蒸気か、耳鳴りなのか。
三半規管が狂うのではないかと思うほどの音に皐月は眉をひそめた。
「……これが、ホグワーツ特急……」
呟いてぴかぴか光る赤い汽車を見上げる。
『呆けてないでさっさと荷物を積み込めっ!乗り遅れたらみっともないぞっ!』
「わかってるってばっ、もう……うるさいんだから……」
耳元で小言をいう幽霊に顔を盛大にしかめながら皐月は伊月が教えてくれた通りに荷物を積み込んだ。
「……本当に、伊月の言ってた通りだね」
なにからなにまで、とこぼす皐月に当然だ、と伊月は言った。
『さぁ、なにをぼさっとしている。言っていた通りというのなら席がすぐに埋まってしまうことも知っているだろう。さっさと行きたまえ』 
急かす伊月に雑にはいはい、と言いながら皐月は大きな階段をまたいで荷物に続いて特急に乗り込んだ。
「……ねぇ、伊月、今の時間ならどこがいいとお……いたっ!」
伊月に聞こうと思った皐月はその瞬間中から大慌てで飛び出してきた誰かとぶつかった。
「……気をつけろ、」
「そっちが気を付けなよっ、危ないんだから……、」
顔をあげた瞬間に頭ごなしに怒鳴りつけた少年に皐月は思わず食ってかかる。
そして、その顔を見て固まった。

――きらきら光る、プラチナブロンドが風に舞う。

――透き通った宝石のようなブルーアイが涙に濡れてこちらを見ている。

「……っ、」
「ドラコ、」
後ろからかかった声によって、皐月は思わずあげそうになった叫び声を呑み込んだ。
「父上、」
少年がそう呼んだその人を皐月はほぼ反射的に振り返った。

時が、止まったような気がした。

やかましい蒸気の音と、自分たちを押しのけて中に入ろうとする人の雑踏があっという間に皐月の周りから消え失せた。

――青年は、なにかを言ってから、腕をあげてこちらに杖を向ける。

何度も何度も繰り返し、夢に見た、記憶。

(死に際の記憶だよ。)

伊月はそういった。

青年はそのままの姿で年をとり、皐月の目の前に立っていた。

彼は、夢で見たのと変わらない青い目を見開いて、口だけの動きで彼の名を呼んだ。


「父上っ、」

皐月の背後にいた少年の言葉で、皐月は一気に現実世界へと引き戻された。
同様にこちらを見ていた男も我に返ったらしく、すいっと半ば無理やり皐月の顔から視線をはがすとその後ろに視線を向けた。
それとほぼ同時に、耳元で伊月の叫び声がした。
『口を閉じろっ、身だしなみを整えろっ、なんだその寝癖はっ、きちんと櫛を入れたのかっ、いや、入れていたのは確認した、この不器用めっ。そのだらしない姿をルシウスの前にさらすなっ、俺の完璧で美しい記憶がお前のだらしない記憶で上書きされたらどうしてくれるっ?!』
他の人には見えない姿が皐月の前にあらわれていきなりの剣幕でまくしたてる。
「……うるさ、」
皐月はだれにも聞こえないように一人でつぶやく。
伊月のいきなりの小言に多少面喰いながら皐月は隣の親子の会話に耳を傾けた。
「席が決まったのならそこでじっとしていなさい。さっきのお前が悪い。きちんと謝りなさい。それから何かあったらきちんと手紙をかくこと。ナルシッサにきちんと週に一度は手紙をかいてきちんと生活できているか報告すること」
「はい、父上。いってまいります、母上」
彼がそういった言葉につられて、今まで気づいていなかった男の後方に目をやる。
そこにはきれいなドレスで着飾った女性が立って、こちらを見ていた。慈しみの目で皐月の後方をみる彼女に、母親の目とはこのようなものなのか、と皐月はぼんやりと思った。
ちらり、と一瞬その女性と視線が絡む。

憎しみが、恨みの焔が彼女の目に一瞬ともった。

その間にも、皐月と背後の少年との横を押しのけて次々に人が乗り込んでいく。
「それでは、」
少年のその声とほぼ同時に汽車が滑るように動き出した。
動き出した瞬間、こちらを見ていた男の目がすいっと動いて皐月をとらえる。
その綺麗な目が感情に揺れるのを皐月はみた。

カーブで、ホームが見えなくなるころ皐月は彼が見えなくなった瞬間静かになった幽霊をそっと盗み見た。
彼は自分とよく似た面差しのその顔に薄い笑みをはいて、何よりも優しい表情でいつまでも汽車の後方を見ていた。

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