「全部」
そういったビルの声の冷たさにキースは凍り付いた。
胃の中に巨大な氷を詰め込まれたみたいな感触がする。
『嫌いになった』
ビルの声が何度も何度もリフレインする。
泣き出した女性を振り返らずに歩きだしたビルの手は、強くキースの腕を握っている。
もしかしたら、痕になるかもしれない。
キースならそれをふりきることは簡単だったが、キースにはそれができなかった。
もし振り切って、しまったら。
彼女に向けられた冷たい声が、自分に向けられたら、あんな風に切り捨てられてしまったら。
嫌われてしまったら。
その先を、キースは想像することができない。
頭の中を支配するその感情が、泣いている女性を置き去りにした罪悪感と相容れないままに胸の中でごたまぜになる。
ごめん
ビルが呟く。
もしこの声が、彼女に向けられていたなら。
そう思うと、どうしようもない感情がさらに渦を巻く。
痛いほどにキースの腕を握るその手は微かに汗ばんでいて、その手は確かにキースを選んでいる。
もしいつか。
あの言葉が自分に向けられたのなら。
答えのでないまま、見慣れたエントランスが見えてくる。
それに気づいたビルは歩調をゆるめて、はっとしたようにキースの手首を離した。
案の定キースの手首は少しだけ赤くなっている。それにビルは小さな声ですまない、と謝った。
「構わないよ」
そう、答えながらキースはこれが、ずっと、ずっと、残ればいいのに、と思った。
これは、彼が自分を選んだという証なのだから。
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