ルカに大切な用事があり、彼女と連絡を取りたいが現在行方が知れないようだ。
同期の君は居場所を知らないだろうかといった簡潔な内容の手紙をトンクス宛に綴った。
遠慮なくダンブルドアの名前も使うことにした。
自分が大多数の元生徒からどう思われているかは重々承知しているので、彼がそう言ってくれたことは正直助かった。
恐らくダンブルドアは何もかもを察知しているのだと思わずにはいられない。
自分が何をしていても、結局はあの偉大な魔法使いの手の内にあるような気がする。
相変わらず多忙な毎日に追われていた彼は、ルカが休んでいるらしき塔の屋上へ赴くことは未だになかった。
あとは手紙の返事を待つしかないので、彼から知らせるべき情報も特に見当たらなかったからだ。
ルカは時々彼の部屋や城内の巡回中に姿を現しては調査の進捗状況を尋ね、学生の頃の話を懐かしそうに語り、長居することなくいなくなる。
彼女が弱々しい微かな影であることに変わりはなく、いつも疲労感をまとっているように見えた。
ルカの願いを叶えたところで、彼女が満足して消え去ることはありうるのだろうか。
ゴーストの存在は彼の興味の範囲外にあり、詳しくは知らないし調べようとも思わないが、死因に至るまでの記憶が判明しても、結局彼女はホグワーツでさまよい続けるのではないだろうか。
彼の邪魔さえしなければ元々ゴーストなど些細な存在だったが、ルカの特異な様態だけは気になった。
何とか卿、ニックはいつも処刑された時の姿で現れる。
恐らく血で染まったスリザリンの男爵も然りだろう。
すなわち死に際した時の姿ということだ。
だとすればルカが制服姿であることが腑に落ちない。
学生時代は既に過去のものであり、今の自分に至るまでの失われた記憶があることを彼女は知っていた。
彼以外には誰にも察知されない件といい、彼女はゴーストの中でも例外なのだ。
だからこれ以上考えても仕方がない。
「食欲がないのかい?」
気付けばルーピンが隣から覗き込んでいた。
義務的に口元へ運んでいたフォークを持つ手が、いつの間にか止まっていたことに気付く。
大広間にて、気の進まない朝食を摂っている最中だった。
「…何だか疲れているようだね」
「ただでさえ忙しいというのに、手間のかかる輩に時間を搾取されるばかりの毎日だからな」
じろりと顔色の悪いルーピンを睨み付けながら、半分以上の皮肉を込めて返した。
八つ当たりなのはよくわかっていたが、よもや愛想の良い返事が返ってくることなど彼も期待はしていないだろう。
それでも君には心から感謝しているよと屈託のない笑顔で言われてしまえばどうしようもない。
厄介事を起さずせいぜいダンブルドアの期待に応えてくれたまえと適当に返し、皿に残っているものを詰め込むことに専念した。
大広間の高い天井付近が俄かに騒がしくなってきた。
梟便が到着したようだ。
一羽の梟が落とした彼宛の手紙がティーカップに飛び込む寸前に素早くキャッチする。
差出人の名前はない。
お見事というように口笛を吹いたルーピンを一瞥した後で、慎重に封を開いた。
手紙には彼が出したそれ以上に短い内容で、今週末の午後ホッグズ・ヘッドで待っていますとだけ記されていた。
迂闊には漏洩できない情報だということを考慮すれば、トンクスの判断は正しいと言えるだろう。
手紙を懐の奥にしまい、冷めた紅茶を飲み干した彼は、いつも通り仕事に忙殺されながら慌しい一日を過ごした。
天文学で使われる塔の屋上へ足を踏み入れたのはいつ振りだったか、彼は思い出せないでいた。
吹き荒ぶ風は凛とした夜気の冷たさをともない、彼のローブを大きく翻している。
幾多もの星々が小さく瞬いている様を見上げた彼は、寒さに身を硬くしながら白い息を吐き出した。
夜空を彩る景観は確かに見事だが、ゴーストでもない限りこんな場所では眠れないだろう。
「スネイプ教授、こんばんは」
微かな声に振り返ると、相変わらず心許ない光をまとったルカが佇んでいた。
ゴースト相手に体調を伺うなど愚問だと理解はしていたが、そうせざるを得ない程、彼の目に彼女の姿は弱々しく映った。
思わず大丈夫かと尋ねると、ルカはただ笑って見せた。
「今までありがとうございました」
「…どういう意味だ」
「もう、いいんです」
何だかとても疲れてしまって、ひどく眠いんです。
変ですよね、ゴーストなのに。
もう、教授に姿を見せることも難しそうです。
最後にお会いできて嬉しかった。
風に飛ばされてしまいそうな彼女の微かな声は、けれど彼の耳にしっかりと響いた。
儚い影のようなルカの手がゆっくりと伸ばされ、彼の頬に触れようとしたところで、彼女は夜の闇に溶けるように消え去った。
普段の様子とは異なり、ルカが今後二度と現れることはないのだと、何故か彼は悟ることができた。
一体どういうことだ。
ゴーストの存在が消滅しただと?
