彼と再会したのは別れた時と同じ場所だった。

 忘れられない大切な記憶が鮮明に蘇り、一瞬あの頃に戻ったような気もしたが、互いの立場は大きく変わっていた。

 私は生徒から闇祓いへ、彼は今期から念願だった防衛術の担当教授へ。

 教授という立場は同じでも、彼を取り巻くあらゆるものはここ数年で隋分変化した筈だ。

 顔色の悪さは以前からだが、冷ややかさをまとう教授の雰囲気には拍車が掛かったような気がする。

 鬼気迫る様子とでもいうのだろうか。

 それは彼だけではなく、復活を遂げたヴォルデモートが暗躍する魔法界全体がそうなのかもしれなかった。

 偉大な魔法使いの庇護下にある筈のホグワーツ城。

 そこへ大勢の闇祓いを警備として送り込まなければならない程に、現状は逼迫しているのだ。





「また痩せました?」

「…君の現在の職務は何だ」

 私の見てくれなどよりも、城内外の警備を気に掛けるべきではないのかね?

 皮肉的な教授の台詞は相変わらずだなあという思いと共に、私に苦笑を提供しただけに過ぎない。

 だが教授の指摘が正しいことも、ただ笑っていられる状況ではないことも確かだった。

 そうでなければ、懐かしい場所に戻って来たことを素直に喜ぶだけで良かったのに。

 こうして彼にまた会うことができた。

 本当は舞い上がる程に嬉しかったのだが、それを素直に表現するのは気が引けた。

 少しは私も大人になったのだと、殊更澄ました表情でいるよう努力してみる。

「勿論、任務には真摯に取り組む所存です」

 色々と大変な状況ですが、お元気そうで良かった。

 そう言いながら差し出した私の手を、教授は不意に強い力で掴み、その痛みに思わず顔をしかめた。

 どうやら握手に応えてくれた訳ではないようだ。

 彼は私の手の甲に刻まれたものを不機嫌そうに眺めながら、その袖口を素早く捲り上げる。

「教…」

「動くな」

 息を呑み慌てて腕を引こうとする私を、教授は鋭い一睨みで制した。

 上腕部までに及ぶ古い傷跡に己の手をかざし、彼は口元で何かを呟き始める。

 かさついた冷たい指の感触が肌の上を辿り、指先で離された時、皮膚の上に残る引き攣れた傷跡は消え去った。





「これくらいの治癒もできんとは」

 今迄何をやってきたのだ。

 教授に咎められながら、私は傷一つない自分の腕を眺めていた。

 悪意的な呪術がふんだんに含まれていて、完全に消し去ることは難しいと言われていた大きな傷跡だった。

 戒めとして残しておいたものでもあるけれど。

 私に礼を言う間を与えることなく、教授は身を翻すと足早にその場を去り行く。

 久し振りに会えたというのに、感動的な再会とはいかなかったようだ。

「早速怒られてしまいました…」

 あの頃と変わらない彼の後姿を眺めながら、独り言と共に再度苦笑した。





 卒業後の進路を決める時、闇祓いを目指すと言った私に教授はいい顔をしなかった。

 成績面では問題がなく、いつかは説得できるものと思っていたが、彼の賛同は結局最後まで貰えなかった。

 ただ反対するのではなく、選択肢はそれだけではないと薬学関連の進路を勧めてくれたことを思い出す。

 教授はその時から、この現況を予測していたとでもいうのだろうか。





 その後は新学期を控えての準備等に追われ、数日は教授と顔を合わせることができなかった。

 取り組むべき内容は違っても、恐らく彼も多忙なのだろうと仕事の合間に考える。

 なにぶん広大なホグワーツ城である。

 会おうとする意思が働かなければ、同じ城内にいながら永遠に会わずにいることも可能かもしれない。

 まるで迷宮のような場所を警備するに当たっての大変さを、覚悟はしていたものの、改めて思い知らされていたところだった。

 抜かりなく目を光らせるには多大な人員が必要で、だがそれにも限りがあり、そしてここだけに集中させる訳にもいかないのだ。

 死喰人が主の復活に快哉を叫ぶ中、マグル界も含め各地には相当数の闇祓いが散っている筈で、そうしながらも本来の任務を滞らせることは勿論できない。

 多忙なのは皆同じだ。

 せめて教授のいるホグワーツに回されたことを幸運だと思うことにして、警備配置の書き込まれた羊皮紙に目を走らせる。

