【強いんだな。】

かつかつ、と黒板にかかれた文字に、それほどでもない、と答えて、あれでよかったのか?と朔掩は未だにショックが抜けきらない様子の利達に聞いた。

【父さんがいれば、あんなことにはならないんだけれど…僕の責任だ…すまない】

利達は申し訳なさそうに頭を垂れる。それに朔掩は気にしない、と敢えて言葉にした。正しく発音できているかは疑問だが、それは利達にきちんと伝わったらしい。

利達が何か言おうとした時の事だった。街道が突然騒々しくなる。カンカンカンカンという狂ったような金の音に人々の顔に緊張が走る。何事だろうかと首を出す。門の方からかけてくる人が妖魔だ、と叫んで、街道は阿鼻叫喚になった。
どうして、と誰かが悲鳴のような声で言った。
後を追うように響く赤ん坊の泣く様な声に人は狂乱した。

しっかりとした扉のある家に殺到する人間。それは、この宿屋も例外ではなく道行く人間が駆け込むのをなんとか誘導しながら朔掩は利達の指示通りに扉を閉めようとするが、人の波に押されて上手く行かない。

その中でふと面を上げた利達が、呟いた。

「父さん」

朔掩は視線の方向に旅の姿をした人間を見つけた。
はやく、とうわごとの様に叫んだ利達の声を嘲笑うように妖魔が姿を現した。
一匹ではない。

早く締めろ、と中に入った客が熱にうなされたように喚く。

利達が歯を食いしばって、でも、と父親の方へと手を伸ばす。
決断ははやかった。
朔掩は剣を握り人の波から飛び出した。

襲われそうになる利達の父と思しき人間は小さな子供を抱いている。それを庇うように槍をもった人間が巨大な羽根を持った妖魔に槍を突き立てる。男の杖身だろう。
それをまるで楊枝か何かのように羽根の羽ばたきで吹き飛ばした妖魔は猛禽類のような鋭さをもつ大きな爪で杖身の身体をいとも簡単に裂いた。

疾走する朔掩は剣を抜く。ずらりと引き抜かれた刀身が鈍く光った。

ぶうんという音とともに大きな虫のような妖魔がそこかしこの建物の影から出現する。何処から沸いてくるのか。虫は逃げ遅れた人間に飛びついて生けるままに食らいついた。
血臭が強くなった。

それに遅れて狼のような妖魔が数匹現れる。

彼らは容赦なく逃げ遅れた人間を喰らう。格子のない窓に飛び込み人間を引きずり出す。

一瞬にして人の行き交う街道は妖魔の狩り場になった。

最後の杖身の首が胴から離れる瞬間、駆けつけた朔掩は妖魔のその脚を一刀のもとに斬り捨てた。足を亡くした妖魔が絶叫する。
かけられた杖身の首とともに切り離された脚が落ちるよりも、痛みにおののいた妖魔が羽ばたくよりもはやく、妖魔がその羽根で飛び立つよりもはやく朔掩は犬のようなその首を落とした。
今は肉塊となりふきだした血に濡れた杖身に守られていた男の手を取り、宿屋へ向かおうとする。男は何か朔掩に訴える。
早口のそれは朔掩には聞き取れない。

子供を抱いて動かない男に朔掩は焦り舌打ちをする。振り向きざまに飛びかかる虫の姿をした妖魔を斬り捨てる。

巡らせた視線の先でこちらを呆然と眺める利達に別の妖魔が迫っている。

後から後へと踊りかかる妖魔に朔掩は腹を括った。

実のところ、三日三晩かけて、王を抱えて飛んだことによる消耗は回復していない。翼を出す事の対価と云うもので十全で戦うことが出来ないのだった。
それに、基より人助けなどをすすんで行うなどするという考えはなかった。(自分の命は自分で守るものだから)
が、しかし。自分に襲いくる妖魔に気付かずこちらを見る利達も、子供を抱える彼も父も自分に対しそれを望んでいた。
どこまで出来るか、最低限自分の命を守れるか保証はないが、やらねばならないらしかった。

一度、捨てた命だ。

朔掩は笑った。

あいた手で死んだ杖身が落とした槍を拾う。

腕の筋肉を限界までしならせる。
鈍った身体がみしりと音を立てた。
全身の筋肉を使って槍を投擲する。ごう、と空気が割れて唸り、伏せた男を掴もうとした鉤爪を刈り取る。尚も回転の加わった槍は肉を弾いて直進する。
足元を暗す影に、空から迫った別の妖魔の顎門を開き切る前に横ざまに剣で裂く。

地面を蹴る。 翼を持った妖魔が地に落ちるその前に、その巨体を駆け上がる。

鉤爪を吹き飛ばした槍が利達に迫っていた妖魔の脳天を貫いて地に落ちた。

飛び上がった先で仲間の異変に上空へ逃げようと、羽ばたいた妖魔の羽根を切り落とし、のたうつ頭に飛び乗った。

その身体に刺さっていた槍を引き抜いて腕周りで回転させると、飛びかかろうとしていた虫が粉砕される。その槍を眼球目指して突き立てて飛び降りる。
着地の場所は狼のような妖魔の真上で、足元で頭蓋が潰れて腐ったような脳漿が飛散した。

「扉を閉めろ!」

その言葉に反応したのは利達ではなく宿に逃げ込んだ人間で、焦ったように扉が閉まる。それを確認してから、朔掩は再び剣を構えた。

あとは、血の乱舞だった。

襲い掛かる妖魔を的確に仕留めていった朔掩は人間の呻き声の充満する中に一人立っていた。

刀身の血油を払ってから朔掩は呆然とこちらを見る男に近付く。

「傷、無いか」

拙い発音の朔掩の問に男ははっと気づいて足を捻った、足を示す動きをつけてゆっくりと答えた。なるほど通りで動けなかったのか、と得心する。
それを聞きながら朔掩は自分の着ている服を少し破ってそれで自分の腕を縛る。
かかっているのは返り血ばかりではない。一番深い左腕の少しえぐれた傷を止血する。こんな雑魚相手に怪我など、相当なまっているらしい。(鍛え直さなければ)
朔掩は男に手を貸し、彼が守っていた子供を抱きあげた。

「君は、」

真っ直ぐに宿に向かう朔掩に足を引き摺った男が問う。

「朔掩。貴方の息子が雇った、杖身」

簡易な説明に男は納得したのかにこっと笑って、(その笑は利広によく似ていた)(なるほど。血は繋がらずとも親子は似るらしい)自分のことを紹介した。

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