日本の電車というのは横幅が狭くて、イギリスの電車は広い、とか、そういう話を度々聞くが、皐月は日本の電車にも乗ったことがなかったので、そのことはよく知らなかった。それどころか、皐月は日本のマグルの義務教育を一切受けていない。だから、皐月が家の人間ではない人間と関わるのはこれがはじめてで、少し楽しみにしていたのだが、皐月のまわりには話しかけるべき人間が存在しなかった。特急の中は随分混雑していたが、皐月のいるコンパートメントには皐月しか居なかった、難しい顔をした伊月が出てきて、皐月の杖を使って何かの魔法をつかったら、皐月のいるコンパートメントを他の生徒は認識できなくなったようだった。
折角、伊月意外の人間と英語を話せるチャンスだと思っていたのに、と思いながら飛び去っていく景色を眺める。
それから、伊月が黙りこんでしまった原因を思い出して、思い切って声をかけてみることにした。
「……どういう関係だったの?」
皐月が訊いた。
カタンカタンという音を立てる車輪の音を聞きながら、この話題は避けるべきだっただろうか、と思ったが、しばらくして姿すら見せようとしなかった伊月が皐月の目の前に姿をあらわした。皐月はそのことに少しホッとする。
伊月は少し、気難しいところがあって、何か、ひどいことなんかがあるとしばらく姿を見せなくなる。その間は、大抵皐月が呼んでも出てきてくれることは滅多になくて、皐月はひとりぼっちになった。
伊月に言うと、彼は決まって『皐月のプライバシーを重んじているだけだ』というのだが、皐月は伊月のことを友人のようだとも親のようだとも、兄弟のようだとも思っていて、隠し事にすべきことを一切持っていなかったから、そのことを少し不思議に思っていた。
『学友、と、いうやつだな』
「仲が良かったの」
『それはもう』
伊月が顎を上げて微笑む。皐月はそれが嘘だと看破したが、さっき見たルシウスの反応を思い出しながら、あながち嘘ではないというような気がして、不思議な気分になった。
あの夢を、皐月が見たというと、伊月はいつも、『すまない』という。あの夢は伊月の夢で、それが皐月に流れ込んでいるのだそうだ。
皐月の感情は伊月の方に駄々漏れになるのだが、伊月の方が漏れてくることは滅多に無くて、漏れてくるときは何時も決まって、あの夢だった。
「ぶつかった子は、子供かな」
『だろうな……。ルシウスに似ても似つかない下品な子どもだったが。母親に似たんだろうな』
彼の言葉には刺があって、おそらく、あの母親らしき女性との因縁なのだろうと思いながら、皐月は伊月の彼に関する評価を横に置いておくことにした。
出来れば友達になれれば良い。そんなことを思い起こしながら、ああ、やっぱり誰かと相席になりたかったな、考える。
『……心配するな。寮が決まってからで構わない。十分に時間はある』
伊月が微笑む。それを見ながら、皐月はそうだね、と答えてもう一度窓の外に視線をうつした。
うとうとと眠気が襲う。飛行機の、時差がどうやら効いているらしい。多分、時間になれば、伊月が起こしてくれる。そう思いながら、皐月は目を閉じた。

驚いたことに、起きた時には皐月はホグワーツ校舎内に立っていた。何処かの空き部屋らしい古い部屋は、狭くて、ちょっと定員オーバーなのではと思いながら皐月は目を擦った。
『起きたか。寝坊だな。このまま組み分けまで眠っていたらどうしようかと思っていたところだ』
伊月の声がする。それに少し呆然としながら周りを見渡した。同年代くらいの子どもたちが不安げに囁きあっている。
チラチラと自分を見る女子生徒の視線のがなんだか可笑しな気がして、小声で皐月は伊月に「何かした?」と訊いた。伊月は『いいや、していない』と答える。それを嘘だ、と思いながら皐月は溜息を吐いた。
その溜息を打ち消すような声が響く。
「ホグワーツ入学おめでとう」
眼鏡のとても背の高い女性が挨拶をする。自己紹介をする気がなさそうなので、これは聞き逃したな、と思うと、伊月が耳元で『マクゴナガル教授。とても厳しい方だが非常に優秀な教授だ』と囁く。
「新入生の歓迎会がまもなく始まりますが、大広間の席につく前に、皆さんが入る寮を決めなくてはなりません。寮の組み分けはとても大事な儀式です。ホグワーツに居る間、寮生が学校でのみなさんの家族のようなものです。教室でも寮生と一緒に勉強をし、寝るのも寮、自由時間は寮の談話室で過ごすことになります。寮は4つあります。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンです。それぞれ輝かしい歴史があって、偉大な魔女や魔法使いが卒業しました。ホグワーツにいる間、皆さんのよい行いは、自分の属する寮の得点になりますし、反対に規律に違反した時は寮の減点になります。学年末には、最高得点の寮に大変名誉ある寮杯が与えられます。どの寮に入るにしても、皆さん一人一人が寮にとって誇りになるよう望みます」
