こざっぱりとした室内に通された朔掩は簡単に利広に教わったばかりの言葉でたどたどしく自己紹介をした。
筆談が必要だ、と言ったらそれならばといって女性が青年に何かを言い付ける。青年は自分をちらりとみてから軽く頷くとどこかへ駆けていった。


女性は明嬉と名乗った。

青年が持ってきたのは少し大きめの石板だった。それに石灰を添えて差し出される。成る程、筆談にぴったりだ、と思いながらありがとう、と言った。

巧から逃げてきて利広に助けて貰った次第を話すと、明嬉は眉を暗くした。

あそこは海客に対して厳しいから、と書いて大変だったね、と書いてみせた。

少し遅れて利広が飛び込んでくる。

「朔掩はとっても強いんだよ!」

何度も道中で聞いた言葉を言った後、利広は楽しそうに朔掩が妖魔を倒した話をしだした。それから、利広は朔掩を家で雇う、と言い始めた。

それに青年がくってかかる。

「うちにそんな余裕はない。また税が上がったんだ。これでもう…」

早口にそして朔掩の知らない単語のオンパレードになっていく青年の言葉に朔掩は聞き取るのを諦める。
官の腐敗もこの数年でかなり進んでいるようだ、と朔掩は思う。こんな寂れた港街にも、腐敗の魔の手が伸びる。しかし、辺境にあるからこそこの程度なのかもしれない、とも言えた。

兵が少ない、というのは即ち官の目が行き届いていない、ということだ。そうしたら普通は街は無法地帯になるものだが、と考えて、先程見た杖身を思い出す。

成る程、と朔掩は思った。
官の目が届かない分、自警団を組織する、ここはちょうど舜と漣の中継点。船団の荷物の取り次ぎ警備をして稼ぎ税にあてる。わざわざ妖魔の多い奏を通ってまで、とも思われるが舜と漣にも国交が無いわけではない。奏、次いで巧が倒れた今、これまで以上に盛んになるかもしれない。

あくまでも、かもしれない、ではあるが。


これで舜か笵が倒れたら国交は無くなるだろう。その時、今の税を払えるか、と言われれば不可能である、と思わざるえない。


「それでいいのかい?朔掩は?」

いきなり話を振られて朔掩は思考の海から浮上する。

聞き取れなかったのだ。何がそれなのかわからない。

首を傾げると青年がため息をついて石板を引き寄せた。

【うちは、あんたに給金出来ない。あんたがうちの手伝いをするかわりに住む場所と食事を提供する。】

いつの間にそんな話にと思いつつ、給金はなくても寝床と食事があるのならそれでいいな、と思いながら、かまわない、と書いてみせた。

不当に雇っているようだ、と青年は不満気だったが、屋根があって食べ物があれば十分だ、と朔掩が書くと、明嬉と青年が揃って暗い顔をした。


「利広!お前がさぼった分はしっかりと働いてもらうからな!これから1週間浴場の掃除はお前の仕事だ!さぼったら承知しないぞ!」

「いつから兄さんはこの宿の主になったんだい?」

「今は父さんが隣町まで連合の話で出ているんだ。その間は僕と母さんで決めてるんだ!まったくお前はこの忙しい時期に…」


利広に分は無いものだった。その様子に首を竦めて、はた、と扉を見る。

そこからひょっこりと十ほどの少女が顔を出す。

少女は利広の姿を認めると、利広の名前を呼びながら利広に飛び付いた。


利広は少女を文姫、と呼んだ。

【妹か?】

と書くと青年は頷いて文姫、と書いてみせた。そして少し考えるようにして、利達、と書いた。

成る程それが名前か、と納得しつつ、読み方を聞く。
少し恥じらって、利達、と読み上げた利達に明嬉が声をあげて笑う。

利達はあっという間に朔掩に背を向けて何が利広に言いながら走り去る。


にぎやかだ、と朔掩は思った。
利広がこの家を飛び出す理由は無いように思えた。



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