不本意な喧騒にまみれた彼の日常は、今日も多少の問題を含みつつ、一応は通常通りに終了する筈だった。

いつものように未熟で愚かな生徒数名を毒舌と共に容赦なく吊るし上げ、怯えきった彼らへとどめとばかりに減点と罰則を言い渡し、そうして雑多な仕事に忙殺されながら一日が終わる筈だった。

今日の最後の仕事である城内の巡回中に異変は起きた。

人気の途絶えた暗く長い廊下を足早に歩く彼の視界に、見慣れぬ不思議なものが映る。

白く淡い、人の形をした光。

人と称するにはあまりにも影が薄く、彼は警戒を怠ることなく杖の先の灯りを強いものにしながら無意識に目を眇めた。

同時にこのような事象を残すであろう呪文を記憶の中から検索し始める。

「スネイプ教授…」

自分の名を呼ぶ小さなその声は、確かに光の中から聞こえた。

迂闊に返事はせず、即座に攻撃できる態勢を整えながら、引き続き状況を伺うことにする。

光はやがて朧気に人の姿形を成した。

馴染みのある、可能であれば見たくもない程見慣れた制服。

タイのカラーは判別できない。小柄な女生徒だ。

どことなく見覚えのある顔を眺めながら、やがて彼は目を見張る。

「…ルカ・ナイトレイ」

「ようやく私が見える人に出会えました」

目の前の白い靄のような存在は、今にも泣き出しそうに見えた。





事情を話せ?

聞いていただけるんですか?

それが私にもさっぱりで、いつの間にかこの姿でホグワーツにいたんです。

どうやらゴーストの癖に記憶喪失のようで、最近のことは何も覚えていません。

そしてゴーストでもその姿は全員に認識される筈ですよね?

ピーブスはともかく、同じゴーストである筈のポーピントン卿たちにさえ気付いて貰えませんでした。

何とか卿?ニックのことです。

本当はそう呼んで欲しいと以前彼が言っていたことは覚えていました。

どうやら学生の頃の記憶はあるようです。

…教授に聞いても仕方のないことですよね、すみません。

そんなに怖い顔で睨まないで下さい。

生前には絶命日パーティに招待されたことだってあったのに、いざ死んでみれば全く相手にされないなんて。





淡く儚い姿とは裏腹に、放っておけば延々と続きそうな彼女の愚痴を片手で制する。

「すなわち君の目的は、第三者に君の存在を気付かせ、尚且つ生前の記憶を取り戻したいということか?」

彼の要約された言葉を聞いたルカは、目をしばたたきながら我に返ったように見えた。

「すみません。どうやら取り乱していたみたいです」

認識されないことよりもまずは記憶を取り戻したい。

生前の自分が何をしていたか、そもそも自分の死因さえ覚えていないと、先程よりは幾分落ち着いた口調で彼女は話した。

「校長には」

「勿論話しかけてみました。でも、偉大な魔法使いにも不可能なことがあるようです」

全くもって気付かれませんでしたと、ルカは再び泣きそうな顔で肩を落とした。

ダンブルドアをよく知る彼にとってみれば疑わしい気もしたが、ゴーストとは言え困難の只中にある元生徒を故意に忌避する理由があるとも思えない。

彼女を感知する何かは、魔法とは異なる力ということなのだろうか。

額に納まる歴代の校長たちも、教授陣も、ゴーストであるビンズ教授にさえ気付かれなかったのだと言った彼女の両目は既に涙で滲んでいた。





「…泣くな。それで、最後の頼みの綱をようやく掴むことができたという訳か」

彼が低く呟いたその言葉に他意はなかったが、ルカは慌てた様子で取り繕うように口を開く。

「教授を最後に伺ったのは、一番忙しそうだったからです」

ルーピン先生のために何かの薬も調合されているようでしたし。

生前の記憶を思い出せないのに、生前の執着から逃れられないゴーストになるなんて、きっと何か心残りがある筈なんです。

「それを私に調べろと?」

「一生のお願いです」

「…もう死んでいるのではないのか」

「…まあそうなんですけど、冷静に突っ込まずにそこは汲んで下さい」

誰にも気付かれないゴーストの身ではまともに調査もできませんと唇をかみ締めた彼女は、再び泣きだしそうになるのを堪えているようだった。

いや、だからこそできることもある筈だと内心で冷静に考えていた彼は、ルカの切実な願いを受け入れようとしている自分に驚いてもいた。

そんな義理などない筈だ。

ただでさえ多忙な毎日だというのに、更に厄介事を抱え込もうというのか。





鋭い視線でルカを見据えながら黙ったまま立ち尽くす彼を、彼女は今にも消え入りそうな淡い光の姿で静かに見守っているように見えた。

周囲の暗がりよりも深い闇をまとう彼が、自分を救ってくれる唯一の強い光だと信じて。





Next
20151004



- ナノ -