためだった。

「キース、起きて」

ベッドに腰掛けて優しく優しく肩を揺する。小さく呻いたキースは、瞼をそっと震わせて、ブルーの目で上から覗き込むウィリアムを捉えた。

「……ビル……?」

かすれた声に、あぁ、とウィリアムは短く答える。視界がはっきりとしないらしいキースは瞼を瞬かせる。ブルーの瞳が熱っぽく潤んでいる。

「……なんだか……死にそうだ……」

本当に死にそうだというような声でキースは零す。その額から温くなった濡れたタオルを取り外してその額に触れる。

「熱があるからな。……死なないとは思うけど、ひどいようだったら医者に行こうか」

そう言うと、キースは顔をしかめて、病院はいい、と呻いた。
注射が苦手なことを知っているウィリアムはおかしくなってふっと噴き出す。
ヒーローをしているときは怪我もする。その時には病院に行って点滴を打たれたってなにされたって平気な顔をしているくせに、風邪を引いた時にはこんなふうに弱気になる。

それが可愛くて、それを見たくて、ウィリアムは彼が傘をおいてくることを真剣に阻止しようとしないのだろうか。だとしたらとても意地が悪いのかもしれない。

「……仕事、」

「あぁ、休むって電話かけておいた」

「……なんとなく、聞いていた」

そうか、聞いていたのか。そう思いながらウィリアムは額から手を滑らせてその頭を撫でた。

「下手に体調の悪い時に出動して怪我でもしたら元も子もないだろ、しっかり休め」

キースは少しだけ悲しそうな顔をしてから頷いて、そっと瞼を閉じた。折角起こしたのに寝てしまう。ウィリアムはぺたぺたとほほを叩いて起こした。

「薬を飲もう。ほら、シロップにしたから飲めるだろう?」

薬があまり得意でないキースのためのシロップ状の風邪薬を手渡す。
キースはゆっくり頷いてのっそりと億劫そうに起き上がった。起き上がったことを確認してからシロップを手渡すとキースは大人しくそれを手にとって飲んだ。

シロップだってあまりおいしくない。顔をしかめたキースに用意しておいた水を手渡す。
駄々を捏ねて飲みたくないと言わなかったのはきっと、病院に行くが聞いているのだとウィリアムは思っていた。

「ありがとう、そしてありがとう」

そう言って、薬のまずさで少し覚醒したらしいキースがコップを返してくる。

「ん。食欲はあるか?」

ベッドサイドテーブルにコップを置きながら聞くと、キースは首を横に振る。

「そうか。でもちょっとでいいから食べたほうがいいな。ほら、玉子粥」

脇に置いてあった盆に乗せた小型の鍋を開ける。
大人しく頷いたキースはちょっとだけ笑う。

「ビルの玉子粥なら食べたい」

そうか、と内心のうれしさを抑えて素っ気なく答える。湯気のたつ玉子粥を取っ手の付いたスープカップによそった。
スプーンをつけて手渡すとキースは嬉しそうに受け取って、ふう、と息を吐いて湯気を吹き飛ばす。その様子に笑って、ウィリアムはゆっくり食えよ、と言った。

「あつっ」

案の定と言おうか、慌てて口に運んだキースがぽったりとシーツに落とす。

「ゆっくり食えって言っただろう、」

口の端で笑って、用意しておいたタオルで落とした分を拭く。キースが落としてしまうことぐらい、想定の範囲内だ。それでも念を押して注意しなかったのは世話を焼きたかったからなのか。

「すまない、そしてすまない」

落ち込んだキースに、今度は注意して食べろよ、と笑うとそれに釣られてキースも笑った。


結局食欲が無いなんていいながら、用意多分の玉子粥を平らげたキースにスポーツ飲料を飲ませてから服を着替えさせる。

布団をかけて額に冷たいタオルを乗せてから、ウィリアムはキースにお休み、と声をかける。
踵を返そうとしたウィリアムはシャツを引かれて阻止される。ゆっくりと振り返ったウィリアムはシャツの裾をつかんだキースの姿に眉を寄せた。

「……どうした?」

「……ありがとう、」

目元を風邪による発熱以外で赤くしてつぶやかれた言葉に、ウィリアムの頬が緩む。

「あぁ、早く良くなれよ」

ウィリアムが答えても、キースはレを離そうとしない。それを訝しんだウィリアムはまだ何かあるのかと聞こうとした。
その前に、何かキースが言おうと、口を開くのをみて、ウィリアムは待つ。キース以外にこうやって待ってやることはしないのだけれど。

「……もう少し、そばに居て欲しい」

半分以上真っ赤になった顔を布団に埋めて言ったキースにウィリアムは目を瞬かせる。遠慮するように緩んだ、シャツを掴む手に、小さく笑う。

「いいよ」

そう言ってもう一度ベッドの上に腰掛ける。
シャツを離した手を握る。熱い汗ばんだ手。

「手、冷たい」

「熱があるからな」

「うん」

瞼を落としたキースに、ウィリアムは彼が眠ってしまっても、もうしばらくこの寝顔を見ていこう、と決めた。

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