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「私は、気が触れているのかも知れない。」

 そう、彼の声は降り落ちる。
 彼自身が何より分かっているのであろうが、紛うことなく彼は気が触れている。暑さとこの四畳半という狭い世界のおかげで、彼の申し訳程度の脳味噌は流れ出てしまったに違いない。僕と言えば古惚けた畳に背を預け、視界には汚れた天井と何時になく真摯な顔の男ばかりが入り込んでいる。畳へと僕の手首を縫い止める手が、まるで痙攣のように震えていることには知らぬふりをした。

「こんなことして、僕とセックスでもしたいんですか。」

 熱に浮かされたような視線は、心臓にぽかりと穴をつくることすらできてしまうのではないかと思うほどに熱い。その上、穴をつくるだけでは飽き足らず、僕のひか隠しにしている皮裏に触れようと企んでいるかのように思えた。そんな視線を受け止めることなど到底出来やしない。
 僕はせめてもと外方を向き、畳の目を数えることに没頭した。しかし、妙な熱を孕んだ視線は変わらず僕の肌を撫でる。手首には、未だ痙攣するような手が重なったままであった。

「小津……私はお前が」
「ああ、やだやだ。なにマジになってんですか。この話は終わりです。ね。」

 乾いた笑い声が酸素と共に揺れる。
 掌を押しのけ、上体を起こす。彼は息を殺したような熱い視線を此方に向けているが、また知らぬふりをして余所を向いた。そうして淡々と、彼の箍が外れることを待ち焦がれているのである。
 彼は、セックスをしたいのかと問うた時点で僕の皮裏を読んでいたのかも知れない。気が触れているのは、随分と前から僕の方であった。





それは満ちた夜を切開するような
20110401
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