男たちが激しい打ち合いを繰り広げる広場を避けて、件の男に近づくと、その並々ならぬ容姿の端麗さがよく分かる。これで、ここの男たちの慰み者にならない、というのはやはり単に彼の強さが関連しているのだと思われる。
研ぎ澄まされた剣を見つめる眼差しは青。空のような美しい青色に白銀がきらめく様子に少年は生唾を飲んだ。
そして、その目がそのまま、立ち尽くした少年を捉えた。
「……なんの用だ」
低すぎずよく通る声が耳を打つ。
「あ、はい!貴方なら、わかると聞いて、」
そう言って少年は言葉少なに自分の垢だらけの教本を差し出した。それを見て要件を悟ったらしい男はしゃん、と音を立てて彼の剣を鞘にしまってから少年を手招いた。
「何処だ?」
何故勉強している、とも聞かずに男は真摯な姿勢で少年の書物を覗きこむ。
弱った紙の項を繰って、少年は自分がわからなかったところを示した。
「……そこか。そこはな」
顔にかかる髪の毛を無造作に掻き上げる動作に一瞬どきりとした自分を叱咤しながら、少年は得難い教師の言葉を聞く。このような場所で、こんな機会を得られるなどとは思っていなかった。千載一遇の好機だろう。
男の説明は少年がしばらく前に通っていた少学の師よりもずっと丁寧でわかり易かった。
「成る程!ありがとうございます!」
少年が頭を下げると、男はゆったりと笑う。気にするな、という姿にうっかりと見とれてしまいそうになるのを我慢して、少年はもう一度頭を下げた。
「いつでも来るといい。さぁ、そろそろ交代の時間だ」
男が顔をあげる。確かに、そろそろ警邏の者が帰ってくるくらいの時間だった。
「あのっ、失礼ですが、師(せんせい)とお呼びしてもいいですか?」
少年は咄嗟に声をかける。腰にさっきまで砥いでいた剣を挿しながら男は瞬いた。
「俺は、そんな大層なものではない。朔掩ってそのまま呼んでくれるといい」
「ハイ!朔掩師(せんせい)!」
「いや、だから俺のそれは氏ではなく……あぁ……君の名前を聞いてもいいかな」
「ハイ!」
少年が名乗る間、朔掩はバツが悪そうにあさっての方を向いていた。




「朔掩師(せんせい)」
後ろから声をかけた利広に、朔掩はひとつも頭を動かすこと無く、手を後ろに向け、利広の額を指で弾いた。いだっ、という声を上げて蹲る利広は、もう、間違っても少年とは呼べない体躯をした、立派な青年に成長していた。
「ちょ、っと、酷いんじゃないのかな……弟子に向かって」
「弟子は弟子でいいが、気色悪い呼び方をするんじゃない」
そう言って朔掩は心底嫌そうに顔を顰めた。実際、鳥肌が立っている。
「……とは言え、やっぱり朔掩はすごいなぁ……あの子、すごく尊敬してるよ、朔掩のこと」
それに対して朔掩は答えることをしない。それが照れているからなのだと利広は決して短いとはいえない付き合いの中で知っていた。そして朔掩は、話題の方向転換をはかるべく、新たな話題を口にする。
「いい子だな……無駄死しないといいが」
本を懐に仕舞って手になじまない剣を腰に刷く少年を、朔掩は目を細めながら見やる。
それ以上、朔掩を茶化すことはなく、利広はそれにあぁ、と頷いて応えた。
いい子だ。そして、こんなところで死んでほしくない、というのが二人の共通した思いだった。

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