私がその事実を知ったのは、そろそろ終電になってしまうからいい加減帰んないと…と思っていた時だった。
「そう言えばさー、大木持ってきてんのか?」
「?何を」
「着替えとか」
「え…?何で?」
「何でって…課長達の宅飲み、朝まで続くぞ」
ま、まじか…。
そんなの聞いてない…って言うか明日も仕事じゃん!?皆朝まで飲んでここから出勤するの…?
「それ、普通なの?」
「まぁ、宅飲みなら大体…食満課長、朝まで飲む時に俺呼ぶんだ」
だから富松が居たのか…。確かにこんな遅い時間から酒の買い出しの話してるからおかしいと思ったんだぁ…。お酒を取りに台所へ立った七松課長を追いかけた。
「あの、七松課長、終電が…」
「あ、大木酒買いに行くぞ!」
「はい…」
だめだ、言えない…。私には言えない…。大体この前は終電位には一人ブッ潰れていたのにどうして今日はそんなに元気なんだ。七松課長が潰れてくれればまだ帰る希望はあったのに…仕方ない。下着は1日我慢するとしてスキンケアのお泊まりパックと歯ブラシをコンビニで買おう…。
「七松課長、富松と私で買い出し行って来るんでゆっくりしてて下さい」
「ん?私が行くぞ」
「いや、でも」
「私と行くぞ」
「は、はい…」
私用の買い物もあるから富松と行く方が気兼ねないのに…とも言える訳もなくさっさと一声掛けて支度をして財布を持った七松課長とマンションを出た。
マンションから100mも行かずにコンビニに着くと、カゴを持って七松課長の後を追う。このコンビニには前回大変お世話になりました。あ、入ってすぐの所コスメコーナーだった。メイク落としやら化粧水やらが入ったセットとチャックの付いた歯ブラシを手に取ると小走りで課長に追い付いた。
「七松課長、これに入れてください」
「おー、ありがと」
手に持っていたお酒をどさどさとカゴに入れるとスッと私から持ち手を奪う。す、スマート…。課長はおつまみのコーナーを見ていたので今の内に自分の買い物を済ませてしまおう。深夜のレジは一人だけで、前に一人並んでいたのでその列に並ぶ。ボーッと煙草のパッケージを眺めて時間を潰しているとお尻に何かが当たった。
「……?」
振り返ると、おじさんがカゴを持って並んでいる。なんだ、カゴが当たっただけか。目が合ってしまったので軽く会釈をしてまた前を向いた。するとまたお尻に当たる。距離が狭いのか?そんな、詰めて並ぶような状態でも無いのに…。何となく違和感を感じていたら、下から掬われる様にカゴがお尻を撫でた。これ、カゴでお尻触られてる…。
(ど、どうしよう…)
変に注意して、たまたま当たっただけだと言われれば私の自意識過剰として皆に見られそうだし、でも気持ち悪いし…。っていうか電車で痴漢にも遭ったこと無いのにコンビニで人生初の痴漢とか…しかも七松課長居るし…。
七松課長に痴漢されてる所なんて見られたくないけど、位置をずれてもおじさんは私の後に付いてくるし店員も客の列だから特に気にもしていない。そうこう考えている間も今度はカゴの角でお尻の割れ目をなぞられて涙目になった。もーどんな痴漢だよ!!
「おい」
「な、何ですか」
「あ、課長…」
七松課長が怒ったときの、静かに響き渡る声がして振り返ると、おじさんをおにぎりコーナーギリギリまで追い詰め見下ろす七松課長が居た。課長、口角上がってるけど目が全ッッッ然笑ってない、す…!
「大木」
「は、はい!」
「ん」
七松課長はこっちを見ずにカゴをズイッと付き出す。受け取ると財布を投げられた。「お前のも纏めて払っとけ」怖すぎたので何度も頷いてカゴをレジに上げた。
店員さんは何が起きているんだという顔で七松課長を見たりおじさんを見たりしていると、七松課長は再び声だけでこちらに話し掛ける。
「おい、店員」
「は、はい!」
「店長呼べ。居るだろう」
「は、はい…!」
会計を済ませた店員さんが足早に裏へと回る。暫くして出てきた店長らしき人が七松課長に声を掛けると、課長はようやくこちらを向いた。七松課長、おじさんに全く話し掛けなかったな…。でもおじさん、目が逸らせなくて半泣きで睨まれてたな…。
「こいつ、万引きしてるぞ」
「え、あ、ほ、本当か?」
「後は任せたー。大木行くぞ」
「は、はいっ」
七松課長は私の手からビニール袋を奪うと、その反対の手で私の手を掴んでズンズンと歩く。後ろで自動ドアが音をたてるのが聞こえた。
「か、課長っ」
店出てからも無言でズンズン進む課長に私は走って必死に付いていく。というか手を掴まれてるから走んないと馬引きの刑みたいになる。
とうとうマンションのエレベーターまで着くと、降りたときからそこに居たらしいエレベーターにそのまま乗り込んゴンッ!!
「か、課長…!」
エレベーターに乗り込んだと思ったら正面の壁際まで突進して頭突きをした。すっごい音がしましたけどぉ…!暫くそのまま固まっていた七松課長は、くるっと振り返ると無表情で私に詰め寄ってきた。ビニール袋をぶら下げた手で私の肩を掴む。怖い、おじさんより怖い!
「な、七松課長…」
「…あー、すまん!私が居たのに。怖かったろ」
もう一度すまん!と頭を下げると、困ったような表情で顔を上げた。
「い、いえ、私は全然!」
「お前泣きそうだぞ。体も震えてる」
「こ、これは…」
七松課長あなたが怖かったんですとは冗談でも言えないし、何か理由をと思ったけど焦って浮かんでこない。七松課長の真ん丸い目は何も言わずに私を見ていた。
その目を見ていたら心配してくれているのが伝わってきて、笑って誤魔化そうとしていたのに出来なくて、素直に言ってしまっても良い様な気がしてきた。声が震える。
「…私、痴漢、なんて初めてでビックリして、誰も気付かないし、そしたら七松課長が、だから」
七松課長の真ん丸い目。大体いっつも真っ直ぐ見られると怖いのに、今は安心出来るのは何でだろう。涙がボロボロこぼれた。
「だから、…こ、怖かったよぉ…!」
「よし、よく言った!」
こんな大人になって泣きじゃくってしまった私を、七松課長はぐしゃぐしゃと頭を撫でて笑った。
「今度からは、私を呼べ!ちゃんと守ってやるから。なっ!」
「は、はいぃ゙…うあーん」
「わかったわかった。好きなだけ泣け!」
課長は自分のシャツの袖で何度もごしごし拭いて、私の顔を見るたびに笑った。
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