朔掩の元の髪の色は黒だ。鴉のような黒。
その色が抜けたのは、国境を渡った時に無理をしたことの代償だった。朔掩は特殊能力を身に着けていたが、(記憶を混乱させる呪を解いたのも、翼で空を飛んだのもこれによるものだ)これにはある程度制限があり、それを超えると代償を支払うことになる。その代償というのが、しばらくの間、能力の一切が使えなくなることだった。そしてそれの期限を色にして表すのが髪の毛の色だ。髪の毛の色が黒で無い時は一切能力が使えない。能力が使えないと知らしめるそれは能力者が蔓延って、その中に自分に恨みのある人物が混じっている世界では非常に危険だったのだが、能力者の居ないここではあまり関係はない。能力が使えないことは不便だが、戦えないわけではないのだ。敵に能力者が居ないのなら大した問題はない。
利広に適当に答えながら黒に変わる頃、流石に誤魔化し切れないだろうが、その頃には朔掩はここを去るつもりでいる。
決して居心地が悪いわけではないのだが、元々、ひとりで行動することに慣れているし、少しこの世界を旅してみたい、という気持ちもあった。
朔掩は、自由だった。
それはとても重要で、かけがえのないことだった。
そして、元の世界に戻りたい、という願望も少なからずあった。おそらく、朔掩はこの世界に誰か能力者の能力で飛ばされたのだろう。それほど多くのものを持っていたわけでも、なかったし、執着するほどの何かがあったわけではなかったが、それなりに愛着はあったし、友人もいた。帰れるものならば帰りたいと思う。
果たして、朔掩がこちらに来てからどれだけの時間が経っているのかは不明だが、それでも朔掩は帰りたいと思うのだ。
「朔掩、」
声をかけられてハッと顔を上げる。小さな格子の入った窓から差しこむ光は赤い。読書するには光源が少なすぎる。薄暗くなった中で、進んでいない本のことを見咎められたのだろうか、と思った。
「俺に、剣をおしえて欲しいんだ」
「は?」
自分に?剣を?何を馬鹿げたことを、と言いそうになって、利広の真剣な顔に気づいて口を閉じる。朔掩は本を閉じた。姿勢を正すと、古い木造りの椅子がぎしりと音を立てた。本を膝の上に置く。朔掩の横には利広の持ち物だった剣が一振り、立てかけられている。
「……俺は、剣ができるわけではない」
「どういうこと?」
問う声が剣呑さを帯びる。それもそうだろう、利広は朔掩が剣を扱うところをかなり多く見ている。言い方が悪かった、と朔掩はため息を吐いた。
「俺は、武芸として剣技をおさめているわけではない」
「でも、使えるよね?」
「武器なら……と言うより刃物ならひと通り使える」
「刃物?」
「包丁でもいい、ということだ」
朔掩の言葉に、包丁で朔掩が戦うところを想像したらしい利広は微妙な顔をした。どういった想像をしたのかは分からないがそれが随分シュールなものだったことだけは想像がつく。
「それに俺はあまり武器を使うのは得意ではない」
「何が得意なの?」
「素手で戦うのが得意だな」
「じゃあなんで、剣を使ってるの?」
「事情があるんだ」
「どんな?」
「色々、だ」
膨れっ面になった利広が黙りこむ。振り回された、と印象が強かったせいで朔掩は利広に対して我侭だという印象を持っていたが、利広は基本的にいい子である。……多少奔放なところはあるが。両親や家族の言うことは基本的には聞くし、手伝いもきちんとこなす。
勉強は他の二人ほど熱心にこなしていないような気がするが、していないわけではない。要領はいいほうだろう。
ただ、彼には少し家出傾向に近いものがあった。別に家が嫌いだというわけではないのだろうが、朔掩にはじめてあった時の様に家を飛び出してその辺りを見てきた、なんてことがよくあるらしいのだ。情勢がいいとは言いがたいご時世に、物知らずの子供がよく生き残っていた、と思わないでもないが、朔掩に会ったことも含めて運はいい方なのだろう。
それも、いつまで続くかはわかったものではないが。
朔掩はため息をついた。
「……身を守る方法くらいは、教えてやる」
「ほんと?!」
「あぁ……だけど、あまり得意ではないからな、我流だしな」
「ただし、きちんとご両親に許可は取ること」
「えー」
「当然だろう」
不満そうな利広に、これ以上折れることはないと態度で示す。あまり甘えられることに慣れていないせいで、甘えられると折れてしまいそうになるのだが、それを知っているのか知らないのか、利広は朔掩に甘えるのがうまい。文姫はまた別の方向に長けているが、なんの罠かと思うほどにうまい。
それに負けないように、ここまで、と態度で区切る。それに、まだ不満気ではあるが、利広は引く。
「さぁ、そろそろ忙しくなる時間だろう……いこう」
「うん」
一緒に立ち上がる。騒がしくなる食堂の方へ歩いて行く。どうやって説得するのかは知ったところではないが、おそらく、朔掩は利広に剣を教えることになるだろう。さて、どうやって教えるか、と考えながら、朔掩はもう一度ため息を吐いた。

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