ぴん、と空気が張り詰める。
どこからだ?上か、それとも、
がしゃんっ、と言う音がして男の真後ろの壁が割れた。瓦礫と共に鋭い爪を持った鱗に覆われた手が飛び出す。
それと同時に朔掩は男を押さえ付けた。
鋭い爪に何もかからなかったことを知ると、手は辺りを探りながら引いていく。
朔掩は身を起こして穴をにらみつけた。
穴の内部を知るために、金の目が穴を覗き込む。
朔掩がその目玉目がけて手を伸ばしたのと、それに気付いた妖魔が身を引くのとはほぼ同時だった。
妖魔の瞼を朔掩の爪が掠める。
僅かに緋が散った。
外した。朔掩は瞬時に身を引いて、小屋の壁である土塀をけやぶって妖魔の後を追った。
月明かりのもとへ躍り出た朔掩が見たものは、青白い肌の女の上半身が付いた蛇の巨体だった。
人妖は血の流れる上瞼を気にしながら朔掩の様子をうかがっている。
もう少し深く刺さったかと思ったのだが、かすり傷程度の傷しか入らなかったらしいことに朔掩は舌打ちする。
この巨体だ。剣があれば別だが、急所を突かなければ勝ち目は見えてこない。
妖魔がしっかりと朔掩をとらえて身構える。
朔掩は体を緊張させた。
伸びてきた爪のある手を踏み台にして、思う様にこめかみを蹴り飛ばした。
蹴り飛ばした足がみしみし、と音を立てる。
強度ではこちらが劣るのだ。
その足を食い破ろうと動いた妖魔に、朔掩は体勢を捻って跳躍して避けた。
これだけの力差があるのだ。普通なら逃げるところであるが、自分一人ならまだしも、もう一人をつれて逃げることは出来ない。飛べたならばまた別であるが、まだ疲労が激しく飛べるだけの体力はなかった。
そうして、こちらを呆然と見る男の手に抱えられた剣が目に入った。
それだ!
『その剣を投げろ!』
怒鳴り付けると男は目を白黒させながらこっちを見る。
妖魔の攻撃をバックステップで避けながら、もう一度叫ぶ。
男が聞いたことのない……いや、正確には、この世界に来たときに会った人たちが話していた言葉で、何かを叫んだ。
……仙籍を外されたのだ。
当然だ、とは思ったが、こんな時に、とも思った。
通りで、妖魔に生身で勝てないわけである、と思った。それがこの世界の断りであることを朔掩は理解していた。
同時に、言葉か通じないのであれば、他の方法をとるしかない。
地面を強く蹴って跳躍する。然程遠くへは飛べなかった。やはり、記憶を無くしていた数年で、筋力がかなり落ちている。ふつうに年を重ねたのであれば、もっと筋力が落ちているはずだが、そこは仙籍に入っていたからか、生活に支障のある程度ではなかった。しかし、今の状態においては、致命的であった。
思っていた半分も飛べなかった足を叱咤して、引きつった顔の男に駆け寄って、男が抱えたまま抜いてもいない剣を奪い取って鞘を払った。
その刃の呪の刻印が月明かりに照らされて怪しく光った。
その刀身を眺めて、朔掩はにいっと笑った。
自分に向かって飛んでくる手をひらりひらりと避けながら、妖魔の懐に飛び込む。
そしてそのまま、剣の重さと勢いに任せて、首を跳ねた。
吹き出す血を飛び下がって避けて、辺りに漂う血の匂いに顔をしかめた。
ここを離れなくてはならない。加えて、言葉は通じないときた。
さて、どうしたものか、と思いながら男を振かえる。
呆然と痙攣する妖魔の巨体を見る男に、朔掩は溜め息をはいた。
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