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兵助は考え込んでいた。
目の前に豆腐があるのに一切手を着けようとせず腕を組んで考える兵助は、端から見たら豆腐の食べ方かなにかで困ってるんだろう位にしか捉えられない。
「やっぱり考えても駄目だ。直接聞いてこよう」
兵助は立ち上がると豆腐を置いて出て行ってしまう。兵助が綺麗に見えなくなってから皆がどよめいた。
「おい」
「久々知兵助、な、なに」
あきがせっせと豆腐を作っていると後ろから声を掛けられた。不躾な態度だったのでギロリと振り返ると兵助が居たので驚いた。
「豆腐を食べに来たんではない。お前に聞きたい事がある」
豆腐はまだ出来ていないし、催促だったらどうしよう…と慌てているとそれに気付いた兵助が否定した。聞きたいこと?頭のいい兵助が私に聞くような事があるだろうか。
「好きって何を決め手にわかるものだ?」
「え、そ、それは…ってあんた、豆腐の事好きでしょう。それと一緒よ!」
「豆腐を好きな理由は挙げたらキリがないが、一番の理由は美味いからだ。それが一緒とは言えないだろ」
「そ、それは…そうだけど…」
「お前は俺の事何を思って好きと言ったのかが知りたいのだ」
「うっ…」
それは愛の告白を強要されている様なものだ。あきは羞恥で顔を赤らめた。
何も言い出さないあきに兵助は首を傾げる。
「無いのか?」
「あっあるわよ!好きって言うのはねぇ、あの、え、笑顔が見たいとか喜んでほしいとか、一緒に居たいとか、そういう……」
「………」
恥ずかしくて顔なんて見られず下を向いてごにょごにょと喋るあき。兵助の反応が無いので聞いているのかと顔を上げると真顔でじっとこちらを見ていて肩が跳ねた。
「とっ、とにかくそういう欲がいっぱい出てくるものなのよ!!」
「そうなのか…」
その返事、理解出来たのか出来ていないのかよくわからない。今度はあきが不思議そうに兵助の顔を見つめた。
「例えば…」
兵助があきを見る。兵助の瞳は澄んでいて、その瞳ひとつ取っても兵助を表しているなぁとあきは思う。
「俺はそれを聞いてもやはりよくわからん。この先いつか理解するかもしれないが、一生わからないかもしれない」
「それは…」
もしかして今振られているのだろうか。だけど上手い聞き方がわからず、あきは眉を下げて俯く。その瞳にはうっすらと涙の膜が張っていた。
しかし続いた兵助の言葉は違うものだった。
「もしそんな、一生お前の事を好きになるか分からなくてもお前は俺の傍に居てくれるのか?」
「…えっ!?」
「やっぱり、そう言うのは駄目なのか」
「だっ駄目じゃないわよ!!でもそれって…それって…」
今度こそプロポーズではないのか。あきは動揺した。以前もプロポーズの様なことを言われたがその時は即否定された。
だけど一生という単語も出たし…動揺していつも寄っているあきの眉間のシワがなくなる。兵助はその顔を見て笑った。
「何だその顔。気が抜ける」
「ね、ねぇ…今のって、そ、その…プ、プロポーズ…なんじゃないの…?」
「え?そう…なのか?」
「ふ、ふん。だってそうでしょう?一生傍に居てくれるのかと言ったじゃない」
「そんな言い方してないが…まぁプロポーズでもいい」
「う、うそ…」
話が飛んでいるような気もしたがどうでもいい。あきはうずくまって小さく手を合わせ仏様に感謝した。そしてすぐ立ち上がると腰に両手をつき心なし反り返る。
「ふ、ふん!どうしてもって言うなら、傍に居てあげるわ」
「…まぁ。お前がいいならいいよ」
「で、でもどうして急にそんな事言ったのよ」
その質問に兵助は一枚の紙を取り出して見せた。あきにも見覚えがあった。くのたまでも配られたものだ。
「進路調査書…」
「あぁ。もし卒業してって考えて。お前の豆腐食べられなくなるし、仕事から帰ってきて豆腐が待っててくれたら嬉しい」
「そ、そういう事…」
「それに」
多少の期待はあったが兵助らしい答えに思わず納得した。言葉が続かないので兵助を見やると、あきがこちらを向くのを待っていたように兵助が笑った。
「それにあきは泣き虫だから」
「あ、あ…!ひっ、く…」
「ほら、また泣く」
名前。一度も呼ばなかったのに。
「涙でも水でも何でも、俺がちゃんと拭いてやる。俺が豆腐みたいに、お前の個性だからな」
ますます泣き出したあきの涙を、兵助はそっと掬った。
泣き虫なみだ
end
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