家族、と皐月は呟いて、そわそわと想い描いた。たしか、伊月はグリフィンドールだったはずだ。皐月はどこだろう。どこに入ることが出来るんだろう。
「まもなく全校列席の前で組分けの儀式が始まります。待っている間、できるだけ身なりを整えておきなさい」
マクゴナガル先生は数人の生徒に視線をやる。チラチラとその視線の先を追うとたしかにちょっと可笑しな生徒がいて、なるほど、厳しい先生だ、と皐月は思った。
『お前の身だしなみは俺が整えておいたから安心しろ』という伊月の声がして、皐月はそれは安心だ、と思いながら髪の毛をなでつける隣の癖っ毛の黒い髪をした眼鏡の男の子を見た。
「学校側の準備ができたら戻ってきますから、静かに待っていてください」
つかつかと足音を立てながらマクゴナガル教授が外に出て行くのを見送って、皐月は誰かと話せないだろうかとそわそわと周囲を見渡す。
さっき髪の毛を撫で付けていた子は、「いったいどうやって寮を決めるんだろう」と赤毛の男の子に話し掛けた、赤毛の子の鼻の頭には泥がついていて、それを教授に見咎められていたが、落ちていない。
「試験のようなものだと思う。すごく痛いってフレッドが言ってたけど、きっと冗談だ」
「えっ、痛いの?!」
ぎょっとして皐月が横に飛び退ると、誰かの足を踏んだらしく、その誰かが「痛い!」と言った。ヒキガエルを抱えたその子にごめんと謝りながら、赤毛の子に向き直る
「……多分、冗談だけど……、君、ここに来る前転んだ子のローブを魔法で綺麗にしてた子だよね?」
「えっ、」
全く覚えがない。それもそのはずだ。それをしたとすれば、伊月だ。間髪いれず、頭の上で『確かに俺がやった』と伊月が言った。ほら嘘だったじゃないかと思いながら、皐月は曖昧に、うん、と答えた。
「君なら大丈夫だよ」
赤毛の子が寂しそうに言った。誰もが思い思いに組分けの心配をしていて、余裕が無いようなのを見ながら皐月は、痛いのは嫌だなぁと思った。
その時、誰かが悲鳴を上げた。
その方向を振り返りながら、皐月は目をぱちくりさせた。白く輝く、半透明な人型の……ゴーストだ。それが20人くらい現れて、互いに喋りながら部屋を横切って行く。
「もう許して忘れなされ、彼にもう一度チャンスを与えましょうぞ」
「修道士さん、ピーブズには、あいつにとって十分すぎるくらいのチャンスをやったじゃないか。我々の面汚しですよ。しかも、ご存知のようにやつは本当のゴーストじゃない――おや、君たち、ここで何してるんだい」
南蛮風の大きな襟にタイツをはいたゴーストが突然自分たちの下に居た人間に気づいて声をかける。皐月は、思わず自分の中に居る霊に「挨拶しなくていいの」と小声で話し掛けた。伊月からの返事はなかった。
結局ゴーストの問いにはだれも答えず、太った修道士が、「新入生じゃな、これから組み分けされるところか?ハッフルパフで会えるとよいな。わしはそこの卒業生じゃからの」と言ったところで、マクゴナガル教授が扉を開けて現れた。
「さあ行きますよ。組分けの儀式がまもなく始まります。さあ、一列になって、ついてきてください」
皐月は赤い髪の少年の後ろに並んだ。
玄関ホールは、まるでおとぎ話の世界みたいに古めかしくて、大きな場所でそこを通って、二重扉を通って大広間へと案内される。
皐月はその光景に圧倒された。
「すごい」
皐月がつぶやくと、「本当の空に見えるように魔法がかえられているのよ。『ホグワーツの歴史』にそう書いてあったわ」と女の子が言うのが聞こえた。たしかに、天井は輝く星空で、そして、たくさんのろうそくが浮かんでいる。長椅子に沢山の上級生が座っていて、皐月はこんなに沢山あつまった同年代の子どもを見たことがなかった。
四本足のスツールの上に帽子が置かれて、その帽子が歌い終わったあと、大きな拍手があって、その拍手の音に紛れて、伊月が『あの帽子に何か言われると思うが、気にするな』と言った。
A・B・C順に名前が呼ばれることになっているらしい、というところで皐月はその意味を考えることをやめた。
「葛城皐月!」
名前が呼ばれると、数人の教授が驚いたように皐月を見て、そして、ゴーストがざわめいた。それに緊張しながら、皐月はスツールに腰掛けて、帽子を被せられた。
「……君のことは、非常に残念だった」
それが、皐月は自分に向かっているのではないと感じた。
「……そうか、なるほど、そういうことだな……ふむ。君の心は、希望に満ちている……彼よりも、ずっと。君ならば、きっと、」
最後のそれは皐月に向けられたものだった。帽子は囁く。
「ならば、君の寮は、」
心臓が、止まるかと思った。
「グリフィンドール!」
帽子は、そう叫んだ。

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