「だ、だめって…」
課長のその言葉に松野さんも滝先輩も立ち止まって振り返る。
だめ…って。それって、どういう意味なんだろう。七松課長の表情からは何も読めなくて、きょとんとしている様にも見えるしちょっと怒っているようにも見える。心臓がドクドクと脈を打つ。も、もしかして、それって…嫉妬、してくれてたり、するのかな。じわりと痛くなる胸に七松課長を見上げる。課長が息を吸い込むのがやけにゆっくりと見えた。こう言う時って他の男と飲みに行くな、とか…?ドラマの見すぎ?私ドラマの見過ぎかな!?
「お前、今日言った書類まだ出来てないだろう」
「しょ…………え?書類?」
「私が頼んだやつ」
書類……。確かに、頼まれた。本当はそれを終わらせて帰ろうかと思っていたから。
…だけど、それ、期限は特にないからゆっくりやってくれていいって、言いました、よね…?
「書類、明日やろうかと思ったんですけど…」
「今からやれば明日はやらなくて済むだろー?」
「ええ、まぁ、そうなんですけど…?」
「…あー。じゃあ、滝手伝ってやれば?パパッと終わらせて行こうぜ」
「あ、ああ。大木見せてみろ」
「ダメだ!」
「え、何でっすか」
「先輩が手伝っては大木の為にならん!それに、これはお前を信用して頼んだ仕事だ。言っている事わかるな」
「は、はい…」
戸惑う私を見かねたのか松野さんがポンと滝先輩の肩を叩く。だけどそれもすぐ七松課長に釘を刺されてしまった。課長の言っている事は理に適っている。それなら手伝って貰う訳にもいかない。…だけどどうして今日なんだ…今から仕上げようとしたら、あれ…何時になるんだろうなぁ。課長自身すぐに終わる量じゃないからちょっとずつやれって言ってましたよね…?私の返事に満足げによしと頷く課長に聞く気にもなれない。何か今日は、疲れた…。
「あ、小平太君!仕事終わっ た…?」
声の方を振り返ると遠野さんが近付いてくる足を一度止めた。端から見ると変な空気でも流れていたのだろう、邪魔したかな??と顔に書いてある。わかりやすいですね。
遠野さんとパッと目が合うとにこっと笑い掛けられてドキリとした。遠野さんの唇が普段とは違い紅く色づいていて色っぽい。やっぱり彼女は大人なんだなぁ。その口紅、課長の為に塗ったんだろうか。だったらもう、完璧に遠野さんも課長好きじゃん。それで、課長も…。
「ごめん、まだだった?私エレベーター前で待ってるね!」
「奈津、終わってるぞ!」
「あ、 そうなの?じゃあ行こっか」
「ああ!奈津と飲むのは久しぶりだなぁ」
「小平太君いつも凄い飲ませたがるんだよね、こわいなぁ…」
「怖い?怖くなんてないだろー?大丈夫、ちゃんと帰らせてやるから!」
カラカラ、
笑顔で遠野さんの元へ向かったその背中に、体のどこかで何かが音を立てた。スウウと血の気が引いていく。
……ああ、そう、そうですか。課長はそうやって、女性と飲みに行くんですね。さっきまでちっとも笑わなかった癖にそうやってその人には笑顔を見せるんだ。居なくなってしまった片想いの相手が戻ってきて嬉しいんですよね?酔った勢いで何か言う気ですか?そうやって、
そうやって、私の事、ちっとも見ないで背中を向けて。
カラカラ。ぷつん。
あれ?なんだろう。口が勝手に
「課長なんか、きらいです」
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