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 食事を摂るときにあまり言葉を交わさないのは、自分の食事もよそにジャイロの食べる姿を眺めているからだ。その口元へ運ばれている料理が動物の死体や植物であるということを、その姿を見た者に連想させることはない。彼の食事を摂る姿は、とてもうつくしい。

 古宿のわりには小綺麗なつくりをした部屋は、レースでの疲れをいくら注いでも底は抜けない。ベッドの上で急速に泥に成り果て眠った僕らをまた人へと形成させたのは、夢のすきまに入り込んだ朝餉のにおいだった。昨夜のどろどろに汚れた僕らを好意的に受け入れた宿の主人だったが、料理まで用意されていることにふたり顔を見合わせ驚く。備え付けの机にはさも定位置のように、肉を中心とした料理がすでに並べられていた。夕食を摂る間もなく眠った分、いつもよりも動員の多い腹の虫が騒ぎ立てている。
 しかし食べ始めたのも束の間、いつもの彼の姿を見て腹の虫は四方八方に散ったらしく静かになった。手元にはフォークが刺さったままに行き場のない肉片が、いつものように残っている。

「物を食べてるときばかりは育ちの良さを実感するよ」
「そんなこと言ってる暇があるなら、さっさとそれ食っちまえ」

 手にしているナイフであしらうような動きを見せ、また目の前の料理へと意識を戻す。その姿が僕の食事をする速度を遅くさせていることに気づいているかどうかなど知る由もないが、またいっそ神々しいまでの真摯さで満ちた手先が、肉を切っては口へと運んでいる。その先で奇天烈な加工を施した歯が、繊維をやさしく壊す様子すら想像するに難くない。彼の血や肉へと変貌する食事には、羨ましさすら感じさせるほどの慈愛が込められる。
 しかし僕は、食用肉にはなれない。

「いっそ僕のことも、その料理みたいに食べてくれたらって思うよ。」
「……残念ながら、人を食べる趣味はなくてね」
「あったらあったで困るさ」
「そりゃそうだな」

 普段の剽軽な笑い方をしている今ですら、慈愛にまみれた手が肉を切り離す。ナイフの上に添えられた縦に長く形の整った爪にぼやけた焦点を乗せ、もう血肉になることはない冷えた肉が残ったフォークを皿の脇へとあずけた。
 片肘をつき、何気なく焦点を彼の顔へとずらす。ぴんと張った、ヘーゼルグリーンの視線とかち合うのが分かり、背骨からかけのぼる緊迫に全身が凍てついた。視線すらもじっとりと固められ、逸らすことはかなわない。すさまじいほどの美だった。

「おたくがなにを考えてようと、俺は知ったこっちゃあねえけど」
「……ああ」

 彼の手にあったナイフとフォークは知らぬ間に、少し料理が残った皿の脇に置き去りにされている。
 発色の良い虹彩が左に流れ、手元へと視線が這い上がるのを感じた。ナイフにあてがわれていた指が僕の手をもたげ、手首に音もなく唇を寄せる。薄く縫い止まっていた瞼がゆったりと開き、またあのすさまじい発色をした虹彩がこちらへと向いた。

「もし俺が人肉嗜食だったら、どうしてると思う」

 つまるところこの憎さは、無条件に愛を与えられることへ向いていた。それがいくら食事として組み込まれたものだとしても、彼が灯す愛であるということだけに価値があった。しかしもう、博愛は必要ない。食用肉になれないことを嘆く必要もない。もし彼が人食いだったとしても、わざと僕を食べないのだから。
 相も変わらずうつくしい動きで、彼は残り少ない料理に手をつける。





おわりのキッチン
20130107
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