幸村精市と言う男はとても弱い。でも強い。
切原はあいつを化け物と言っていた。テニスコートに立つと凄く大きく見えると。神の子という異名があるのを知ったのはそのすぐ後だった。
しかしあいつは、コート以外だと弱い。真田や柳の方がどちらかと言うと強く見える。
「でも一番それを知ってるのはお前さんだろう?」
そう言った仁王は小さい頃幸村の家にあった猫のぬいぐるみに似ていた。
私と幸村はいわゆる幼なじみというやつで、幼稚園からずっと一緒だった。クラスもずっと一緒。
幸村は容姿端麗で優しく、勉強も運動もそこそこ。女子からの人気も高い。あいつが笑えばみんなも笑う。私はそんな幸村の笑顔が・・・・苦手だった。
「先日退院したぞ、精市は。」
「そっか。」
「お前は結局、一度もお見舞いに行かなかったんだな。」
「・・・。」
「別に責めているわけじゃない。」
「うん、分かってる。」
柳はそう言って私の頭を撫でる。
幸村が倒れたのは去年の冬。この前退院するまでの間私は一度もお見舞いに行かなかった。行けなかった。病室の前まで何度も行ったのに、部屋には怖くて入れなかった。
怖い?
あの時私は何に怖がってたんだろう?
「幸村君ならコートにいますよ。」
「柳生。」
「幸村君に会いにきたのではないのですか?」
「幸村は、お前に会いたがっていたぞ。」
「真田。」
真田はそう言って背中を向けた。その背中を見ていると柳生が私にタオルを渡してきた。そして背中を押される。
重い足取りでコートに向かうと、コートにぽつんと一人誰か立っていた。
誰かなんて分かりきっている。幸村だ。
肩を上下にさせながら汗を拭っている。そんな背中にかける言葉が見つからずにいると、足元のジャージを広いながら幸村が振り返った。
「・・・・久しぶりだね。」
「幸村・・・。」
そう言って微笑む幸村は、やっぱり強そうには見えない。戻ってきた幸村の姿は、私が知っているあいつとは違って見えた。
「はい、タオル。」
「ありがとう、蝶子。」
久しぶりに名前を呼ばれた気がする。私も昔は幸村を名前で呼んでいたのに。
タオルを受け取り汗を拭う幸村は、幼なじみのはずなのに知らない人みたいだ。
その視線に耐えきれず、私は下を向く。
「風邪引くから、早く着替えなよ。」
「あぁ、そうする。」
「じゃあ、私は、」
「待って。」
踵を返そうとした私の腕を幸村が掴んだ。そして引き寄せる。
気がつけば私は幸村の腕の中にいた。
「会いたかった。」
その腕から逃げようとするよりも早く幸村がそう言った。その腕は少し震えている。
「会いたかった、蝶子。」
もう一度言われる。その言葉は小さく弱い。
ふと顔を上げれば、泣きそうな表情の幸村がそこにいた。苦手なはずなその目に釘付けになる。
「君がいないと、ダメだ。」
「・・・精市。」
久しぶりに呼んだその名前に、想像以上に愛しさを感じた。
泣きそうな瞳が優しく細くなる。
「精市は、弱いね。」
「君になら、弱いままでいたい。」
小さく私の耳元でそう言った幸村を、私も抱きしめた。
彼は弱い、とても。
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