「おお主よ!今まで清く正しく慎ましく生きてきた甲斐がありました。不肖アベル・ナイトロード、今後も弛まぬ努力を続ける所存です」

 普段の彼には遥かに縁遠い高級レストランにて、普段の彼には遥かに縁遠い高級料理が目の前に並べられている。

 一張羅のスーツ姿で大袈裟にして奇妙な祈りを捧げる彼の様子に、ルカは苦笑した。

「カテリーナ様に感謝しないといけませんね」

「久々の休暇を貰えた上に、彼女の奢りですもんねえ。滅多にないことなんで、ここで食べ溜めしておきます。コース料理だからまだまだ来るみたいですし、頑張れば一週間は持ちますよ。ルカさん、食べ切れなかったら遠慮なく言って下さいね♪」

 哺乳類とも思えぬ彼の無茶苦茶な食生活に、口を挟む勇気はなかった。

 宛ら高性能の掃除機のような勢いで、次々と目の前の料理を口内に放り込むアベルからなるべく目を逸らしつつ、ルカは黙々とフォークを口に運んだ。

 自分も食べ物に釣られたのは認めるけれど、一緒に来る相手を間違えたようだ。

 重大な過失に今頃気付いてしまった自分を内心で罵りながら、さっさと食べてさっさと帰ろうと固く心に誓う。

 それにしても、ウエストラインの緩やかなドレスを着てきて本当に良かった。

 ここの有名なデザートは何としてでも食べておきたいと思う彼女に、アベルのひたすらに貪欲な食欲魔人振りを一概に責めることはできなかった。





 例え食い意地が張っていても伊達にAX所属ではない二人は、俄かに不吉な気配を感じ取り入口へと目を向けた。

 ウエイターの案内を断り、こちらに向かって歩いて来る長髪の人物に、二人は驚愕の表情を浮かべる。

 職務に反するとしても、休暇中には色々な意味で絶対に会いたくない人物だった。

 何故か同じ方向に逸らしてしまった視線の先を目聡く捉えながら、彼は二人の元へやって来た。

「これはこれは。こんなところでお二人にお会いできるなんて光栄です」

 光らない漆黒の双眸をブラザー・マタイ並に線目にした“魔術師”は、慇懃な笑みを浮かべながら社交辞令的な挨拶を述べた。

 何がどう光栄なんだかさっぱりだ。

 職務放棄してまで見ない振りをしたというのに(カテリーナ様すみません)、彼は挑むように視線の先にその姿を晒した。

 相手にしてもらえないのが寂しかったのだろうか。

 そもそも彼には、自分が高額賞金の懸けられた、最重要凶悪テロリストという自覚はあるのだろうか。

 平然と敵である私たちの前に現れたのは…。

@余程自信がある

Aとても酷いことを目論んでいる

B単なる目立ちたがり

C何も考えていない

Dやはり寂しがり屋

 他の面子ならともかく、色々な意味で得体の知れない彼に関しては、相当見極めが難しいところだ。

 訝しむルカの心情を読み取ったように、彼は笑みを湛えたまま口を開いた。

「私にだって休暇はあるのですよ。ここはワインの種類が豊富だと聞いたので、一度食事に来たいと思っていたのです」

「…お一人でですか?」

「すふどくもはいふはふっこみへすルカさん(訳:鋭くもナイスなツッコミです)」

「ナイトロード神父…口の中の料理を消化してから喋って下さい」

 アベルの口から勢い良く飛び出した幾つもの肉片を器用によけながら、ルカは深い溜息を吐いた。

 嗚呼…何だかとてつもなく悪い予感がする。

「幸いにも親しい方に出会えました。同席させていただけませんか?」

 誰と誰が親しいだって?

