そろそろだろうか、と朔掩は髪の毛を見ながら思う。薄くグレーがかかっていた程度の髪の毛はすでに濃灰色を呈している。
「色、変わった?」
そう聞いたのは文姫だった。彼女は教本を持って朔掩に質問をしているところで、そう言えばと切りだされた。
「気になるか?」
何気なく返しながら、朔掩は慎重に彼女の顔を伺った。何か、その顔の裏に恣意的なものがないか、慎重に探るように。
「……ご飯食べてる時もちょっと、気になってた」
彼女は素直だ。その言葉に裏がないだろうことをはかりながら、ストレートな物言いに、そうか、と答えながら朔掩は髪の毛をいじる。どうやら、ごまかしきれないところまで来ているらしい。
「元は黒なんだ」
そう言って、朔掩は打ち明けてみた。誤魔化し切れないところまで来ているのなら先に言ってしまう方が、誤魔化すよりも得策であろう、と考えてのことだった。それに対する文姫の応えは朔掩の想像を大きく裏切るものだった。
「じゃあ、私とおそろいね」
文姫が笑う。虚を突かれて、朔掩はぱっくりと口を開ける。
「……そう、だな」
「倭では家族って似るものなんでしょう?そうすると、おそろいだと朔掩も家族みたいなそんな気がしないかしら?」
楽しそうに笑われて、朔掩はただただ驚くしか無い。
「……気持ち悪くないのか?」
「どうして?朔掩の事情は知らないけれど、髪染めもあるし、半獣のひとなんて姿がかわるのよ?それに、どちらもとても綺麗だと思うし」
「そう、か」
そう言えば、そういう世界だったのだ、と朔掩は改めて気付かされる。後ろめたさがあるからか、巧でのことが尾を引いているのか、判然とはしなかったが、途方もなく安堵していることは確かだった。
そして、はっきりとしていることは、この家の人たちなら、朔掩が珍しいからと言って利用したりはしないのだ。
それは、今更とも言えることではあったが、改めてのこの発見は朔掩にとってこの上のないことの発見であった。
眼前が開けたような心地がする。
目の前にいる文姫の不思議そうな顔色、瞳の色、少しだけ健康的に朱がさした頬、唇の赤さ、衣類の色褪せ、焚かれた香の香り、開いた古い書物の匂い、墨の香り、そして、太陽の、温かい匂い。それらすべてが目まぐるしく飛び込んできて、朔掩は瞼を下ろしてそのすべてを肺の中に吸い込むようにして呼吸をする。
誰かの所有物でない自分は、誰かに個人として存在を求められる自分は、朔掩にとって重要で、そして得難いものだった。この世界に来てからも。そして、来る前も。
そして、朔掩がずっと欲しかったものだった。
「朔掩?」
文姫が呼ぶ。
「何処か痛いの?」
そう言って、頬に触れるふっくらとした温かい指の感触と、頬を伝う雫の存在を知覚し、朔掩は自分が泣いているのだと悟った。
「いいや、痛くない」
「私、何か言った?」
おろおろと狼狽する文姫に、朔掩は目を開けて、微笑む。なるべくに、安心させるための優しい笑顔で、そして、心からの感謝を込めて。
「そうじゃない……嬉しいんだ」
文姫が困ったように首を傾げた。静かに流れた涙を、痕跡を残さないようにゆっくりと拭ってから、その涙で書物を濡らさないように注意して服で拭った。
「……文姫、ありがとう」
朔掩は微笑む。それに、文姫が曖昧に、それから嬉しそうに笑って、うん、と頷いた。

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