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 沈んだ色を帯びた夜空は今にも地面すらをも飲み込んで、世界を断絶させてしまう力を備えているように思えた。まだらにこぼれた星々が、鼻先にまで迫るような澄んだ夜。辺りには、乾いた土の柔らかなにおいが充満している。ヴァルキリーとスローダンサーの蹄が柔い土を撫でつける音すらも澄んで聞こえた。

「ジョニィ、今日はこの辺にしとくか」

 夜風に混ざる受諾の声を聞きながら、一夜を過ごすためにと起伏の少ない場所を探しながら歩く。踵と地面の間で幾度と無く、ぐじゃりと砂が圧死してゆく痕が点々と残っていた。
 疲れた表情を滲ませていたジョニィを愛馬と共に端へやり、僕は穏やかな地表をベッドにするための準備を施す。彼と言えば、沈んだ色の夜空をその薄い瞳に落とし込みながら、ぼんやりと疲れを夜に溶かしているように見えた。隣には彼同様に疲れたであろう愛馬たちが、側へ熾したばかりの灯と共に長い睫をゆらしている。
 じわりと空気を巻き込んで、僕に寄り添うイタリアン・コーヒーの薫りにひそやかな安寧が満ちる。コップへ夜をそのまま逃がしたかのようなコーヒーに、砂糖を加えたものを彼へと差し出した。

「焦んねえで良いんだ、今晩はのんびりしようぜ。」
「……ああ、すまない。」

 さぞ申し訳ないといった表情にコーヒーへ向けた礼をひとつ付け加え、手の中に収まっている夜は静かに揺らぐ。そのコーヒーへ彼が口を付けたのを見届けて、自分の分にと煎れたコーヒーを伏し目がちに嚥下した。



 喉元に未だ残るコーヒーの薫りを楽しみながら、ベッドへと化けた地表へ背を預ける。火を殺してから暫く経ち、パノラマの夜が次第に視界を蝕んでゆく。まばゆい粒が呼吸をするように光るのを眺めていた。
 不意に彼を一瞥すると、その薄い虹彩につややかな光が滑るのが見えた。その光の奥に、自分が映し出されいることを理解するのは存外時間のかかるものである。

「……何だ。」
「それは僕の台詞だけどね」

 上体を起こし、ざらついたベッドを這って僕へと寄る。爪の再生を助長するために摂るハーブが土のにおいと混ざり静かに香ったかと思えば、彼の五指が持て余した熱を落とすように頬を撫でた。その指先には、僕らには似つかわしくないほどの甘さがともる。
 やり場のない視線で掠めた彼の双眸の奥で、甘くただれたような感情が不躾なほどに鋭利な理由は、ゆるい夜の熱に冒されたからだろうと思った。
 彼同様、その甘いただれの名前を知っている。しかしこれまでの数年余り幾日の人生で作り上げたものと比べると、ありありと異物感を垂れ流しているのだ。

「ジャイロ、きみを美しいと思った。」

 飾りを殺した声を静かに震わせ、ほだされるような甘いただれを僕へと差し出す。最中、頬に添えられたままの彼の手を引き寄せ、浅ましく慈愛を模したキスをした。

「なあ、お前さん疲れてんだ。今日はもう寝な。」

 体を反転させ、僕を守るための行為を正当化しながら下ろした瞼に甘いただれを飼い慣らす。そして、延命された淡い朝を迎えるのだ。明日も。





アポトーシスの夜と傍観
20110714
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