朔掩は綺麗だ。はじめて見た時から思っていた。
浜辺に打ち上げられた人間を遠目に見た時、髪の毛が白っぽかったので老人かと思ったが、近寄ってみてそれが間違いだったとわかった。
白皙の美貌、というのがこういう物のことを言うのだと、正体のない朔掩を抱えながら利広は思ったのだ。
その認識は今も変わっていない。
家の手伝いの合間に、この間の杖身の仕事の報酬と一緒に貰った本の項を繰る朔掩を見ながら利広はそうしているだけで一枚の絵のようだと思う。朔掩は勉強熱心だ。報酬に本を何処かから貰ってきては熱心に読んでいる。この家は決して本の少ない家ではないのだが、朔掩はあっという間にそれを読み尽くしてしまった。
「利広、これはなんて発音するんだ?」
「えっ」
徐ろに顔を上げた朔掩は滑らかな発音で問いながら、利広に本の一節を示す。机に上体をのせるようににじり寄って覗きこんで発音すると、朔掩はそれを繰り返す。
これで覚えてしまうのだから驚きだ。前に聞いてみたところ、一度覚えたことは殆ど忘れないらしい。
「……それは、あまり日常には使わない言葉だよ」
「そうか」
朔掩の最近の読む本は教養の範囲を軽く超える物が多い。彼は海客だと言っていたが、何処かで読み書きだけは習ったらしい。彼の筆跡は流麗で、そして、博識だった。はじめは言葉を教えることをしていた文姫だったが、最近ではすっかり朔掩の生徒となっている。何処で習ったのだろう、と利広は考える。
朔掩は自分のことを語らない。興味津々に根掘り葉掘り聞くとしどろもどろになってはぐらかされてしまう。それに、彼は聞き取りと話すことが出来ない、といったが、彼とはじめてあったとき、人妖に襲われた小屋で熱にうなされながら、確かに言葉を交わした。
利広はそれを他の誰にも言うつもりはなかったし、朔掩に聞くつもりもなかった。
それを聞くと、朔掩がここを去ってしまうような気がした、というのもある。
朔掩は鬼のように強かった。月並みな表現ではあるが、それが相応しいと利広は思う。人ではないような強さなのだ。ただ腕っ節が強いだけとは違う、そんな強さだった。
言語も習得した彼は何処に行っても生きていけるだろう。利広は彼が、何処かに行ってしまうのではないかと、そんな気がしていた。
「……何か、用なのか?」
ふいっと本から顔を上げた朔掩が眉根を寄せて問う。利広がずっと何をするでもなく朔掩を見つめていたせいだろう。特に用があったわけではないのだが、聞かれてみて、そう言えば、という疑問を口にして見ることにする。
「朔掩って、髪の毛染めてるの?」
「染めていないが」
「なんか、段々黒くなってきてる気がするんだけど、」
「そうか?」
そう言いながら彼は後ろで一つに束ねている髪の毛を掴んで弄ぶ。彼に会った時はその髪の毛はもっと白っぽい、乳白色だった気がするのだが、今の髪の色は灰色だ。日に日にその色は濃くなる気がする。
「……まぁ、髪の色が変わることもあるだろう」
「そんなこと聞いたこと無いけど」
「そうか」
まるでそんなこと気にしても居ない、という風に再び本に目を落とした朔掩に利広はため息を付いた。
利広は思うのだ。もしかすると、彼は人間ではない何かなのではないのかと。

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