包帯越しの配慮
今日は捕り物があった。幸い、大きな問題も無く終わったが、副長ともなれば事後処理に追われるのが当たり前で。ようやく屯所に帰っても、関連の書類が山積みだった。いつものように自室でそれをこなし、一枚一枚目を通して判を押し片付けてゆく。いつの間にか夜も更けていた。少し虚しいが、これが仕事なのだから仕方ないだろう。
それにしても、負傷した右腕の包帯が少し疎ましい。今日の捕り物で情けなくも負傷してしまったのだ。負傷、といっても少し刃が掠った程度だが、ばい菌が入らないようにとかなんだかで山崎が巻いたのだ。全く持って大袈裟だが、自分だって総悟が怪我をしたら大袈裟に治療するか、と苦笑いを浮かべた。
山積みになっていた書類も後少し、先が見えて来た頃。突然ガタリと戸を乱暴に開ける音が響いた。
「ひーじかったさーん」
その軽い声に、ぴくりと眉を動かす。へろへろに歩く総悟が、すとんと俺の隣に腰を下ろした。どうやら珍しく酔っ払っているらしい。酒の匂いと紅くなった頬、くにゃりと緩んだ口元がそれを現していた。
「んだよ、お前呑みに行ってたのか」
こちとら事後処理に追われているというのに、と少しムッとしたが、捕り物での総悟はいつものように活躍してくれたので余計な口は挟まなかった。第一、総悟に事務的な仕事など望んじゃいない。
「いやァ屋台の親父が聞き上手でねェ、つい飲み過ぎちゃいやした」
その年で屋台飲みとはやはり肝が据わっているというかなんというか。きっと屋台の親父に俺の愚痴でも零していたのだろう、あることないことをべらべらと。そんな光景が簡単に浮かんで少し嫌気がさした。総悟のことだ、俺の悪評を振り撒いたに決まってる。只でさえ鬼だのなんだの言われてるというのに。はあ、と溜め息を零せば、総悟はへらへらと憎らしく笑って、あっアンタの幸せ一個逃げやしたぜざまあみろィ、なんて言う。だからデコピンでもくらわそうと思って、総悟の額を右手の中指に渾身の力を込めて弾いた。思いのほか良い音がした。
総悟はいてっ、と小さく漏らして唇を尖らせる。しかし、ちらりと俺の右腕を見ると、その表情をムスッと難しい顔に変えた。
そして倒れるようにぽすり、俺の膝の上へ頭を預ける。ずん、と総悟の重みと、柔らかい髪が少しくすぐったい。
「…なに、重いんですけど。邪魔だし」
「んー…」
しかし退く気はないらしく、総悟はそのまま俺の膝の上で心地よい場所を探そうともぞりと動く。落ち着いたのか、ぴたりと止まると少し目を細めた。
そしてそろりと、出来立ての傷を総悟の指がなぞる。包帯越しにぴしりとした微かな痛み。
「…あんたはダメですよ、怪我とかしちゃァ」
酔っ払いにしては嫌に真面目そうな声色に、下を向いて総悟を見やる。
副長のくせにくだらない怪我など情けない、とでも言いたいのだろうか。しかし総悟が言いたいのはそうではないらしい。
「俺はね、代わりがいるから良いんです。でもアンタの代わりはいないでしょう」
むちゃくちゃ、だった。総悟の言葉は相変わらず唐突で理解が出来ない。だって、総悟の代わりなどどこにいようか。ひょっとしてこの子供は、自分の代わりはいるからいつ死んだって良い、そのくらいに思っているのだろうか。いつも存分に暴れる理由がそんなものだったら、そう思うとぞくりと寒気すら感じる。
「俺ァ剣しか能がありやせん、だから俺が死んだって剣の腕の立つ奴を隊に入れれば良いだけでさァ」
なんなら旦那でも勧誘しなせェ、そう繋げた総悟に、自分でも分かるくらい眉に皺を刻む。何が気にくわないかって、全部だ。そんなふうに自分を道具としか思っていない総悟も、信頼されている万事屋も。だって総悟の代わりなどいないのだ。剣の腕だけじゃない、人間として誰かの代わりなど有り得ない。近藤さんの代わりがいない事と総悟の代わりがいないことは同じなのだ。だけどこの子供はそれを良しとしない。剣しか自分の理由などない、そう思っているのだ。なんて馬鹿なんだろう。近藤さんが、隊士たちが、俺が。どれだけ総悟を必要としているかも分からないのだから。
「だから、勝手に怪我なんてしちゃ駄目ですよ」
どうすればこの子供にそれが伝わるのだろう。剣が無くたって総悟が大事なことに変わりはないのに。きっと総悟は分からないのだ、自分が愛されている事を。もしくは剣の腕を重宝されているだけと認識しているのか。どちらにせよ、馬鹿なやつだ。自惚れではない、事実なんだから。
「総悟、」
「…ん……」
反論してやろうと名前を呼ぶが、返ってきたのは言葉にならない音だけだった。眠ってしまったのだろうか、総悟は酔ってとろんとした瞳を閉じている。散々好き勝手言って寝るなんて、マイペースというかなんというか。とりあえず溜め息が出たのは言うまでもない。
「…総悟」
瞑ったままの瞳にかかる前髪をそろりと退かして、総悟の耳元へと言葉を落とす。
「…俺はお前がいなきゃ駄目だよ」
早く分かってくれたら良いのに、そう思って白い肌に跡を残した。
end
沖田は自分の存在理由は剣だけだと思ってる。でも土方さんはそうじゃない、だから怪我なんて許さない。
(110805)