雨と蓋


ぽつりと音をたてて地面を濡らせば、またひとつそれが増えていった。みるみるうちに地面の色が変わり、やがて耳に響く音がそれだけになってゆく。

雨だ。空ではなく地面を見て沖田はそう思った。周りの人間は突然の雨に小走りでかけてゆくのに対し、沖田はそのままマイペースに歩みを続けている。傘もない、屯所までまだまだ距離のある場所。見回りをサボった罰だろうか。そんな考えが一瞬よぎったが、それはまだ分からないと沖田は思う。だって雨には良い雨と悪い雨の二種類あるのだから。

雨が降ると、土方は仕事以外の事で外出しない。仕事でも引きこもりがちだというのに、たとえ非番の日だろうと雨が降れば外出を避けるのだ。これは武州にいたころから変わらなかった。土方はどうにも雨が嫌いらしい。鬱陶しく纏わりつく水分にイライラすると漏らしていたのを沖田は覚えている。短気な人だ、とその時は応えてやった。

だから雨の日は何処にもいかない。何処にもというより、女の元に行かないという事実が、沖田にとって重要だった。雨が降れば女の元に行かない。だから、それは良い雨。土方を閉じ込めてくれる、好きな雨。

ただ、そうでない場合がある。それは土方が外に、女の元にいる時の雨だ。土方は雨が嫌い。だから、雨が降れば外に出ない。つまりは、帰ってこないのだ。女の元にいた場合、そちらに閉じこめられてしまう。それが沖田は大嫌いだった。だからこれは、悪い雨。

今日はどっちだろう、黒ずんだ雲で覆われた空を見て沖田は思う。もしもすでに出掛けているのならまず帰ってこない。だけど、屯所にいるのなら。今日はもう外出する事はないだろう。

沖田は屯所の方角へと足を早めた。相変わらず傘をさしていないその姿は、すでに水分の塊となっている。ぽたりと髪から垂れる雫が、冷たく頬に流れた。





「沖田さん?あー、また傘忘れたんですかぁ?」

全身水を纏っているというのに平然とした沖田を見るなり、山崎はバタバタと駆け寄ってタオルを被せた。沖田が雨の日に傘をささないのはいつもの事で慣れているが、小言を言うくらい当たり前だとも思う。風邪をひかれては組として困るし、何より山崎自身がパシリとして使われるのだから。

「もー、コンビニで傘くらい売ってるんですから、買えば良いでしょう」

「嫌でェ。あんなちゃっちいビニールにぼったくりな値段出せるか」

「300円くらいじゃないですか…」

はあ、と溜め息をつきながら山崎は沖田の髪をごしごしと拭く。沖田に常識を問うても意味がないとは知りつつ、やめられないのが山崎の優しいところだ。

「…なァ、土方さんは?」

「ああ、副長なら…」

言いかけて、途端ドシドシと乱暴に歩く音が二人の耳に入った。ふわりと香る煙草の匂いに、沖田は僅かに嬉しそうに笑う。沖田に自覚があるかは分からないが、山崎には筒抜けだった。こうして雨に濡れて帰ってくるのも、きっと土方に気にかけて貰いたいからなのだろう。山崎はそう考えて少し顔を歪めた。これが自覚なしでやっている事ならば恐ろしくて、心配せずにはいられない。

「…総悟ォ、傘をさすってガキでも出来る事がお前はまだ出来ねぇのか」

「やだなァ土方さん。出来ないんじゃなくてやらないだけでさァ」

「余計悪いわァァ!!」

土方の怒鳴り声に沖田は全く動じず、いつもと同じく飄々としていた。土方は先ほどの山崎と同じく溜め息をつき、沖田の頭に被せられたタオルを乱暴に動かし始める。

「うわっもっと優しくして下せェよ」

「我が儘言うんじゃねェバカ。ほら、風呂場行くぞ。山崎、総悟の着替えもってこい」

土方は沖田の手をとり、強引に風呂場へと連れてゆく。そうでもしなければ、濡れたままの姿でいつまでもいそうだからだ。甘やかしすぎだな、とも思うが、放っておけば何をするか分からないのだから、しょうがないだろう。土方は自分にそう言い訳じみた事を思いながら、冷たい沖田の手をぐいぐいと引っ張ってゆく。

水を含んだ隊服が屯所の廊下を濡らしていたが、それを掃除するのは自分なのだろうなぁ、と山崎は呆れながら、上司の言うとおりに着替えを用意しに小走りでかけて行った。

「もう風呂入っちまえよ」

「俺ァ飯の後に風呂って決めてるんで」

ぴちょぴちょと歩くたびにする水音が気に入ったのか、沖田の無遠慮な歩きで廊下は盛大に濡れてしまっていた。土方はあまり気にせずに脱衣場まで連れてゆくと、濡れた隊服を脱がしにかかる。まるで母親のようなその行為に、土方は苦笑いを浮かべた。

「土方さん、仕事は?」

「もうすぐ終わる」

「…ふぅん」

すっかり冷えきった沖田の体を大きめのバスタオルで拭う。さすがに下着までは剥ぎ取らないが、それ以外は土方の手によって脱がされるというのに、沖田はいつも抵抗など何もなかった。面倒だからなのか、やってくれるならそれで良いと思っているのか。どちらにせよ甘やかしすぎだと土方は自分にため息をついた。

「ていうか何で毎回濡れてくるわけ」

「今日は良い雨なんでさァ」

「は?」

問いかけに全くの違う言葉が返ってくるのはもう慣れていたが、それでもハテナマークを浮かべざるを得ない。

土方が怪訝そうに眉をひそめていると、沖田がふわりと土方に寄り添った。

「良い雨だから、濡れたって構わないでしょ」

ぴとりと土方の胸におさまるが、土方の両腕がそれを捕まえてくれる筈もなく、ただ沖田の冷たさだけが土方に伝わる。

良い雨。土方を閉じ込めてくれる雨。だから、濡れて帰ればこうして相手してくれる。

「…意味わかんね」

土方が呟いたそれは、しんとその場に響いて消えた。

土方は知っている。沖田の気持ちを。そしてそれがあってはならない感情だということも、知っているのだ。だから沖田を抱きしめる事なんて出来ない。沖田の言葉の意味なんて知ってはいけない。自分の感情も全部、蓋をする。それは紛れもなく、まだ幼い彼のため。

「ほら、はやく着替えろ。風邪ひくぞ」

「……へーい」

沖田はのそりと体を動かして、山崎の用意してくれた着替えに袖を通す。それを背に、土方は拳を強く握りしめていた。

蓋を開けてはいけない。たとえ溢れようとも。

end

土方さんも沖田が好きだけど、同性だからという理由で沖田の気持ちに気づかないフリをしてるっていう。

男同士の葛藤が好きです(…)

(110219)

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