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 寂れた街のホテルで迎えたのは、死んでしまいたい朝だった。
 まだ寝息を立てているジョニィは、昨夜の記憶を抱いたままに僕へ背を向け眠っている。清潔なシーツとひとりきりの空気を見計らったように、背徳が食い込むのを感じた。

 せがんだのは、僕だった。
 いつからか、彼の双眸の中で捕らわれている僕は愛撫のような匂いを纏っていた。それは僕の双眸に捕らわれた彼もそうであったに違いない。しかし互いの沈黙のなかで、双眸に棲む愛撫をおもてへ引きずり出さないことを約束していたように思う。僕らは異常さに蓋をしたまま、すべてが引きずり出されてしまう夜が、せめて明日でないための作業を繰り返していた。そして、僕がミスをしたのが昨夜だ。
 隣の剥き出しの背にある焦がれた傷口には、息を殺した僕の恋が色濃く沈んでいる。それを作った主犯である指先を差し向け、そのいびつな傷口を撫でた。

「俺ばっか、辛えみたいじゃねえか。」

 いつからかレースの終止符は剣のような鋭さを覚え、喉元へ向かっているように思えて仕様がなかった。その終止符がしっとりと悲しみに変形していく様を、ただ横目で眺めることしか適わない。皮膚と変形した終止符とのあわいは、次第に消えてゆく。僕は焦燥にも似た感情を持て余していた。

「ぼくだって辛いさ、ジャイロ」

 死にかけの火を灯すような、慎重さと柔さを併せ持つ声が狭い一室にしとしとと満ちる。少しばかりの沈黙を経て振り向いた彼のまばゆい髪が、しどけなくシーツに広がった。

「……悪趣味だぜおまえ」

 もったりとした青い瞳の奥には、相も変わらず愛撫の匂いを纏う自分が見えた。思わず、臓器から迫り上がるような熱さに目を反らす。彼の存外華奢な五指が、視界の右端へと逸れて頬に触れる。そのつまさきから染み入る彼の体温は、目を反らしたくなる熱に似通っていた。
 彼の色素の薄い虹彩を隠すように瞼を綴じて笑む様は、嫣然と形容しても何ら遜色ない。ただ彼は美しかった。

「君はただ、僕を好きだって言うだけでよかったんだ、ずっと。簡単だろ。」

 沈黙のなかふたりで育てていた約束は、随分と前から薄れていた。人工的な愚鈍さで何もかも知らないことにしてしまう癖がついたのは、いつだったか思い出す事すら出来ない。
 頬に触れたままの彼のおやゆびが、辿々しげに下唇を撫でる。台詞を促すような動きには、恋人に対するもののような甘さを湛えていた。喉元へ突き立っている終止符への焦燥が、しずかに死体となる。

「まあ、おまえさんに好きなんて言うのはごめんだね。」

 やわらかなそら言を食い殺すようなキスだった。
 いっそ、もう死ぬはずだったこの朝へ何もかもを置き去りにして、構わず誰もいない場所へ連れ出してくれやしないか。





手つかずの世界/椿屋四重奏
20110829
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