暁に奏でるノクターン
(殺し屋さん)

 暗闇に二つの足音が響いている。夕方までの雨のせいでぬかるみを伴って。酷く忙しない靴音に相反してもう一方は規則正しい間隔で踵を鳴らした。ひとつが消えたその数十秒後に、等間隔の足音も止まる。

「そろそろ疲れたでしょう?追いかけっこもやめにしませんか」
「なん、なんだよ…お前!」

 聳える壁を後ろに逃げ道を失った少年が怯えた目を凝らせば暗がりに色違いの瞳が浮かんだ。男はスーツを見事に着こなし、意図の汲めない微笑みを携えている。月明かりがなぞる陰影はおぼろげでこの宵闇と溶け合ってしまっているのではないかと感じる程不確かだった。

「うーん、そうですね、しがない殺し屋といったところですか」
「ころ…し、や…?」
「ええ、君を暗殺しろ、と頼まれまして、沢田綱吉くん」

 あまりにも綺麗な微笑。息をするもの忘れる程蠱惑さを纏う。真実綱吉も息を呑んだがそれは、男へではなく向けられた黒い銃口に対してであった。

「打ち損じたことはありませんのでご心配なく」

 一歩、殺し屋が距離を詰める。すらりと伸びた足に比べてなんて自分のそれはお粗末なんだろう。これではいくら駆けてみたって逃げ切れる筈はなかった。遠くでけたたましい犬の鳴き声が轟くが本当に遠くの、別の世界の音で、こうして身を切りそうな張り詰めた酸素を吸い込んでいるこの状況は隔離された空間のようだ。何人の人間が、その微笑みを捉えたが最後、脳天を打ち抜かれたのか。黒と赤と青、三色に神経細胞が支配される。綱吉は黄褐色の双眸細め背後の壁へ体を預けた。

「諦めが早くて結構。よい子は痛くしないであげましょう」
「…どうして、俺なんだよ」
「さあ、僕は依頼を頂いたまでです。クライアントへ不要な詮索はしませんから」
「殺す理由を知らずに俺を殺すんだ」
「依頼があった、僕にはそれで十分です」
「貴方にはそうであっても俺は違う。自分が殺されなきゃいけない理由くらい知りたい」

 銃身は一寸のブレも見せていなかった。さっさと引き金を引けばいいものを、呑気に受け答えに応じるのは殺し屋の中では既にこの任務を達成しているからであろう。先刻からずっと、男の眼が額の中心から動かないことに綱吉は気付いていた。と

「残念ですけれど、それは叶わなぬ願いですね。顔は知りませんが依頼主があの世に来たら問うてはどうですか?」
「顔、知らないの?」
「遣り取りは全て仲介を通して。僕は報酬さえ貰えればその手段はどうだっていい」

 さて、殺し屋がそう吐いて、セーフティを引く。がちゃり、真夜中の静寂は大袈裟に音を強調させてみせた。彼の唇が形どったのは異国のお別れの言葉。


「俺が雇い主ならこう言うよ」









「雇い主は俺でした、ってね」


 銃声が二つ、闇に弾けた。











「もー、そんな拗ねるなって、謝っただろ?」

 壁に寄り掛かり膝を抱える男の肩を叩くも、返ってくるのは鋭い眼光くらいであった。かれこれ一時間はこの調子だ。困った綱吉が苦肉の策で男の髪を乱暴に撫でやれば漸く鬱陶しそうに顔を上げた。

「…こんなスカウトの仕方、有り得ません」
「普通に声掛けるよりも面白く、」
「ないです」
「えー、そうかなー」
「それになんで僕がマフィアのドンの護衛なんて」




 銃声が轟いた瞬間、そこには座り込む殺し屋と拳銃を構えた綱吉が佇んでいた。揺るぎなかった男の瞳も、焦点を失いゆらゆらと宙を這う。傍らに転がった硝煙を吐き出す一丁の銃からの、火薬独特の焦げた匂いが鼻腔をついた。心地よいリズムで歩みった足音の主は、殺し屋に怪我のないことを確認すると安心したように笑って腰を落とすことで目線を合わせる。そして言うのだ、俺の用心棒になって、と。




「年俸は弾むよ?コクヨウ、ああ、本名は骸だっけ」
「…そこまで調査済みですか」
「うん、あらかたお前のことは知ってる。例えば好きな食べ物はチョコレート、とかね」

 綱吉は思い出したように取り出した小さな箱には、有名なチョコレート店のロゴが刻まれている。まだあどけなささえ残る笑顔に骸は眉を顰めるだけで決して手を伸ばさなかった。

「ま、普通は警戒するよな、わかるわかる」

 頷きながら包装のリボンを解く指先は、どうにも先刻あの小筒の引き金を引いた同じそれは到底思えない繊細さだ。蓋が開けられればチョコレートの甘美な香りが互いの鼻を擽る程度に距離は近い。それなり甘いものが好きなのだろう、綱吉は恍惚な表情を浮かべ薄く開いた唇が丸いチョコレートを呑みこんだ。

「あれ程の腕利きなら何も用心棒など必要ないでしょうに」
「そういうわけにはいかないだろー、だって俺ボスだもん。威厳がいる」
「それを僕で演出しようというわけですか、滑稽ですね」
「その為だけじゃないけどさ、こんだけ怖いくらい綺麗な殺し屋が護衛だったらそれだけで、みんな及び腰になると思わない?」
「……過大評価です」

 またどこかで犬の遠吠えが聞こえた。夜の帳がしんしんと彼らを覆っている。存在するのは、宵と静寂と二人分の呼吸、そしてチョコレートの香りだけだ。

「なぜ、僕なんですか」
「骸がいいから」
「返答になっていません」
「俺の超直感がお前じゃなきゃ駄目って」
「直感だけで人選されるなんて願い下げですね」
「……ちょっとね、詳しくは言えないんだけどある事情でお前の現場、見たことがあってさ」

 微かだが、綱吉の声が感情に震えていることに骸は気づいた。それが何を意図するか、計ることはできない。何かを決意するかの如く、吐き出した綱吉の吐息が沈黙を潜り抜けていく。

「その時のお前、すごく綺麗な顔をしてて、」




「欲しくなっちゃったんだ」





 咥内に広がったカカオの味は、青年の唇が運んできたものであることに気付いたのは、それが甘く溶けてしまってからだった。


「――いいでしょう、ただし」

 まるで無駄のない所作で殺し屋は残り最後の一つとなったチョコレートを手に取ると、綱吉の唇へ押し付け、そしてチョコよりも甘い口付けを重ねる。



「貴方の最期は僕が貰います」












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