「いらっしゃい。自分の家だと思ってね。」
そういって自分を迎えたのは老婆だった。
やさしい声で語り掛ける老婆は、自分をさして、天女が家にやってきたのかと思った、と冗談めかしていった。
「天女と天使は違うのですか?」
記憶を辿ってそう聞くと、老婆は天使というものがわからないかな答えようがないね、ところころ笑った。
老婆は、自分のことを世話することになった30過ぎの男の妻だといった。
彼女は仙籍には入らなかったのだ。
「私は天命を迎えて死にたいのよ。そんなに生き延びるような大層な人間ではないからね。」
優しく笑う老婆に、天命を知らずして取り上げられた自分は不幸なのか、と思った。
老婆は自分にいろいろなことをおしえてくれた。
料理とか、通貨とか、裁縫から、里木のこと。そして12の国のこと、麒麟のこと、王のこと。
この世界では男と女が交わっても子供は出来ないらしい。
里木という木に願って、神に認められなければ子供は生まれない。
そんな世界が羨ましい、と自分は老婆と並んで里木を見ながら言った。
なぜ?と老婆が問った。
「間違いを起こして生まれてきた子供がゴミ同然に捨てられることなんてないのでしょう。」
自分がそういうと、老婆は少し悩んでこう言った。
「貴方は捨てられたの?」
自分は考えて、やっぱり思い出せなかったけど、こういった。
「多分、そう。」
そしてそれはきっと確かだろうと思った。そして自分は自分の生きていた世界にも捨てられたのだと思った。
思い出すのにも時間が必要であろうと、外されなかった仙籍のせいで、自分は年を取らなかった。
毎日のように出かけていく男も年をとらなかった。
老婆だけが、年を重ねていった。
男が老婆に仙籍に入るよう勧めているのを何度も聞いた。
でも老婆は決して是とはいはなかった。
日に日に男は家に帰らなくなり、合うたびにやつれていった。
それと時を同じくして、老婆は床に臥せるようになった。
ある日、自分は老婆の介護をしながらこういった。
「ねえ、貴女の義務は、貴女の伴侶を支えることではなかったのですか?」
「そうだね」
老婆は同意した。
「どうして、そうしなかったの?」
「……私は、放棄したんだよ。その義務を。逃げたのさ。」
老婆はそういった。
自分はなにも言うことが出来なかった。
老婆は死んだ。
壺に入れられて、墓に埋められた。
葬式のときも、納棺のときも、看取るときですら、男は姿を見せなかった。
老婆はを埋葬したその足で、自分は州城へと向かった。
行かなければならなかった。
州城の周りは人が沢山死んでいた。
門には見張りが居たが、名乗ると通してくれた。
州で一番偉い人の座る椅子に、男が座っていた。
その隣に、自分が昔ここに来たときにその椅子に座っていた人の首が置いてあった。
間に合わなかったのだと悟った。
「君には役に立ってもらうよ。思い出すのなんて待たないさ。主上に献上させていただくよ。変わり種の海客。見世物としては十分だろう。おまえにぴったりの役職だ。」
そういって男はあざ笑った。
人が出てきて、自分を捕らえた。
無性に空が見たいと思った。
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