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「あ、豆腐」
勘右衛門が腹を空かせて歩いていると井戸の隣に豆腐が置いてあった。回りには豆腐を作るための布やら鍋やら木枠やら置いてあったのでどうやら手作りのようだ。
この学園で豆腐を手作りするような奴は一人しか知らない。
「…うまそうだな」
勘右衛門は腹を空かせていた。本当は何か甘いものでも食べたいなぁと思っていたのだが、兵助の豆腐も好きだ。
勘右衛門の腹の虫がぐうぅと鳴った。
「あ!!」
勘右衛門の腹の虫が収まった頃、一人のくのたまが凄い形相で走り寄ってきた。
何だと落ち着けの意味を込めて小さく挙げた手を胸の前でかざす。
くのたまは豆腐の入っていた桶を覗き込むと、ギロリと勘右衛門を睨み付けた。
「あんた…豆腐食べた?」
「た、食べた…もしかして、君が兵助に貰った豆腐だった?」
「………違う」
「あ、なんだ…じゃあ、」
「これは、私が作った豆腐だったのよ!!」
良かった、と言おうとした勘右衛門は開いた口を閉じる事が出来ず固まった。豆腐を手作りするような奴がここにも居たのか。謝罪よりも先にそれが浮かんだ。
「せっかく…久々知兵助にあげるために…」
「え、兵助にあげる豆腐だったんだ…本っ当にごめん!俺、兵助に言ってくるから!」
「っいい!!約束してる訳じゃないもの…」
「あ、そうなん…」
「だけど、だけど…私なんて豆腐を渡す瞬間しか見てもらえないのに」
勘右衛門は目の前の少女が目を真っ赤にさせて涙を堪えるのを見て、ようやくとんでもない事をしたのだと気付いた。
冷や汗をだらだらとかいて勘右衛門は少女の体を取った。手ではなくて、体。
「ひゃうっ!な、何するのよ!!?」
「すまないっ!俺が兵助に君を見させるから!!!!」
「なっ…!!そんな事頼んでないわよっ!はーなーせー!!!」
食べてしまった豆腐は戻らない。自分に出来る事は兵助の友人として、彼に彼女を紹介する事。
焦って他に何も浮かんでこない頭で勘右衛門は少女を小脇に抱えると猛ダッシュした。
「な、兵助この子凄いんだよ。お前のためにわざわざ豆腐作ってたんだ。凄いだろ?嬉しいだろ?なっ!?」
「はなせー!!」
「何…?その豆腐は」
「悪い。腹減って食べちゃって」
「………」
「悪かったって!この世の終わりみたいな顔するなよ…!」
「はなせー!!!!」
「で、その豆腐はどんなだったんだ?」
「え?うーん、そうだなぁ…兵助の豆腐よりなめらかだった様な気がするよ!」
「何…?その豆腐は…無いんだったな……」
「よ、よぉし!もっかい作ってくれ!頼む!」
暴れるあきをようやく離すと、勘右衛門はパンッと手を合わせ頭を下げた。
あきは衿元を整えふんっと鼻を鳴らす。
「急には、無理。大豆をふやかすのに一日水に浸けておかなくちゃいけないし、一日一個しか…」
それはあきが兵助に毎日豆腐を献上するに当たり、金銭的に一日一個分しか作れない為。作り置きはしたくなくて毎日使う分だけ用意していた。
「明日はできる?」
「あ、明日なら…」
「よし!兵助、明日だ!明日まで待て!!」
チラリと兵助の様子を伺うと、兵助は真っ直ぐあきを見ていた。
「ああ、明日が楽しみだ。待ってるのだ」
兵助の笑顔にあきは心臓を掴むと壁に手を付いて俯いた。
明日の、豆腐をあげるまでは久々知兵助の記憶に残っていられる…。嬉しさで滲んだ涙をごしごし拭うとあきは腕を組んで仁王立ちする。
「ふ、ふん。明日まで大人しく待っていなさい」
「あぁ」
上手くまとまったようでよかった。
勘右衛門が右手の甲で額の汗を拭っていると肩を叩かれた。
「あ、三郎にハチ」
「あの豆腐は手作りだったのか…」
「一応言っておくが…兵助はあきの豆腐、毎日食ってるぞ」
「え?初対面…だろ…?」
勘右衛門は振り返り二人を見る。豆腐は食べてもらえなかったけど自分を見てもらえて嬉し泣きしたあきと、果たしてどんな豆腐が食べられるんだろうと期待に胸を弾ませる兵助が居る。
「兵助、貰った豆腐しか見てないからな」
「今やっとあきを認識したんじゃないか?兵助にとってはある意味初対面かもな」
「わーお…」
哀れみの目を向けられているとは露知らず、本人たちは幸せそうであった。
「なんだ、いつもの豆腐か…期待して損した」
「!」
「えっ、美味しいだろ!?」
「うん。いつも通り美味い」
「!っひ、く」
「あ、泣いた」
「嬉し泣き?」
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