 驚くべき台詞を平然と発言した彼は、二人の了承を得ることもなく優雅な所作で椅子を引くと、ルカの隣に腰を下ろした。

 ワインリストを貰い、運ばれて来たワインのテイスティングを行い、皆に注ぎ分けられたその後に、平然とグラスを掲げる。

「思いがけない私たちの出会いに」

 …こうなると本当に思いがけなかったのかどうか、非常に怪しいところだ。

「結局誘う人がいなかったってことですよねえ」

 アベルは微塵も遠慮することなくワインを流し込み、漸く口内を空っぽにしたらしい。

 普段の善人振りが嘘のように、けれど善人スマイル健在のまま毒を吐く。

 けれど“魔術師”には全く動じる気配がない。

 相手は例えるなら猛毒だ。

 毒を以って毒を制すとは言うけれど、多少の毒ぐらいでは効果がないに違いなかった。

「それにしてもルカ。今夜のあなたは一段と美しいですね。二人で過ごしたあの濃密な部屋でのひと時を…私は忘れていませんよ」

 やはり光らない双眸で、けれど絡みつくような眼差しで“魔術師”はルカを見つめた。

「ルカさん…まさかそんな」

 任務に於いて最大にピンチな時よりも蒼白な表情で、ともすれば背後に集中線が入りそうな劇画的な表情で、アベルはショックを受けていた。

 …いちいちリアクションが大袈裟だ。

 けれどそれも短時間のことで、結局色気より食い気を優先させたらしい。

 宛ら容赦なく全てを飲み込む津波のような勢いで、アベルは再び料理の消化を開始した。
 
「誤解を招くような言い方は止めて下さい。あなたが膨大な数の人造精霊を召還した時のことでしょう?確かに濃密過ぎて、戦うどころか部屋中ぎゅうぎゅうだったじゃないですか!あの粘液の凄い臭いが二、三日落ちなかったんですけど」

 恨みがましく自分を睨み付けるルカに、“魔術師”は酷く気落ちした表情で溜息を吐いた。

「あれは私の一番の自信作だったのですが…次回からは考慮致します。あなたに気に入っていただけるような作品に仕上げることを、お約束しましょう」

 いりませんいりませんそんな約束は。

「ああほうひで。すうふうはんまえのほとへすよへ(訳:ああ道理で。数週間前のことですよね?)」

「だから口の中の食べ物を…」

「ふぁいふぁいわふぁりまひたよ(訳:はいはい解りましたよ)」

 アベルは再びワインをがぶ飲みして食べ物を流し込んだ。

 そのワインを丹精こめて醸造したであろう見知らぬ職人と、その料理を精魂込めて創作したであろう見知らぬシェフが、何だかとても気の毒に思えた。

「普段のルカさんの香りとは何だか違うなあと思ってたんですよ〜。まあルカさんでしたら私はどんな香りでもドンと来いなんですけどね☆」

 突っ込みどころ満載な彼らの台詞に、ルカは激しい頭痛と徒労感を覚えた。

「…アベル様、たとえ貴方でも、それは聞き伝ならないお言葉ですね。ルカは私のものなのですよ。私の許可も得ず彼女を嗅ぎまわることは、ご遠慮願いたいですね」

 まずは本人の許可を得てもらいたいのだけれど。

 第一私のものって何ですか。

「ルカさん…私とかわしたあの約束は一体何だったんですか?」

 ああもう訳が解らない。

 誰かこの誇大妄想な二人組をどうにかして下さい。

「いつどこで貴方のものになったのかも!何の約束をかわしたのかも!身に覚えは一切ありません!」

「「つれないですね。けれどそんな貴方を私は…」」

「おや…意見が一致したのは初めてですね、アベル様」

「そう言えばそうですねえ。ケンプファーさん、もう一回乾杯しましょうか?」

 異口同音に発した言葉により、何故か意気投合してしまった二人にルカは大きく肩を落とした。

 私はただ美味しい夕食が食べたかっただけなのに。

 今夜はつくづく運が悪い。

 主よ、私はあなたに背くようなことをしたのでしょうか。

 二人を置いて逃げ出したかったけれど…デザートだけはやはりどうしても諦めきれないルカだった。



200608



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