今日は隣には利広は居ない。使いで近くの店に酒を買いに行っているのだ。それについてこなくていいと言われて朔掩は従業員用の部屋でひとり本を読んでいた。従業員ようの控え室に使われるこの部屋には椅子と机がいつくかと茶器が備えられている。暇な時期には従業員がここで談笑したりする。小さな窓には妖魔避けの格子が入っている。
朔掩がきて暫くして従業員は補充された。経営のことを聞くと、問題ないらしい。やりくり上手の母さんのおかげかな、と先新はおおらかに笑ってみせた。
今度の本は先日近くのむらに巣食った妖魔討伐に参加した時に謝礼と一緒に貰ったものだった。今回、おつかいについていかなくていいと言われた原因でもある。討伐の際に怪我を負ったのだ。朔掩の認識では然程重症というわけではないのだが、いたく心配されてしまって店の手伝いもかなり軽減されている。
痛くないわけではないのでありがたいことはありがたかったが、あまりこういった好意を受けたことのない朔掩は少し戸惑っていた。
好意と言えば、妖魔の件もそうだ。朔掩は報酬の為なら危険は厭わないし、そういうものだと思っている。それに、朔掩はこの世界の常識に照らし合わせると常軌を逸しているといえるほどに強かった。それ故に頼られることも多い。普通は頼りたくなるだろう。しかし、この家の人間はそうではない。朔掩が危険だとか、色々と持って寄せられる依頼の窓口になってかばってくれるのだ。はじめは仲介でもしてマージンをとるのかと思ったが、そうではなかった。契約料の話は間に入ってケチられたりしないように見はってはくれるが一文たりともよこせと言われたことはなかった。本気で朔掩の身を心配して保護してくれようとしているのだと気づくまで朔掩はしばらくかかった。
何しろ、こういった好意に慣れていないのだ。
コンコン、と扉がノックされる。それをノックした人間が誰であるか朔掩は知っていた。利達だ。
「どうぞ」
朔掩が一言発すると扉が開く。従業員の控え室で、ここの人間である利達がノックをする必要など何処にも無いのだが、変なところが几帳面だ。
「どうした?」
いつも仕事は自分で見つけて生真面目に仕事をする利達が休憩することはめったに無い。朔掩に用があったのだろう、と思って顔を上げると、利達は盆をもっていた。
「……薬湯、怪我に効くっていうやつ」
「構わないのに。大したこと無いから」
「嘘を言うな!腹が抉れたって聞いたぞ!」
「問題ない」
首をすくめると、利達はまだ何か言おうと口を開けて、閉じた。のんびり屋の利広と比べて利達は感情的になりやすい。それがとても好ましいと朔掩は思っていた。
「それでも、飲むこと!母さんから飲まなかったら口こじ開けてでも飲ませろって言われてるんだ」
「……それは怖いな」
利達にそれが出来るかどうかはさておき、明嬉は本気だろう。朔掩が怪我をして帰ってきた時の剣幕からしてそうだろう。
朔掩は素直にそれに従って本を畳んで机の上に置いた。利達が差し出した盆の上に手をのばす。湯気が出ているそれを手に取って、そっと揺する。茶色をしたそれが何かを煮だしたものであることはわかるが、その中身について朔掩が聞いてみる勇気はなかった。
何しろ、利達の薬湯を見る目が多少おかしい。一体何を入れたんだ、と思いながら匂いを嗅いで後悔する。一言で表すとすればまずそう、だろう。
あまり、薬の類は効かないのだが、と今更言い出すわけには行かず、利達が生唾を飲み込みそうな様子で見守る中それを飲み干した。顔を顰めつつ朔掩は盆に手をのばす。
「ありがとう。それは持っていく……礼も言うついでにな」
はっと我に返った利達が盆を朔掩の手の届かないところにやって朔掩の手から湯のみを奪った。
「いや、大丈夫だ、俺が持っていく、来なくていい……怪我してるんだから動こうとするな、怪我が治るまでは厨房には入るな」
かなりの剣幕でまくし立てられて、朔掩は頷く。薬湯の中身を見ないほうがいいという気遣いだろうか。
それが少しだけおかしくて朔掩は苦笑いした。
「……気遣いありがとう」
「きちんと治せよ、それから働いてもらうからな」
きびきびとした声にわかったよ、と朔掩は笑う。それをどうとったのかホッとした様子の利達は盆を小脇に抱えて湯のみを手に部屋から出て行こうとする。
そこに、利広が帰ってきた。
「朔掩!」
ばん!と勢い良く扉が開く。
「おかえり」
「ただいま!」
「利広、手は洗ったのか?」
「洗ったよ!」
賑やかなことだ、と朔掩は思う。しっかりとお使いをこなしたらしい利広は利達の持っている空の湯のみを一瞥して勢い良く朔掩に向き直る。それに何か気づいたらしい利達が止めるよりも利広の言葉のほうが早かった。
「おい、」
「すごいな!朔掩、ホントにムカデの煮汁飲んだの!?」
利達が額に手を当てる。どうやら、あの薬湯の中身にムカデが入っていたらしい。あまりそういったことに頓着するような質ではないので、利達の気遣いは無用だったわけだが。
「……みたいだな」
首をすくめて笑って見せると、利広がうわーっと大きく騒ぐ。それに利達が怒るまで、後少し。

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