あまり環境の良い場所とは言えない根城にも居心地のいい場所というのはある。瓦礫の隙間から日が差し込む場所の隣、風通しの良く湿気の少ない日陰が彼の定位置だった。
本のページに目を落とす彼は時折目深にかかる前髪を払っている。
邪魔なのだろう。あんなに邪魔そうにしているのに切ってしまおうとか結んでしまうとかそういう考えは浮かんでこないというのが彼らしいとも言えた。几帳面なくせに、変なところが無頓着なのだ。
それを眺めながら、ふっと、口をついて言葉が転がり出した。
「……髪の毛、切ってやろうか」
彼はふっと顔を上げて何のことだかわからないという顔をした。あの分では、自分の読書を邪魔しているのが自分の髪の毛だということにも気づいていなさそうだ。
「…邪魔そうだし」
そう言われて彼は伸びきった自分の前髪を摘み上げて、アァ、と漏らした。薄い色のその髪の毛をしばらく弄んだ彼はゆっくり口を開く。
「頼もうかな」
彼の返事に、少し意外なものを感じる。非常に神経質で用心深い、無頓着さとは正反対にも見える性質を併せ持っている彼がこの申し出にイエスと答えるとは思っても見なかったのだ。
「……いいのか」
戸惑いを如実に表した返事に彼は仏頂面を微かに緩ませて首を竦めた。
「やるって言ったのは君だろう」
パタン、と本を閉じられる。
「君なら自分でやるって言うと思った」
実際、今まではそうしてきたのだろうし。髪を切るためには刃物が必要になる。用心深い彼が誰かに刃物をもたせたまま後ろに立たせたり急所に触れされるようなことをするとは考えづらい。
「自分でやると出来がわからないからな」
猫背気味の背が正されて微かに差し込む日が彼の薄い色の髪の毛を白く染めた。切ってしまうとしたらもったいない、と思った。
「…いいのか」
再度問う。無頓着な癖に妙に聡い彼はこちらの動揺を安々と見抜いて微笑んだ。
「君だから頼むんだ」
無防備に晒された白い首筋。その近くにナイフを這わせながら薄い色の髪の毛を削ぐ。生き物特有の艶を持ったそれは、手のひらを滑り降りていく。未練と同時に切り落とすことへの陶酔を覚えながら空っぽになった手をぎゅっと握った。  髪の毛を切ること
ばらばらになった髪の毛が傾いた太陽の黄色さを帯びた光が照らして何かの宝石のように落ちていった。それをかき集めてみたいと思ったのと、そんなことをすればこの髪の毛を切るチャンスが二度と来ないことを天秤にかける。残った短い毛をナイフを持っていない方の手で払い落とした。
白い項の生え際が光に照らされて、そこに感触を楽しむように指を添える。少しだけ、くすぐったかったのか、彼が首を振った。
指の下の、温かい肌の下。ここに流れている彼の血潮を思うと、愛しくて仕方なかった。
自分の、こんな気持を、彼は想像だにしないのだろう、と思いながら、クロロは薄く笑った。

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