きっかけは些細なことだった。……となまえは思う。
大学から一人暮らしを始めたなまえの部屋を財前が訪れたのは昨日のこと。財前が中学二年、なまえが中学三年の時から付き合い始めて、昨日は四年目の記念日だった。記念日などには興味のなさそうな財前から「お祝いでもしましょう」と、電話で連絡がきた時には、電話越しに思わず泣いてしまいそうになった。何よりも、記念日を覚えてくれていたことがなまえは嬉しくて。そんなことも、もしかしたら財前にはお見通しだったかもしれない。「決まりっすね」と、電話の向こうから聞こえてきた財前の声は、とても優しかった。
そして待ちに待った記念日当日。
きかっけは何だったか、本当に思い出せない。思い出せないくらい小さなことだったと時間が経った今では考えることができるのに。どうしてあの時は冷静になれなかったのか、いくら考えても分からない。
一緒にオムライスを作って食べた、まではよかった。その後のことはあまり思い出したくはない。食後のデザートに、と購入した二人用のホールケーキは冷蔵庫に入ったまま、なまえは自室のベッド、財前はソファーで別々に眠った。付き合い始めてからこんな喧嘩をしたのは初めてで。なまえはどうしていいか分からず、ベッドの上で一人朝を迎えて、十時半を過ぎた今でも、こうして自室から出られずにいる。
自室を出て様子を見に行って、もし財前がいなかったら? 自分一人だけがこの場所に取り残されてしまったことを目の当たりにしたら、もうそれこそ立ち直れない。
何度目か分からないため息をなまえが生み出した、ちょうどその時。

「なまえさん、いつまで寝とるんですか。ええ加減起きんと腐りますよ」

ガチャリ、と扉を開ける音と共に、寝室の空気を震わせる声。反射的に顔を上げると、ドアのところに立っていたのは他でもなく財前で。
なまえと目が合うと、くくっと喉を鳴らして笑った。

「何つー顔しとるんすか。三割増しでぶさいくになっとる」
「……ひ、かる、くん」
「何すか」

裸足の財前が、ぺたぺたという足音と共にベッドに座るなまえの元までやってくる。見下ろす財前と見上げるなまえ。もう一度なまえが名前を呼ぶよりも先に、財前の手がなまえの目元に触れた。

「泣きむしななまえさんにいいモンあげますわ」

少しひんやりとしている財前の唇が触れたのは、涙で濡れたなまえの目元。「擦ったでしょ、赤くなっとりますよ」と、呆れたように呟きながら、唇は額、頬、鼻先に触れて、最後に一瞬、唇同士が触れ合った。

「昼飯にしましょ」

返答を聞く前に、財前の手がなまえの手首を掴み立ち上がらせ、半ば強引に部屋を出た。リビングに移動すると、ふわりと美味しそうな匂いがなまえの鼻腔を擽って。

「……ひかるくん、作ってくれたの?」
「他に誰が作るんですか」

ソファーの前のテーブルの上、並べられていたのは二人分のパスタとサラダ。それから中央には昨日食べることができなかったホールケーキ。
いつもの定位置、財前が右側、なまえが左側に並んで腰を下ろし、一緒に手を合わせる。フォークにくるくると巻き付けたパスタを口に運べば、それはとてもとても優しい味がした。

「ひかるくん」
「ん?」
「ひかるくん。ひかるくん。ひかるくん」
「呼び過ぎっすわ」

黙々とパスタとサラダを口に運んでいた財前がなまえの方に顔を向ける。言葉とは裏腹に、その目元は優しく細められていて。

「ありがとう。大好き」

「ごめんね」はきっと彼は望んでいないだろうし、なまえもそれは同じだ。今はこうしていられることが、嬉しくて幸せで。

「残さんと食べてくださいね」
「もちろん」

隣にいるだけでこんなにも、世界は色付いてしまうのだ。


きむしに贈るランチ


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