同じ種族であっても互いを本当に理解し合うことはひどく難しいというのに。
異なる星で生まれ育ったあいつの思考は時々、俺の考えも及ばない範疇から更に越えたところに存在するようだ。
その一方、常時単純明快な思考で判りやすい地球人もいたりするから、奴らをあながち一括りにはできない。
思い通りにいかないことに立腹するのは当然なのだが、予想外の出来事を面白く思うこともまた事実だ。
瑣末な事柄であってもそれらをひとつひとつ意識することが愉快で、いつの間にか俺は、あいつと過ごす時間を当然のように受け入れていた。
彼女の用事に付き合い、その帰りに突如雨が降り出したことがあった。
雨宿りの甲斐もなく、それは一向に止む気配を見せない。
こんな時に限ってフライングボードは持ってきておらず、本格的に降り続ける雨に潔く打たれながら、俺たちは帰途についた。
俺にタオルを渡した後で自分の髪を適当に拭きつつ、彼女は浴槽に湯を溜め始めた。
雨に濡れた所為で体が冷えたのだろう、若干顔色が悪く見える。
「クルルも一緒に入る?」
「ク?」
一体何の冗談かと思いきや、彼女は本気で言っているらしい。
何の気負いもないその言葉が俺にもたらした影響など、微塵も考慮していないようだ。
自分の着替え等を手早く用意した彼女は一度脱衣所へ向かったものの、その場に立ち尽したままの俺に、入らないの?と再度尋ねた。
体を浸からせた浴槽からはもうもうと湯気が立ち昇り、冷たい雨とは違う温みを伴った湿気が周囲には満ちていた。
高湿度の場所は体調のコンディションが良くなるし、当然普段よりも快適に過ごせる。
だというのに俺の目の前には髪を洗うミユがいて、だから今の状況にはまるで現実感がなかった。
黒い髪を白く泡立てている彼女の細い指先や、それに続く長い腕や華奢な肩、なだらかな曲線を描いた体を、俺は柄にもなくぼんやりと眺めていた。
曇らない眼鏡は湯気で覆われることなく彼女の姿を映し出しているものの、やはりこの状況は何とも形容しがたい。
やがて白い泡をシャワーで洗い流したミユは簡単に髪をまとめると、俺のいる浴槽に入ってきた。
俺が占領している場所などほんの僅かに過ぎないので、彼女は遠慮なく自分の手足を伸ばしたようだ。
入浴剤で白く濁った湯船に首元までをゆっくりと沈めながら、彼女は大きく息をつく。
それらの仕草をやはりぼんやりと眺めていた俺と目線が合うと、彼女はすっかりくつろいだ様子で柔らかな笑みを向けた。
「クルルは泡風呂に入ったことある?最初は楽しいけど、あれってすぐに泡がしぼんじゃうんだよね」
俺は適当な相槌を打ちながら彼女の話を聞くことにした。
ゼリー風呂はなかなか面白いけど、甘い匂いにつられて食べたくなったとか、浴槽から出る時は足を滑らせないよう細心の注意が必要だとか、そんな他愛のない話を彼女は実に楽しそうに喋っている。
カレー風呂ならあるぜあれは最高だぜぇと俺が乗ってやると、それは珍しくて実にクルルらしいねえと何故か苦笑された。
「なあミユ」
「何?」
「アンタは誰とでもこうやって、一緒に風呂に入るのか?」
何の質問をされているのか理解できないというように、またはその質問の意図を理解できないというように、彼女は目をしばたたく。
「誰とでもではないと思うけど…友達なら入るね。温泉とかで」
「それが男でもか」
「まさか。流石にそれはないよ」
自分の発言の矛盾にも気付かず、何の考えもなしに返されたらしきその答えが気に喰わなかった。
「…じゃあこの現状は何なんだよ」
彼女はどこか腑に落ちないような表情を浮かべながら俺を見つめている。
「だって、クルルは異星人だから」
この時俺が抱いた感情は、俺自身にも理解し難いものだった。
時々あらぬ方向へ飛躍する彼女の言動に、今回は彼女自身の一言で一応は合点がいった。
だがその一方で、納得のいかない何かも確実に存在していて、それが頭の何処かにこびり付いてどうしても離れない。
「クッ…要するに俺は対象外ってことか」
「じゃあクルルは、私を対象内として見てくれているってこと?」
だとしたらちょっと嬉しいなと無邪気に喜ぶミユに、俺は益々苛立ちめいたものを感じた。
その可能性を考える余地があるのなら、何故こんな状況でアンタはそうやって暢気にしていられるんだ。
「オイ、調子に乗んなよ」
「ああごめん。そんな訳ないよね」
即座に謝りながら、クルルの理想はかなり高そうだもんねえと笑うミユに、何故そうなるんだと俺は更なる違和感を抱く。
同じ言語で話していても通じない何かがあり、伝わらない何かがある。
本人からその言動に至った理由を聞いて、逐一丁寧な種明かしをされて、ああ成程なと納得する。
互いに抱く思考の差異をゼロに近付けるやりとりは、複雑に絡み合った糸が解けていくような、プログラムのバグを全て処理した後のような感覚に似ている。
その一連のやりとりが、いつもは下らないと思いつつも愉快でたまらないというのに、今日は酷くもどかしい。
お詫びに背中でもお流ししましょうと屈託なく笑う彼女の傍で、俺は自分のごちゃごちゃとした感情と対峙していた。
つまり俺は、彼女から侵略者や異星人として認識される前に、男として見られたいという訳だ。
キツイ冗談が好きな俺でも、流石にこれはシャレにならない。
今の俺は、地球人の情けない男共と一体何が違うというのだ。
高過ぎて結構だと自覚している自尊心も、こうなると最早何の役にも立たなかった。
「クーックックック…そういうことか。よ〜く解ったぜぇ」
「何が?」
「ククッ。そのうち教えてやるよ。まぁくだらねぇ話だが、なかなか笑えるぜ」
ミユは不思議そうに俺を見つめながら、よく解らないけど楽しみにしてるよと笑った。
ああそうだ。
いつか聞かせてやる。
アンタに対する俺の感情も、それに付随する自分の馬鹿さ加減も。
愚かだろうと何だろうと、やりたいようにやるのが俺の流儀だ。
アンタを誰にも渡さない。
この様子じゃ相当鈍いようだし一筋縄じゃいかねぇようだが、障害が多ければ多い程それだけやる気も出るってもんだろ?
「なあ、隊長たちには間違っても誘いをかけんなよな」
「お風呂のこと?」
俺を異星人と括るからには他の奴へ向ける意識も同じなのだろう。
牽制しておくに越したことはない。
「ケロロとはもう何度か一緒に入ったけど。…っていうか温泉友達?」
じゃあ二度と入んなと、思わず不機嫌極まりない態度で訴えた俺に対し、彼女は素直に解ったよと頷きつつも苦笑したようだ。
今は何も解っちゃいない彼女が、俺の言葉の意味するところを本当に理解するのはこれからだ。
2008