 今回の件が決定となった直後、ホグワーツ組に編成された同僚たちと、ある程度迄は計画を立てておいた。

 それでも現場での最終確認がこうも長引くのは、やはりホグワーツ城だから仕方がないのかもしれない。

 何しろやたらと抜け道が多い。

 通常の目視可能な道は何とかなるとしても、魔法が絡むと途端にややこしくなる。

 生徒や卒業生は勿論、校長や教授陣でさえ全てを把握していないのではないだろうか。

 問題なのは、その知られていない抜け道だった。

 各々に聴取した情報を元に何度も配置を組み直しつつ、新たな道を探し当てるのに同僚たちは躍起になっている。

 終わりの見えない作業だと自覚もしているが、今はあらゆることに手を尽くすしかなかった。

 勿論他にもやるべきことはたくさんあり、文字通り目の回るような忙しさだ。

 やり残したことはないだろうか。

 討つべき対策がまだあるのではないだろうか。

 そんな焦燥に駆られながら思わず漏らした溜息は、我知らず疲労に滲んでいた。





 そうこうしているうちに、それらの報告及び情報の共有という名目で、教授の部屋に行くことになった。

 彼を苦手に思うのは卒業後も変わらないらしく、そんな同僚たちに報告の任を押し付けられたとも言える。

 学生時代のように無理矢理押しかける訳ではないと、何故か言い訳めいたことを考えながら長く続く廊下を歩いた。

 どこでもできるような話ではないし、他の教授陣との話し合いの中でも必然的にそうなったのだ。

 もっともあの頃も、課題の質問などという名目を高らかに振りかざしながらではあったけれど。





 ここに来るのはいつぶりだろう。

 少しずつ蘇ってくる懐かしい思い出に苦笑しながら、重厚な扉をノックする。

「入りたまえ」

 くぐもった低い声が聞こえた。

 古い蝶番を軋ませながら扉を開くと、分厚い本や羊皮紙が堆く積まれた執務机が目に入る。

 冷たい雰囲気をまとった静謐な部屋。

 それでも私にとってはひどく居心地の良かった教授の部屋。

 ああ、何も変わっていない。

 こみ上げる懐かしさにその場から動けずにいると、何かの作業中らしき教授が振り返り、じろりと私を睨んだ。

「さっさと座りたまえ」

 彼の手元に広げられている羊皮紙の走り書きが、薬学とは無関係なことに気付いた。

 座り心地だけはやけにいいくたびれたソファに腰を下ろし、持参した羊皮紙を広げ細かく書き込まれた事項に目を落とす。

 再び様々な懸念事項に囚われてしまったところで、やがて隣に座る教授の気配がして我に返った。

 いつの間にか机にはポットやティーカップなどが揃っている。

 仕事の進捗状況を報告し、それに伴う質問事項を付け加え、教授から得られた回答を手早くメモする。

 危惧している件を伝えると、それらに関しては助力しようと彼は言ってくれた。

「またお忙しくさせてしまいますね」

「それは君たちも同じだろう」

 教授は何でもないことのようにそう告げた。

 無愛想な様子は相変わらずなものの、さすが頼りになると安堵を覚える。

「新しい教科の準備の方はいかがですか?」

「滞りなく進めている」

 やはりたいしたことではないように彼は答えた。

 長年担当していた薬学のカリキュラムは当然使えない。

 教授にとっては念願ではあったものの、防衛術のそれを最初から組み立てるのは相当骨が折れる筈だ。

 生徒たちは彼の厳しい授業内容に辟易するに違いない。

 だが真剣に取り組めば、当人たちにとって必ず役に立つだろう。

 教授の防衛術の授業を受けることができる生徒たちが羨ましいと思った。

「私も教授に教わりたかったです」

「だとすると、今の君はなかったかもしれんな」

 腕組みをして冷笑を浮かべる教授を軽く睨みながら、仰りたいことはよく解りますと笑顔で返した。

 闇祓いを目指すには防衛術は最も重要な科目だ。

 卒業時の採点が甘かったとでも言いたいのだろう。

 やはり教授は、私がこの道を選んだことが未だに不本意なのだ。

 いつまでも認めてはくれないのだろうか。

 この先もずっと。

 重く沈みそうになる自分の感情をどうにか励まそうと努める。
 
 そんな自分を教授には知られたくなかった。

 
 


「魔法薬学を他の方が教えるのは、何だか不思議な感じがします」

 スネイプ教授を教えた方なのでしょう?