厄介事は解消されて、これで元通りの日常に戻る。
お望み通りという訳だ。
…だというのに、何故こうも息苦しさを覚えるのか。
強く吹き抜ける風が容赦なく彼の体温を奪い続ける。
それでも彼はこの場所に佇んだまま、しばらく動くことができないでいた。
生徒が訪れる日ではなかったため、週末のホグズミードは閑散としていた。
フードを深く被ったまま寂れた店に入ると、店主は目線だけで席を示した。
トンクスは目立つ髪の色をしていた記憶があるが、その席には地味な姿の魔女がいるだけだ。
ホグワーツ在籍時、彼女が特に変身術に秀でていたことを彼は思い出した。
「君は無事で何よりだ」
意外なことを言われたと明らかにわかる彼女の表情に彼は苦笑する。
闇祓いは閉心術が下手な馬鹿正直な者でも通用するのだろうか。
その辺りも鍛錬すべきだと思ったが、彼の仕事ではない。
挨拶もそこそこに短い密談を交わした後、足早に店を後にしたのは彼の方が先だった。
夢を見ていました。
ホグワーツにいた頃の夢を。
でも自分はもう学生ではないという意識があって、まるで深い霧の中にある過去を辿るような不思議な夢でした。
塔の上で見た星の美しさが印象に残っています。
自分の存在を誰にも気付いて貰えない中で、あなただけが私を見つけてくれた。
教授のことが好きでした。
卒業後、ずっと後悔していたんです。
たとえ叶わないことがわかっていても、自分の気持ちを伝えていれば良かったなって。
深手を負って意識が遠のく中、せめて最期にもう一度だけ会いたいと思いながら、文字通り死ぬ程後悔しましたとルカは笑って見せた。
トンクスから聞き出した場所に彼女はいた。
殺風景な病室にて、ベッドで半身を起こしているルカは、顔色こそ優れないものの確かに生きていた。
やはり彼女は任務中に襲撃に遭い、死の淵の間際で辛くも逃れることができたという。
正当な処置を施した後も意識だけがしばらく戻らず、癒者たちを悩ませたそうだ。
彼はその理由に思い至ることができたが、どこかで素直に認めたくない気持ちもあった。
自分の話に黙って耳を傾けていた教授の眉間の皺が一段と深くなり、ルカは小さく身を竦めながら様子を伺う。
怒らせてしまったのだろうか。
不意に黒い腕が伸びてきたと思いきや、視界が暗く覆われる。
身動きが取れず息苦しい。
…抱きしめられている?
背中に回された両腕の力がルカの存在を確かめるように次第に強くなり、そうしながら彼が深く息を吐いたことに気付く。
それはうんざりだという意思表示ではなく、安堵ゆえにということが伝わり彼女はひどく驚いた。
「…馬鹿者。能天気にも程がある」
耳元で聞こえた教授の低い声と、この信じ難い現状を、ルカは身動きひとつできないまま受け止めていた。
血も涙もない冷血人間と散々揶揄されていた教授の腕の中はあたたかい。
涙が頬を伝った。
後日教授から数冊の本が届いた。
どれもが防衛術に関連したものであり、今後も大いに役立ちそうな内容だった。
まだまだ技術不足で勉強不足だと厳しく指摘されている気も、絶対に死んでくれるなと激励されているような気もした。
恐らく両方なのだろう。
そういえば教授は防衛術の教職を希望していると聞いたことがある。
是非彼から教わってみたかった。
添えられていた手紙は実に素っ気なかったが、このプレゼント自体がルカにはとても嬉しかった。
満面の笑みでトンクスに報告すると、彼女は良かったねと言いながらも微妙な表情をしていた。
不明な点があれば遠慮なく質問してくれて構わないとあったので、任務の合間に手紙を書いた。
律儀に生真面目な内容の返事をくれる教授は、やはりあの頃から変わっていないとルカは思う。
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20151018