朔掩はこっそりと揃えた荷物をまとめていた。旅の荷物だ。時々何かを悟ったかのように訪ねてくる利広から隠すのは少々骨ではあったが、中身は元々、近くへ杖身として付いて行くときに使っていたものが殆どで、それ以上嵩を増やすことも別段なかったので、困りはしない、と言えばそうなのかもしれなかった。
外はまだ暗い。日が登ると共に活動をはじめるこの街で、朔掩はそれよりも早くこの家を出ていくつもりだった。
此処の人たちに、申し訳ない、と思う気持ちもあったが、伝えるつもりはなかった。
別れを告げると、それで終わりになるような、また会いに来ると言うと、それが嘘になった時に、悔やんでも悔やみきれない思いがあふれるのではないか、そんな思いが溢れだして、引き止められるとずるずると此処にいてしまいそうなそんな予感もあって、朔掩は何も告げずに出立することにきめた。

もしも、生きて此処に戻ってくることがあれば、会いたいと、そう思いながら旅の荷物を入れた袋を背負って斜めに肩に掛け、前で真結びをつくった。
朔掩はあまり紐のたぐいを結ぶことが得意ではなかったが、港町ということもあり、船乗りに欠かせないその技量を杖身の仕事で一緒になった人間に教えてもらったりした。

それを活かそうとしたわけではないが、朔掩は朝一番でこの街を出る貿易商船に乗る予定だった。そういうふうに手筈も整えてある。朔掩は旅に必要な戸籍である身分証明書を持っていなかったが、船の乗組員として、用心棒として紛れ込んでしまえばなんのことはない、という話だった。
うっかり騙されて売り払われるかもしれない、という懸念材料は無いこともなかったが、それを撥ね付けられるだけの力量があるので、実害の及びそうな不安ではなかった。
ここを出よう、と思った理由は、単に心境の変化ではない。傷も、体力も、すべて回復したのだ。その上で、鈍った分だけの鍛錬も積まなければならなかったし、そのためには、此処に留まることは得策ではない、と朔掩は考えたのだった。
それに、この世界を見てみたい、という思いもあった。
まるで自分を拾った、利広のような考えだ、と思いながら朔掩はそっと自分に宛てがわれた部屋の扉をあけて、名残惜しげに一瞥してから、そっと、音を立てないように扉を閉めた。感謝の思いを浮かべながら。

朝霧が立ち込める中で、船の乗組員たちが忙しなく動いて出港の準備をしている。微かに見えるのは灯台の明かりだろう。
それに声をかけようとした朔掩の後ろから、聞き慣れた声がかかった。
「朔掩」
まさか、とも、なぜ、とも、やはり、ともつかない思いが渦巻いて、朔掩はゆっくりと後ろを振り返った。
「……利広、なにをしている」
立っているのは利広で、一目にわかるほどにきっちりと旅の支度を整えている。それに朔掩は眉根を寄せて、なぜ、と言いかけて口をつぐんだ。
利広は朔掩がでていこうとするのを知っていたのだ。
してやられた、と思いながら眉根を寄せる。
「俺も、一緒に行く」
利広の決意に満ちた言葉に朔掩はやはり、とため息を吐いた。
「……連れでいくことは出来ない。俺は、お前の安全を完全に確保出来ないし、此処に連れて戻ってきてやることも出来ない」
きっぱりと引導を渡すつもりで断言する。そこで、朔掩は帰ってきたい、と思いながらも此処に戻るつもりがないのだと知った。
「やっぱり」
利広の返答は、朔掩の想像とは違うものだった。
「朔掩は、此処に戻ってくるつもりがないんだ」
利広は、それを確かめるために、ここに来たのか。朔掩は顔をしかめる。
「そうはさせないよ。父さんも母さんも、利達も、文姫も、みんな朔掩のことを家族だと思ってるんだ」
家族。はっきりと告げられた言葉は朔掩には馴染みのないもので、それが少しくすぐったくて、後ろめたくて、朔掩は下がりそうになった足を踏みしめた。
「だからさ、俺を一緒に連れて行って、此処に連れて帰ってきてよ。自分の身ぐらいなら自分で守れるようにはなったし」
何がだからなのだとか、お前はまだまだだとか、噴出しそうになった言葉を遮るように、止めのように、利広は置き手紙置いてきちゃったしね、といって首を竦めた。
「は?」
「だから、朔掩とちょっと旅に出ますって、置き手紙置いてきちゃった」
「何してんだお前」
「だって、そうでもしないと朔掩、」
置いていくぞ!そこの二人、と顔見知りの乗組員が二人に声をかける。そして、騒がしくなる逆の、家のある方面に、見つかっちゃったかな、と利広が首を竦めて、戸惑う朔掩の手を掴んだ。
「行こう、朔掩。そして、俺を此処へかえしてよ」
その手に引かれるままに朔掩は走って、そして、今すぐにでもでていこうとしている船に二人して飛び乗った。
あぁ、見抜かれていたのだ、と朔掩は悟った。
この子が、家族の元にあることを願っているということ。朔掩が帰らないと決意していること。そして、帰りたいと願っていること。それを利用して、一緒に旅に出ようとしている利広に、まんまとやられた形になったわけだ。
縄が離れる。進みだした船は、もう港に戻ることはない。
それでも、今ではない、そう遠くはない未来に、朔掩はこの子供を連れて、ここに戻ってくるだろう。きっと、利広につれられてはじめて此処に来た時と同じように、彼の家族は怒るだろう。次は、自分も一緒に怒られるに違いない。朔掩はそんな想像をして、そっと目を閉じた。

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