目覚ましより早く目が覚める。カーテンを開けると暖かな朝の陽射しが降り注ぐ。8時のチャイムが鳴り響く音が遠くに聞こえ、それに重なるように昨日の夜セットした目覚ましの音が鳴る。すぐに目覚ましを止め、ぐんと大きく伸びをする。朝だ。 わたしの家を出てすぐ、真向かいにある、芥川クリーニング。日曜日は定休日のそこに行く。「芥川クリーニング」と大きな看板を掲げた入り口ではなく、裏側の芥川慈郎の家の玄関だ。 休みの日なのに早起きした理由は幼馴染のジローの家族が、部活のあるジローを残し旅行に行くからだ。留守の間のジローの面倒を見てほしい、と幼馴染であるわたしに依頼があった。ジローは放っておくと一日中寝ていられるような人だから心配なのだろう。わたしも心配だから快くオッケーした。小さな深呼吸をして、インターホンを鳴らす。芥川クリーニングの方には、一か月に一度くらいは行っているけれど、ジローの家のインターホンを押すのは久しぶりだったから少し緊張していた。すぐに扉が開き、ジローのお母さんが笑顔でわたしを出迎えてくれた。 「おはよう」 「おはよう、おばさん」 「来てくれてありがとう。ジローまだ寝てるから、起こしてあげて」 「はーい」 玄関に一歩足を踏み入れれば懐かしいジローの家の匂いがした。脱いだスニーカーを並べていると、「大人になったのね」とおばさんがくすりと笑った。最後にジローの家に来たときは小学生の頃だっただろうか。確かにあの頃は脱いだ靴を並べたりなんかしないで、靴を脱ぎ捨ててジローの部屋へと続く階段を駆け上っていた気がする。なんだか気恥ずかしくなりすぐに二階のジローの部屋へ向かうべく階段を登る。 ピピピピピピ、ピピピピピピ、ジローの部屋から聞こえる大きな音が鳴り止まないが、目覚ましをセットした張本人はすやすやと気持ちよさそうに眠っている。煩い目覚ましを止め、カーテンを開けると、雲一つない青空が視界に広がる。ジローは相変わらずすうすうと寝息をたてながら幸せそうに眠っている。ジローのふわふわの金髪が窓から差し込む朝日に照らされキラキラ光っている。そっと、ふわふわの髪を撫でると、ジローの大きな目が、半分くらい開いた。 「おはよう」 「ん〜」 「ジロー、朝だよ」 「…」 一度開いた目が再び閉じて、二度寝を始めたジローの顔を眺め、どうしたものかと考えていたら、一階からおばさんがわたしの名前を呼ぶ声が聞こえる。あわてて返事をし、ジローの部屋を出て階段を降りると、おばさんがわたしを待ち構えていた。 「じゃあ、私達は行ってくるから」 「うん、いってらっしゃい」 「ゆっくりしていってね」 「はーい」 おばさん達をお見送りし、再びジローの部屋へと戻れば、さっきまでと同じく目覚ましの音が部屋中に鳴り響いている。繰り返し目覚ましが鳴るということは一応起きようという気持ちはあるらしいが、やっぱりジローは眠ったままだ。 「ジロー、目覚ましなってるよ!」 「ん〜あと5分〜」 「もう、遅刻するよ?」 「んん…」 「朝ごはん作ってるからちゃんと起きてね?」 「…うん〜」 わかっているのか、わかっていないのか、よくわからない返事だったけれど、とりあえず、ジローの部屋を後にしキッチンへと向かった。数年ぶりに入ったジローの家は昔と全く変わっておらず嬉しかった。 小さい頃から家が近所で、家族ぐるみで仲が良いわたしたちは、お互いの家で食事をすることも多かった。学校帰りの晩御飯、日曜日の朝ごはん、夏休みのお昼ごはん。とにかくジローと、時にはジローの家族と、わたしの家族と、様々な食事を共有してきたのだ。 その中でも、ジローのお母さんの作る朝食が大好きだった。