5年生になった。

学校の外では燃え盛る戦禍はまだ、学校の内部には無い。いや、無いのではないかもしれない。
ただ、イツキの周りにはなかった。わざと、彼を巻き込まないように周囲が配慮しているのかもしれなかった。
その優しさも、何もかもイツキには少し遠かった。
いつも通り起きた俺は、きっちり今日のために用意した私服を着込む。
髪の毛をセットして、俊足の魔法を使って今日の下見に行くために窓を開いた。
ホグワーツ内部では転移の魔法は使えないので、こればかりは自分の足で見に行くしかない。
ガタンと音を立てた窓にレイリアが目覚めた。
白いシーツを頭にひっかけて飛び跳ねた髪の毛をぐしゃぐしゃ、とかき混ぜる。
「……ん……?……イツキ……?……あぁ、まだ4時代か……ん……おやすみ…、」
お休み、と言った瞬間にくかーっという寝息が聞こえた。早い。二度寝にしても早い。寝穢い、とぼやいてから、イツキは窓枠を蹴った。


満開の桜の下で、今日は西洋形式でお茶をする。
抹茶は駄目だ、というルシウスの言葉に従って、普通のグリーン・ティだ。
日本のお茶が気になると言われて、文化紹介のつもりで張り切って抹茶を立てたら苦い、と盛大に顔をしかめられてしまった。口に会わなかったらしい。そう言えばルシウスは紅茶にも結構な量の砂糖を入れるし、ミルクを入れることを好む。英国人的な完成なのだろうかと思いながら、イツキは今度は少し甘目のお茶を用意した。
勿論、実家から届いた最高級のもの。
近頃は、ルシウスも実家から届いたと言うお菓子を持ってきてくれる。
流石名門マルフォイ家。そんじょそこらの菓子なんかとは格が違うと思ったが、
『私は、イツキの菓子のほうが好きだ……。』
という言葉が嬉しくって、お菓子の腕を磨きに磨きまくっている。
英国式の作法を中取して、見苦しくないようにお茶を入れて、そっと差し出す。白い手が伸びて茶器をとった。
清水焼きの茶器を優雅に扱う指にうっかりと見惚れた。

5年間、ずっと傍にいて愛しさは募るばかりだ。

近頃は、葛城の実家から良く、呼び戻されて里帰りをする日が増えている。
そろそろ、自分をこの学校に送ると決断した頭首の命が危ういのだ。
頭首が行なっていた、家を守る結界の手伝いと、跡目のしての儀式や会のためやらに呼び出される。こちらで学ぶ魔術は、あちらの頭首としての生活には必要ない。だから、学校を辞めて早く戻って来いという人間までいる。
自分が跡目を継ぐことに反対して、頼りないと叔父が立とうとするそれを防ぐ目的もあってのことだ。だけれども、イツキは何度も何度も家と学校を往復しながら話し合い、卒業までは、と約束を取り付けて、あと二年、という時の短さを知った。

この恋が実ることは、この身に過ぎた幸福だと思うようになって。
傍にいることが、敵わない日が来ることを知って、より、愛おしく感じるようになった。

愛おしい。
何よりも、
誰よりも、

愛おしい。

近頃、許婚からの手紙が頻繁に届くようになった。
実家に帰ってこない理由が、こちらに想い人がいるのだと、吹き込んだ人間がいるのだと、人伝に聞いた。間違いはない。思いいれている。この人生で、二度はあるまいという程に。
ただ、おそらく彼女が思うような相手ではないし、それを、誰か想い人がいるということですら告げるつもりはなかった。
……彼女は聡明で、美しく、申し分ないと俺だって認めている。
けれど俺は、彼女を愛せない。

きっと、俺は、残酷にも、彼女の愛を受け入れず、家のために彼女と結婚することになる。
そう思って、目の前の最愛の人を見た。

「……前回の里帰りは、帰りが少し遅かったな」
ルシウスが案じるように、少し慎重に切り出した。彼は彼で情勢のことを(それについて話したことは無いが)イツキの身の回りのことを気にしているのだろう。
「……あぁ……向こうで、許婚が騒いで飛行機を少し遅らせたんだ。」
なんのこと無いかのように許嫁、と口にして、ルシウスの様子を伺った。彼が、嫉妬などすることは無いことを十二分に承知しておきながら、愛していると告げる同じ口で、許嫁のことを口にする。ルシウスは表情を変えない。
「……そうか。」
無表情のまま、何を言うでもないルシウスからフイ、と目をそらし、お茶を飲もうと湯飲みを手に取る。
茶柱が、立っている。
吉兆なのだ、とルシウスに告げたことはあっただろうか。あぁ、でも、茶柱は誰かに話さずにこっそりと飲むのが正しいのだっただろうか。そうして、こんな時、俺は何を願えばいいのかを考える。
……このままずっと、傍にいることを?
……ルシウスに愛してもらえることを?
どちらも非、現実的で、自分勝手も甚だしい願いだと、そう思う。

思案する中で、意識が少し現実から離れて、それから、カタン、と机が音を立てた。
ふ、と顔を上げると、ルシウスのプラチナ・ブロンドが目の前で揺れて、頬に触れた。
さらりとした髪の毛。これに、触れたことはなかったかもしれない。触れたくて仕方なかった、その感触に気を取られながら、俺は一ミリたりとて動くことは出来なかった。
小さなぬくもりを唇に感じる。
すい、と其れが離れて、彼と目が合った。惑うような目線。何が起こったのか、理解が、追いつかない。
これが、夢か、現実か、それさえも、曖昧。
「……今日の……お礼……。」
白い頬に朱が走る。揺らぐような瞳が、ちらりちらりと落ちていくのを理性の力で持ち上げながら、ルシウスが言った。

ルシウスの其れが、友愛なのか、それとも、同情か、他の何かなのか、俺は知らない。
だけど、嬉しくて仕方ないから、俺は手放しで喜ぶことにしている。
「ありがとう。」
そう笑んで言うと、ルシウスは小さく、どういたしまして、とはにかんだ。

ずっと、この瞬間が続けばいいと、願った。

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