 お会いするのが楽しみです。

 教授の学生時代について、色々伺ってみようかな。

 一際明るく振舞いながらそう言うと、彼はあからさまに眉をひそめたので、私は思わず吹き出した。

 再会時はどうなるかと思ったが、教授は本当に相変わらずで、数年の歳月などなかったかのようだ。

「新学期が始まったら教授の授業を見に行ってもいいですか?」

 勿論警備の一環としてです。

 そう言いながら、生真面目な表情を作って姿勢も正してみる。

「勝手にしたまえ」

 途端に相好を崩して喜ぶ私を見て、教授はどこか面映いような表情で目を細めた。

 学生の頃も稀な機会ではあったものの、同様の表情を見かけたことがあった。

 当時は動悸を抑えるだけで精一杯だったけれど。

 驚きの後に広がる嬉しさに頬が緩むのは同じだ。

 気恥ずかしさを誤魔化すようにカップを手に取り、すっかり冷めてしまった紅茶を喉に流し込んだ。

 そう言えば、教授の淹れてくれたお茶を飲むのも隋分久し振りだった。

 生徒ならばこのような機会にはまず恵まれないだろう。

 そもそも、殆どの生徒はそんな機会を作りたいとも思わない筈だ。

 何しろ悪名高いスネイプ教授だ。

 色々と頑張った結果、当時からその機会に与ることができた自分を褒め称えたくなる。

 だが感慨に浸る間もなく、茶葉自体の香りとは別に、微かな甘い香りが口内に広がることに気付いた。

「…何か盛りました?」

 冗談めかした私の問いかけに、教授は眉間の皺を増やしつつ律儀にも毒など入れてはおらんと返した。

「安息香だ」

 どのような効能があっただろうかと考えていると、再び教授が口を開いた。

「取り敢えず君に必要なのは休息と睡眠だ」

 仕事の取り組み方に異議を唱えるつもりはないが、守りを固める者が万全でなくてどうする。

 新学期が始まる前に体調を整えておきたまえ。





 私は思わず目を瞠りながら、相変わらず不機嫌そうな教授を見つめた。

 ああ、やはりこの人には叶わない。

 一見無関心を装いながら、その実何もかもを知っているのだから。





「早速眠くなってきました。ここで休ませて下さい」

 学生の頃のノリでそう言ってみると、すかさず険しい視線で睨まれた。

「ふざけている暇があるのならさっさと部屋に帰れ」

 冷たくあしらわれながらも自然と頬が緩むのは致し方ないだろう。

 冗談めいた雰囲気を一掃させて、改めて礼を告げる。

 傷を治癒してくれたことも、今回のことも。

 全く手間のかかることだと言って溜息を吐き、彼は立ち上がった。

 どうやら先程の続きに取り掛かるようだ。

 私に休息を勧めておきながら、自分の仕事を終わらせるつもりはないらしい。

 何を言っても無駄に終わることはわかっていたので、せめて邪魔にならないよう大人しく退散することにする。

「今夜はゆっくり眠れそうです。おやすみなさい」

 ちらりとこちらを振り返りつつ、無愛想に頷く教授に笑顔で手を振り部屋を後にした。




 本当に、変わっていない。

 長い廊下を歩きながら、今と昔の教授の言動の一つ一つに思いを馳せる。

 いつだって怖い顔で、皮肉的で毒舌で不機嫌で。

 その頑強な砦の内側に潜む不器用な優しさに気付いたのはいつだったか。

 そして一途で強靭な意志をも兼ね備えた、そんな彼に私は惹かれたのだ。





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20101020



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