そんなに手の込んだものではないにしろ、なぜだかとにかく美味しかったのだ。小学校二年生の夏休みは、毎朝ジローの家に行って朝ごはんを食べ、母親に怒られたこともある。 朝、寝ているジローを起こして、足がつかない椅子にジローと隣り合わせで座って、おばさんの得意料理のふわふわのオムレツを作る背中を二人でじっと眺めていた。手際よく卵を割り、混ぜる姿がテレビで見たシェフみたいで格好いいな、とひそかに憧れていた。甘い卵の匂いが香ると、隣にいるジローは目を輝かせながらこちらを見て笑う。つられてわたしも笑う。 思い出の中のわたしはジローと二人並んで朝ごはんを食べている。ふわふわのオムレツがわたしもジローも大好きで、キラキラと目を輝かせてフォークを握るジローの顔が大好きで、ジローと二人並んで食べる朝ごはんの時間が大好きだった。 そうだ、今日はオムレツを作ろう。記憶の中のおばさんと同じように卵を割り、かき混ぜる。空気を入れるように溶き交ぜて、牛乳を入れるのがふわふわになるポイントなのだとおばさんが教えてくれたことがある。フライパンはバターを入れて温める。卵をフライパンに流し込めば懐かしい匂いがする。この甘い匂いはバターの溶ける匂いだったのだろう。 いつからか、そうだ、中学生になってジローが部活を始めたころから、強豪テニス部のジローと帰宅部のわたしとでは時間が合わなくなり、ジローはテニス部の友達と、わたしはクラスの女の子と、お互い別々に行動するようになり、教室で話したりはするもののお互いの家に行くことは殆どなくなっていった。 「わ〜いい匂い〜」 突然後ろからジローの声が聞こえる。匂いにつられて起きてきたようだ。振り返るとまだ眠そうなジローがフライパンの中身を覗き込むように立っていた。昔はわたしより身長の低かったジローは気づくとこんなに大きくなっていたんだな、と思った。 「ジローおはよ」 「おいしそ〜」 「もうすぐできるから待ってて」 「うんー」 間延びした返事と大きなあくびをしてジローはキッチンをあとにした。半熟に焼きあがった卵の形を綺麗に整えてお皿に盛りつける。トーストにはイチゴジャムを塗り、冷蔵庫に入っていた昨日の晩御飯の残りであろうサラダを添えれば完成だ。 「はやく、はやく!」 すっかり目を覚ましたジローはすばやくテーブルに着いて待っている。昔のように隣り合わせではなくジローの正面に座り、2人で手を合わせて、声を揃えて、「いただきます」をして、ジローはすぐにフォークを握る。わたしの焼いたオムレツを口に入れた瞬間に幸せそうに頬を緩めるから、心臓のあたりがきゅうんとする。 「すっげー美味しー!!」 「ほんと?よかったぁ」 美味しい、美味しい、と繰り返しながら、ジローはすぐにオムレツを食べ終えた。思いつきで作ったオムレツがこんなに喜んでもらえるとは思わなかったので嬉しかった。 「なんか懐かしーね」 「え?」 「オムレツ、昔大好きだったよね」 「う、うん」 昔みたいに目をキラキラに輝かせてわたしをまっすぐ見つめるジローは、身長が伸びたけど、テニスを始めて放課後も土日もびっしり練習で忙しくなったけど、お互い別の友達といる時間が増えたけれど、あの頃と変わらないままのジローなんだ。 「また作ってよ、いいだろ」 「うん」 「ていうか、前みたく、遊びに来たらいーのに」 「え」 「え、嫌だった?」 「嫌じゃないよ!」 「そっか〜よかった〜」 本当に心の底から、よかった、と思っているみたいに笑うから、わたしもやっぱりつられて笑ってしまうのだ。なんだ、昔みたいに遊べなくなって寂しかったのはわたしだけじゃないんだ。 わたしがずっと好きだった、世界で一番大好きな笑顔は案外近くにあったのだ。 |