溺れたのは現実

ロキド+キラ


『欲しがりません勝つまでは』

私が心中密かに持ち合わせていました、彼に対する可笑しな気持ちは、たったその一言でいとも簡単に片付けることの出来る、脆い物でした。

いっその事こんな気持ちを抱かなければ、どれ程楽だった事でしょう。今更ながら私が考えた所で、もう何もかもが手遅れなのでした。私は彼のことを心から愛しています。その所思には“何処かの誰彼さん”のような横縞な気持ちは有りません。

外見的にだけでは無く彼本来の残虐性に、暴戻したその内面性に、世界を偏僻した双眼でしか映し出せない哀れな青年に、私の心は格外に惹かれているのでした。

例えば彼が、彼の気質を表す様なあの悍ましい能力で、とある街を丸々一つ潰滅させた出来事があります。
その事に関しまして私は、心中で酷く呆れはしたものの、別して驚きはしなかったのですが、彼が、キッドが、一つの街を潰滅させる迄に至ったその起因を聞いたとき、私は初めて背筋をゾワリ張り詰めた様な、或いは心臓をギリリと何かに締め付けられた様な、そんな感覚に、ただ身震いが止まりませんでした。

「気に食わねぇ」

それが一つの街を潰滅させるに至った彼の理由でした。

何とも理不尽、また利己的なキッドの事理で罪も無い街人達は屠られたのです。
その時に私は、正銘彼は平衡を喪った悪魔なのだと思いました。そんな悪魔に滅入る程惹かれる私も、常に気狂い側へと属しているのでしょう。

しかし、私のこの憧れに程近い愛情云々は、生涯この悪魔に届くことは無いのです。

彼の、キッドの赤い双眼には何時でも一人の男の姿が映し出されていました。その男は、彼とはまた類の違う、残虐性を持った1人の海賊でした

キッドは恐らく、…いいえ、それは確実に、自分とはまた異なる悪魔派の男に心惹かれているのでしょう。

何より、誰よりも彼の一番近くに居る私だからこそ、それは分かり得る事でした。



───────

「なあキラー。トラファルガーから聞いた話しなんだが」

脳裏で心地良く響いていた波の割ける音は、キッドの一言によって掻き消される。

何時からか、キッドは俺の心を踏み弄る様になった。事有るごとに彼は不愉快極まりないアイツの名前を上げて、愉快そうにベラベラと話し始めるのだ。

それはアイツから教えて貰った船路の話や、海峡で流行っているという疫病の話。その度に俺がどれ程歯痒い気持ちになるのか、そんなことなど到底彼が知る筈もなく、他多種多様の大して聞きたくも無い様な雑話を、キッドは引っきりなしに続けるのだ。


「医者って、すげぇんだぜ。俺の知らねぇ難しいこと、何でも知ってるんだ。なあ、お前はどう思う、キラー」

「…ああ、そうだな。」

単純な彼は瞳をギラリと光らせながら俺の姿を映し出す。
それは故意になのか何なのか只苛々は募るばかりだった。

幼少期彼がどのような生活を送っていたかは知らないが、人一倍物識らずで常識に欠ける彼からすれば、医者というのは知識の宝庫なのであろうか

尚更蟠りは膨らむ一方。

俺は馬鹿の様に必死だった。ただ彼のよく喋るこの口を、どうにかして塞いでしまいたい一心だったのだ。

「………!」

俺が突然と押し当てた唇にキッドの言葉は漸く止まる。
それと反射する様に、素早く左側から風を切り飛んできた拳に俺は床へと殴り飛ばされた。マスクのお陰でモロを免れた打撃は、鋼製のマスクにピキピキと深い罅を入れる程の威力を持っているものだった。

「…、…‥悪ィ」

「‥キッド…‥」

粗相に、てっきり叱咤されるものと身構えていた俺は、不意のキッドの憐れんだ様な表情に言葉が出なかった。

赤い眼は揺らぎ僅かな水分を帯びていて、一瞬何かを言いたげに口籠もった眼は哀しそうに逸らされる。バタンと乱暴に開かれたドアから、彼は出ていってしまった。

ドアに向けて伸ばした手の平はものの見事に空を掴む。キッドはあの男の元へ行ったのだろうと、直ぐに理解出来た頭を酷く不愉快に思った。

たた、俺の中でガラリと音を立て確かに、何かが崩れ落ちたのがよく分かる。

俺は今、あの男に負けたのだ。



───────…

『欲しがりません勝つまでは』


もう勝つことの無い私には、欲しがる事すら許されていないのです。それはなんと、哀れなことでしょう。

潮の香りがブワリ、開いたドアの向こうには、もう何処にも彼の姿は有りませんでした。唯一目前に広がるのは水面と空の境、それだけでした。

一部破損したマスクを外し波風に素顔を曝した私は、きっと何かが吹っ切れたのでしょう。何故だか不思議と、迚も清々しい気分なのです。

海と晴天の空色はよく似ています。私には水平線との区別が付きません。しかしどちらの青色も格別に美しく、私は吸い込まれるように船外へと身体を投げ出しました。

─ザブンッ。一際大きな水しぶきを上げた水面は波紋を浮かべ、暫く経つと元の美しい海へと戻りました。落ちる間際のほんの一瞬だけ、彼が名前を呼んでくれた気がしたのは、何とも都合の良い、私の幻聴なのでしょう。

20110518




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