LAならどこだって海があるわけじゃない。海から流れてくる湿っぽい風こそ感じれど少し離れてしまえばそんなの関係ない。ただ湿っぽいなって思うだけ。今年の夏はいつもより暑くなるらしい。日差しを避けるためにキャップを深く被りなおして、ずれたバッグを背負い直すと中でラケットがカランとぶつかる音がした。


「遅い!お店、混むから時間通りに来てっていったよね」
「いや…道に迷ってるおじいさんを助けてて…」
「そういうわかりきってる嘘はいいから。」

寝坊したならしたって言いなさいよ!と俺の帽子のつばをぺしんと叩いてなまえが言った。日曜の、しかもこんな暑い朝に30分しか遅刻をしていない俺を褒めるならまだしも叱りつけるなんて理不尽だ。

「アンタも付き合い長いんだから迎えにくるなりなんなりしたら?」
「わざわざ起こしに来いっていうんですか」
「なんでもないデス」

俺が背負ってるラケットをちらりと見て、こんな時まで持ってくるんだね。と呆れたように言った。


アメリカに戻るよ。向こうのハイスクールに入って、大学もあっちで行くかも。
なんてことないように伝えた言葉だったけども、実はけっこう考えて言ったつもりだった。
なまえのことは、もちろん好きだったし、俺は離れたところで別れてやるつもりなんかなかったけどあっちはどうかわからない。周りには色んな男がいて(俺よりいいヤツなんていないだろうけど)選択肢は溢れている。一人にして寂しい思いをするのはなまえだし、なんでいきなりそういうことをいうのだとか、どうしていつも勝手に決めてしまうのだとか問い詰められるものかと思っていた。若い俺たちにとって距離も時間も大きな問題になるだろう。目の前に座るなまえのサイコロステーキにぶすりとフォークが刺さっていく一瞬がやけに生々しく、長く長く感じられた。

「あ、そうなの?じゃあわたしもアメリカ行くね」
「へ?」
「え?ダメなの?」
「ダメじゃないけど…」

俺はあっちに国籍あるからいいけど、長期滞在ならビザとか色々必要になるよ?と、こんな建設的なことを言うなんて俺らしくないけど、俺だって今までの人生で、特に中学で、色んなハチャメチャな人達を見て成長したってことだろう。無意識のうちに千切り続けていたらしいパンがスープ皿に無残に散っている。こっちの覚悟や緊張なんて知らん顔、というようになまえはあっけらかんと、あっさりしていた。

「んー、よくわかんないから家帰ってから調べてみるね。つーかリョーマ、アメリカ人だったの?知らなかった」
「向こうで生まれてるから両国籍ね。21になったら選べるの」
「へー、ハンパないね」
「ってそうじゃなくてさ……」

アンタってほんっと突拍子もないよね、と自分のことは棚に上げていうとまあリョーマよりは年上だし。あと誰かさんに振り回されて慣れましたからね。と返される。にゃろう。きっかけこそあっさり唐突だったけれどやるといったらやる人なので、なまえは本当にそのあと留学についてのあれこれを調べて、いつの間にかビザもとって、留学するためにバイトもめちゃくちゃ増やしてお金をためて俺の後を追ってアメリカに来た。半年遅れで お待たせ、と空港に降り立った姿を見てやるじゃん、と思ったけど口には出さないでおいた。あの日からもう二年が経つ。


クラスメイトに教えてもらったのだとなまえが連れてきた場所はここらで有名なブレックファーストプレイスらしい。評判の通り、着くと人がいっぱいで隣のなまえが俺をじろりと睨んだ。はいはい。入り口の脇にちょこんと座っているブロンドヘアのホステスにあとどのくらいかかるかと聞いた所、30分くらいかかるそうだ。時間はもう朝食というよりはブランチ寄りになっている。それでもいいか、と聞かれたのでいいよ、というとRyomaと俺の名をウェイティングリストに書き込んだ。俺たちの前にはあと三組くらい待っている人がいて、どうやら先は長そうだ。店先に置いてある椅子に腰掛けて時間を潰す。

「あと30分だって」
「わかるよ!聞いてたから!」
「へえ、英語上達したんだ?」
「ま、まあもう二年もこっちにいるしできてくれないと困るっていうか……」

自信なさげにおろおろする様子がおかしくて喉を鳴らして笑うとなによ!と腕をはたかれる。アンタのそれ痛いんだって!

