彼の最後の姿、と言われて思い浮かぶのは、戦場を一人きりで駆け抜けて行ったその背中ではなく、振り払われた手に呆然と立ちすくみ、涙を流す姿だった。

酔ってない、と言いつつも、足取りが覚束ないのは自覚していた。飲みすぎたかな、とは思いつつも後悔はない。増えて行くつけも、飲み過ぎを叱られることも日課となって、自分を取り巻く些細なことが好きだったりした。
長谷川さんと別れて、ふらついて時々どこかにあちこちをぶつけながら歩く。通行人は自分を少し迷惑そうに見やってから深夜の暗闇の中に消えて行った。
梅雨の季節にしては珍しく晴れていて、頭上には星がちらついて見えた。都会の空は明るくて、明るい星も地上の光に照らされてチカチカと瞬く。
満点の夜空を、今はいなくなった人たちと見上げた。
そんな感傷的なことを思うのはきっと酔っている所為だと思って銀時は顔を伏せて自嘲するようにすん、と鼻をすすって笑った。
瞬時、何かが頭の中をかすめる。
反射的に銀時は頭をはね上げてアルコールで霞む頭をフル回転させながら周囲をうかがった。
血の、匂いだと体のどこかがうずき出して、自分自身にそう伝える。
少ない量ではない。一人、死んだ程度ではこんなに血のにおいはしない。
腰にある木刀を確かめて銀時は微かな匂いを追って走った。
角を回った時、近い、と思った。臭いが一段と濃くなって思考を擽る。
路地に飛び込むと、黒い背中がたたずんでいるのが目に飛び込む。
見覚えのあるその暑苦しい制服にどうしていいのか判断をつけかねて銀時は木刀に手をかけたまま停止した。
「……ヲイヲイヲイ、兄ちゃんこんな夜中にこんなところで何してんのかな?」
ぴりぴりと走る殺気に、気押されながら銀時はその背中に声をかけた。
ず、と水気を含んだ土がずれる音がする。
ゆっくりとした動作で男は振り返って、銀時のことを認めると驚いたように目を見開いて、それから、
久しぶり、と言って笑った。

力なく落とされた背中に何か声をかけようと彼の正面に回った銀時は、言葉を失った。
見開かれた絶望で満たされている。その瞳からはらはらと音もなくこぼれる涙が、綺麗だと思った。

かえり血を装飾品のようにまとって、彼は笑う。
「お前…」
生きてたのか、と呼吸と共に吐きだすと、彼は生きてるよ、と言って笑って刀をひと振りして血糊を払ってその鞘におさめた。
銀時の姿を頭の先からつま先までじっくりと見た彼は、その木刀、と口をとがらせて呟いた。
「銀時は、攘夷浪士?」
「……ちげーよ。」
「ならよかった。銀時は俺の敵じゃねぇんだな。」
そう言って彼は刀にかけた手をのけてよかった、よかった、と言いながら笑った。
抜刀術が得意だった。
記憶の中の彼は抜刀術が得意で神速のその剣で有名だったのだと、思い出す。
なんで、真選組に入った?
その言葉が出せなくて呆然として立ち尽くす。
どことなく彼に覚えた違和感の正体は彼が来ている制服のせいだろうか、と考えて、いや、と頭の中でうち消す。
これは、彼の側に、あいつがいないことに対する、違和感だ。
凝視する銀時の視線をいぶかしんで彼は少し眉を寄せると、あぁ、と納得したように自分の姿を見た。
「これは仕事だよ、仕事。ちゃーんと上の命令。辻斬りとかじゃないよ。」
そう言って手をひらひらと振って見せた彼に、言葉を失う。
「…真選組…、に?」
やっと吐きだした言葉は文章にならず、かすれた文字列になった。
その言葉の意味を彼はくんで、あぁ、と言って笑った。
「そう。成り行きで。」
そう言って、彼はやっぱり笑って、俺は報告があるから、と銀時の隣をすり抜けるようにして彼は路地から出た。
まっすぐに伸びた髪の一本一本がさらさらと揺れて、長い睫毛の縁取る瞳がゆっくりと瞬く。
美しい、とこころから思った。
ふんわりと笑うと雰囲気が随分と優しくなって、せんせいが聞かせてくれた異国の天使というのはこのような姿をしているのだと、自分に向けられたのではない笑顔を見て、そう思った。

そう、いつもその笑顔はせんせいと、あいつに向けられていた。

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