「…にしてもお前、損な性格だよな。」

「…なんの話ですか?」

ぼそり、と呟くと即座に黒い左目が、浸りと自分に据えられた。
静かなこの校舎は、声は籠ったような音になってやんわりと反響する。
黒い瞳は闇が淀んだような印象を受ける。ゆったりと細められた目には感情があまり籠められておらず、彼の常人ならざる雰囲気を余計に強めていた。

「…結構、いいやつなのにさ。顔もいいし。もっと自由に生きていけるやつなのに、な。」

若干、的場のその瞳にのまれたようにどもりながら伊月はそういった。

「私は自由に生きてますよ、以前よりはずっと、ね。」

そういって微笑む的場の顔に、そう、と短く答えて伊月はそれ以上追及しなかった。
夕焼けが、少しづつ暗くなって、手元の携帯電話のディスプレイが伊月るく目立つようになる。
世間から切り離されたこの世界で、携帯電話は外の世界と伊月をつなぐ、重要な道具だった。学内には公衆電話は設置されていることには設置されているが、そこは人通りも多く、目立つところで、こっそり中学時代の友人と内緒話を出来るような環境でもなければ、親からかかってくる定期連絡をしみじみとかみしめながら受ける環境でもなかった。
部屋に帰ればインターネットがつながっていて、学校内はそれほど厳しく外界と遮断されているわけではなかったが、それでもこの空間はどこか閉鎖的で異質な空間だった。

「…何よんでんの?」

純粋に気になって、彼が読んでいる古びた本について質問をする。

「日本の呪術のルーツについての本です。」

いつもと変わらずに敬語で簡潔にかえされた答えに、伊月は古い勉強机に頬杖をつきながらふぅん、と返す。

「呪術、ねぇ。お前の話聞いてる限り、結構便利そうだけど、あれだろ、才能とやらがいるんだろ。」

「はい。」

「そして、俺にはカケラも才能とやらが備わってないらしい。」

「それはみごとなほどに。」

くっきりはっきりと告げられた言葉にふん、と鼻を鳴らして伊月は机に突っ伏した。

「…構いませんよー。俺には科学という名の素晴らしい味方がついてますから。」

ふらふら、と携帯を見せるように降ると、頭上からくす、という笑い声がした。

「…貴方にとっても味方な科学は私にとっても味方なのですが。」

笑いを含んでのべられた言葉は確かにその通りで、伊月は負けを認めるほかなかった。
へたり込みながら、伊月はぼんやりと考える。つい、忘れてしまいがちではあるが、的場も自分と同じ、「人間」であるのだ。的場はどこか「異質」であるし、そして彼の瞳の奥の淀みには彼が伊月たち一般人を自分とは違うものとして見つめている節があった。
そんなことを考えながら、伊月ははた、と気付く。

「…そんなこといいながら、お前、携帯持ってねぇじゃねぇか。」

「必要ありませんから。」

そう言って何事もないかのように本の頁を繰る彼に、伊月は呪術ですかー。と一人呟いた。
否定の声も肯定の声も届かないことから、それがあたりなのだと知って伊月は拗ねたように口を閉じた。

的場には、一般人とはかかわる気が端からないという事実を改めて認識する羽目になって、悔しくて仕方がなかった。

「…お前は、いいかもしれないけどな。俺からお前に連絡取りたいとき、どうすればいいんだよ。」

机に突っ伏して、呻くように言う。近い机から反響する声は自分にはよく届いたが、的場にはくぐもって良く聞こえなかったかもしれない、と思った。

「呼べばいい。」

「へ、」

しっかりと耳に届いたその声の意味がわからなくて、顔をあげて聞き返す。
すっかり暗くなって、的場の表情を見るためには目を見開くようにして瞳にいっぱいいっぱいの光を集めて凝視しなければならなかった。
浮かび上がったその表情は、うっすらと笑みをはいて、思わず心臓が音を立てて跳ね上がって揺れるような妖艶さがあった。

「…私の名前を、呼ぶだけでいい。どこにいても、届くから。」

「……っ、」

なにか、言葉を返してやろうとして、口を開いてそのまま呼吸が止まる。
動揺して揺れる伊月の瞳を楽しそうに的場が見ていた。

「…ずるいな、お前は…」

ずるい、という言葉に詰めていた息を吐き出して、視線をそらした。

「…それはそれは。」

気がない風に返された言葉が微かに笑いを含んでいるのを知って、喉の奥がくすぐったくなる。なんだかどうでもよくなった気がして、くすくす、と伊月は喉の奥で笑った。

「…そろそろ、寮に行かないと。」

ご飯食いっぱぐれるよ、と言って席を立つとがたん、と木の床独特の籠るような鈍い音がした。
的場は手に持っていた少し古いハードカバーの本をとんと軽い音をさせて閉じて、ゆったりと腰を上げる。伊月が立った時と同様に鈍い音がして、伊月よりも少し背の高い影がぬ、と現れた。

「足元、気をつけろよ。片目の分ハンデなんだから。」

暗くなったから、見えづらいだろうと気を使った伊月が夕闇の中でも白くはっきりと映る手を差し出した。的場は少し驚いたように目を見張ってからありがとう、と言ってその手を取った。

じんわりと手の暖かさが伝わってきて、伊月は人知れず口の端を緩めて、笑った。


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