「頑張ってんだし、自信持ったらいいんじゃない。だいたいまだ二年でしょ。そんなすぐにできるようになるものでもないだろうし」
「そうだけどさー」

ふぁあ、と間抜けな声を出してあくびをしたのを咎めようとしたところでさっきのホステスが俺たちを探しにきた。まだ15分かそこいらしか待っていないのにもう席が空いたらしい。ラッキー。がやがやと喧しい店内には人がごった返していて、俺たちが案内されたのは店の奥の方にある二人がけの小さなテーブル。椅子を引いて人通りの少なそうな方になまえを座らせる。

「ありがとう」
「Not at all」

前の席に座って、わざと英語で返すとむっと唇を尖らせてメニューを開きだした。ここはエッグベネディクトがおいしいのだという。わたしはそれにする、リョーマは?と言われてこっちはまだメニューも開いてないのにな、とパラパラ目を通して、チーズオムレツを頼むことに決めた。一応もう注文していいか確認を取ってからサーバーを呼ぶ。注文してみなよ、となまえに促すと油断していたのか慌てた様子でメニューを見て、May I have this とメニューを指差した。あまりに緊張した様子であたふたしていたので笑いをこらえながら俺の分は自分で頼むことにした。笑っているのがバレて机の下で足を蹴られる。だから痛いってば!ドリンクはどうするか、と聞かれたからどうするの?という意味を込めて目をくばせると、すかさずなまえがBloody Mary!という。ここのオレンジジュースおいしいらしいからリョーマはそれを飲みなよ、と言われるがままに注文すると、IDを見せてくれと言われた。年齢確認されるって、ちょっと。待ってましたとばかりになまえがパスポートを見せるとサーバーはOKとサムズアップをしてから去っていった。

「アンタ、こんな朝っぱらから飲むつもりなの?」
「なによ、悪い?」
「昨日もジェシーのホームパーティー行くって言ってたよね」
「そうだよ、朝3時までよ、もー眠くて眠くて」
「迎え酒……」

これがちょいちょい、わざわざ人のことを呼び出したくせに大きい口を開けて欠伸をしていた理由というわけだ。驚くを通り越して呆れてしまう。運ばれてきたグラスにはどろっとした真っ赤な液体が注がれており、オリーブとパセリが刺さっていた。

「……なにこれ」
「ブラッディーマリーっていうカクテル、トマトジュースにウォッカが入ってて、あとセロリとオリーブね」
「それはみたらわかるけど……」

なんか森みたい。びろんとグラスから伸びて生い茂るセロリの葉っぱを眺めて思った。どろっとした液体を一口飲んで、刺さっていたセロリを抜いてかじる#名前。そんなものがうまいのかと聞くとおいしいよ、と平然と言ってのけた。それからまたしばらく待って、こんがり焼かれたブレッドとそれぞれオーダーしたものが届く頃には付け合せのオリーブもパセリも綺麗さっぱりなくなっていたロックグラスに目線をやって同じものを飲むか、とサーバーが聞いた。さすがにやめさせようと思ってNo、といった俺を遮ってなまえはまたなにか新しい飲み物をオーダーする。メニューがないからわからないけどどうせまたカクテルなんだろう。ため息で抗議をしたが、わあ、おいしそうだねえと聞いちゃいない。確かに彼女の前に運ばれたエッグベネディクトはつつけば今にもとろっと黄身が零れ落ちそうだ。俺のチーズオムレツもなかなかふんわりとしていていいカンジなのだけど、どうも見劣りしてしまう。じっと見ていた視線に気づいたのかふにゃりと笑って

「こっちも食べたいの?」

と聞いてきた。返事はわかってるよと言わんばかりに皿に乗っているふたつのうちのひとつをフォークですくい上げて俺の皿につるんと滑らせるように置いた。その衝撃で半熟の黄身が壊れてしまって、思わずあっと声をあげた。ねえちょっと、と出かかってまたサーバーがくる。さっきなまえが頼んだドリンクだ。シャンパングラスに入ったオレンジジュースとサイドでちいさいボトルが付いてきた。Champagneと書いてある緑色のボトル。ゆっくり注いでね、と注意をしてサーバーは違うテーブルのオーダーを取りに行く。間が悪い。

「代わりにわたしにもリョーマのオムレツちょっとちょうだいね」

どうもふわふわしはじめた雰囲気に酔ってるな、と直感で思った。そりゃ寝不足なときに、ましてや数時間前まで飲んでいた状態でまた新たにアルコールを摂取したんだ、酔うに決まってる。案の定と言えばいいのか、そんな状態で注がれたシャンパンは勢い余ってぶくぶく泡をたてせり上がってくる。あ、というなまえはぼーっとして動く気配がないから慌てて俺がナプキンで溢れる泡を拭いてグラスを取り上げた。

「ねえ、なにしてんの」
「ゆっくりやったつもりだったんだけど」
「グラスまでゆっくりもっていって勢いよく注いだら意味ないでしょ。貸して」

片手サイズの細いシャンパンボトルも取り上げてゆっくり注いでいく。オレンジジュースが入ってるせいでそんなに量は入らなかった。まだボトルの6分目くらいまでシャンパンは残っている。絶対に割合おかしいでしょこれ。

「はい」
「ありがとー、なんだか今日のリョーマは優しいね」
「そりゃどうも」
「リョーマものむ?」
「未成年相手になにいってんの」

ぐいっと一口で半分くらい飲んで、はい、とグラスを傾けてきた。ようするに注げということなんだろう。もたせてるとどうなるかわからないのでグラスを受け取ってまた注いで渡す。一口飲んで、ちゃんとテーブルの上に置くのを見届けてから改めてナイフとフォークを握ってオムレツの真ん中を切る。とろりとチーズがでてきた。さっきは見劣りするなんて言ったけどなかなか食欲そそられるじゃん。口に含むと、期待を裏切らない味だった。なかなか悪くない。テーブル脇に添えられてる手作りジャムをブレッドに塗って食べればザクッと歯が埋まっていく感覚が心地よく、イチゴの自然な甘みが広がる。とろりと黄身が溢れてしまったエッグベネディクトもひとくちサイズに切り分けてマフィンにソースを絡めて食べる。おいしいじゃん、と思わずこぼすと自分が勧めた店を気に入られて上機嫌になって、そうでしょと誇らしげに胸を張った。アンタも人に勧めてもらったんでしょ、と返そうとしたら「だからリョーマと来たかったんだよね」だなんてかわいいことをいうからくったりしたマフィンと一緒にぐっと飲み込むしかなかった。本当にこの人、いきなり素直になるんだから。

「ねえわたしにもオムレツ食べさせてよ」
「いいけど。はい」
「あーん」
「…なにそれ」
「食べさせてよ」
「酔ってるでしょ」
「かもね、っていうか眠くて」

目をこすりながらも待てはやめない。どうせ諦める気などないのだろうし抵抗してこれ以上駄々をこねられても面倒くさい。皿の上に置かれるはずだったオムレツを一口サイズに切りなおして口の中にいれてやった。満足したようで話はきのうなまえがいったというホームパーティーのことになった。同年代の大学の友達が集まってすることといったら飲んで食べてのどんちゃん騒ぎで代わり映えがしないだろう。俺も本当は誘われていたけどバカバカしくって行く気になれなかった。まず飲まないし、まだ19歳だし。なんとなく聞いているふうな相槌を打って自分のプレートを食べ進める。普段ならすぐさま話聞いてる?だの、適当に返事しとけばいいと思ってるでしょ、だの言ってくるのに今日はまるで気付いていないようで、さらには話の内容も脈略も支離滅裂になってきた。しょっちゅうあくびをしては目尻をこすっているから相当眠いらしい。そんな状態でもまだ飲みたいらしく、空っぽのグラスを傾けてきた。さすがにこのままシャンパン飲ませるのはまずいでしょ。本当は飲ませたくもないんだけど。俺のオレンジジュースを空になったグラスに入れてから残りのシャンパンを注いだ。ボトルが空になったことを見せてからこれで最後だよといって渡す。酔っ払いの介抱は嫌いなんだけど。はい、と聞き分けよく返事をして今度はだんまりエッグベネディクトを切っては口に運んでいた。俺は口数が多い方じゃないからしばらく黙って食べているとカランとナイフが落ちる音がした。がくんと首が落ちて、まさか寝たのか?と顔を覗き込んだらふっと頭をあげる。起きてんじゃん。

「ねえ」

もったいぶるようにためてなまえがいう。嫌な予感しかしない。ぜんぜん言葉を続ける気配がないからなに、とちょっと不機嫌なふりをして聞き返した。

「今日リョーマの家に行ってもいい?」

酔いのせいか眠気のせいかわからないがとろけた顔で、こてんと首をかしげて、ダメだなんていうことないってわかってるのに、なんなら黙ってたってそのままうちまでついてきただろうに、わざわざもったいぶって聞いてくるのだ。空になりかけのグラスを揺らしながら机の下で俺の足に足を絡めてくる。やすやすといいよというのも手のひらで踊らされているようで悔しいので、仕方がないな、という顔を作って、いいよとぶっきらぼうにいった。ごちそうさま、と言いながら付け合わせのミニトマトをフォークでぐさりとさして口へ運ぶのを黙って見ていた。通りすがりのサーバーに手で合図をしてチェックを頼む。後ろポケットから財布を取り出すときにラケットバッグに手が当たる。すっかり用無しになってしまった。そんなことを考えている頭の隅っこで、ぐさりと刺されたのは俺の心臓だったのかもしれないと思った。俺もまだまだだね。


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