今度はちゃんと言いますね (生徒×教師パラレル) |
「先生、日誌終わりました」 静かに入室してきた男子が柔らかな笑みを携えて冊子を差し出す。タイミングが良いと言うか悪いと言うか、綱吉は凝り固まった体を解そうと丁度ぐぐっと背伸びしたところであった。同時に欠伸も漏れたもので、だらしないところを目撃されてしまったことを誤魔化すように笑ってみたら、存外彼は寧ろ好意的に首を傾げるだけだ。 「ちゃんと日誌書いてくれるの、六道くらいだよ」 ぱらりぱらり、手渡された冊子を、綱吉の細い指が捲っていく。中身といえば、殆どがひらがなで書かれているもの、所感を述べるまとめの欄が頑張った、一言だけのもの、ちかちかするような色で書かれているもの、確かに日誌ひとつで内申がどうなるわけではないけれど、あまりにもやんちゃな記録たちに綱吉は肩を落としてみせた。生徒が適当にこなすそれらを確認する教師の立場にも立って欲しい。一日の所感が「頑張った」に尽きるものに対して如何返せと言うのだろうか、「担任より」の欄で筆を握ったまま硬直した時間は数えたくなかった。その中で、点数付けがもし許されるならば、大きな花丸をあげたいと常々綱吉が思っているのが、六道骸の残す日誌である。全ての項目過不足なく、心の篭った流麗な字体で記され、まとめの文言も小粋に綴られていた。 「六道の字って綺麗だよなー。俺、好き」 「そうですか?僕は先生の字の方が好きです」 「おーそれは嬉しいな。昔は字が汚くてよく家庭教師に怒られたもん」 「それは意外です」 「高一の頃の提出物とか見てもお前の字綺麗でさ、尊敬してんだぞ、実は。そんな字がもうすぐ見られなくなるのは寂しいよ」 「まだ卒業まで一カ月ありますから」 「一カ月しか、ないんだよ。大人になると月日の流れは早いぞー」 綱吉のか細い指先が日誌を優しく閉じる。その手つきはまるで大切なものを仕舞った箱を見つからぬようにこっそりと閉める様であった。もう一度伸びをした綱吉が、よし、と立ち上がり、椅子の背に掛かっていたコートを馴れた手つきで羽織る。 「六道もう帰る?」 「えぇ」 「じゃあ俺も一緒に帰るー」 「、すぐ!荷物取ってきます」 「ゆっくりでいいよ。正門で待ち合わせな」 かつんかつん、と二人分の靴底がアスファルトを鳴らす。二月の風は身を切るが如く冷たく、綱吉は肩を竦めた。厚手のコートにマフラー、手袋、完全防備の彼の隣、頭一つ分背の高い骸は制服のブレザーにマフラーを巻いているだけである。 「寒くないの?」 「平気です。先生は寒がりですね」 「いや、これが普通だと思う…。若いっていいなー」 「年齢は関係ないですよ」 「そうかなぁ。ほら、俺の鼻超冷たい」 それまでふらふらと揺れていた腕が骸の方へ伸びたかと思うと、その手を取り自身の鼻先へと押し付けた。凍る様に冷えた鼻頭が手のひらの温もりに溶けてゆく。心地よいのか綱吉はほへーと間抜けな声を出していた。 「六道の手あったかいー」 「温かい手を持つ人は、心が冷たいとよく言いますね」 「あーそれ、うそうそ。だって六道優しいから、嘘だね」 からからと笑った綱吉から開放された手のひらは、彼の頬を一撫でしてから離れていった。駅まで続く並木道、朝は生徒で溢れかえるが今の時間帯に下校する姿はまばらだった。もうじき桃色の花弁を纏う街路樹も、今は裸で酷く寒そうだ。やや足に感じる程度のなだらかな傾斜のある道で、下る下校時、引力にしたがって少しだけ足が軽くなる瞬間が綱吉は好きだった。小さな羽が生えたようでどこへでだって行けそうな気がするから。道の先が駅。各駅停車しか止まらないささやかな駅舎だが、目の前は丁字路になっており、左右に続く道にコンビニやスーパーなどが並んでいる。この路地を三年間、綱吉は通い続けていた。三度前の春、若干大きめに作ってしまったスーツで緊張に震えながら全校生徒の前に立ったあの日はそれ程遠くないように思う。 「六道たちも卒業かー」 「もう、先生その話ばかりですね」 「だって寂しいよ。なんていうかさ、立場は違えど同期みたいなものじゃん。感慨深いっていうか思い入れあるっていうか。あ、贔屓じゃないぞ贔屓じゃ」 「贔屓してください」 「え?」 「だって、僕は、先生のこと――」 その先はサイレント映画のように唇が動いただけだった。北風が凄まじい勢いで駆け抜けていったからである。骸の発した言葉は風邪に浚われてどこかへ消えた。傍らの木々が余韻を残すように揺れている。 「え?なに、ごめん、聞こえなかった」 「…いえ、大したことでは」 そうしていつもの様に笑う骸に、どうしてか何とも言えないくすぐったさを覚えた。心臓の辺りをこしょこしょと擽られたみたいだ。得たいの知れない感覚を振り払うため大きく首を振ってから、綱吉はわざとらしく、あー、と口を開いた。 「明日、小テストやるぞ」 「そんなこと僕に話してしまっていいんですか?」 「言っても言わなくても満点な癖に」 「先生の教え方がいいんです」 「上手いよなー六道。お前絶対出世するよ」 先刻の甘い違和感は綺麗にどこかへ行ってしまった。楽しそうに笑う綱吉にはそれがどんな具合であったかもう思い出せない。 「そしたら養いますね」 「おう、奥さん大事にしてやれ」 「先生を、ですよ」 「俺?男なのに養われるの?」 「そうです」 「俺も男だから養いたいんだけど」 「彼女いないでしょう」 「う……今じゃなくて!」 「養い合いもいいではないですか」 綱吉は大きく頬を膨らませた。骸の提案に対してではなく、恋人の有無を指摘されたからである。そんな綱吉を横目で捉えた骸が漏らしたひどく愉快げな笑いは吹き付けた冬の風に溶け込んでしまった。 「卒業するお前らに俺から愛のこもったプレゼント……みんな大好き小テストー」 想定通り、教室内は不満の声で満たされた。自発的にテストを受ける準備を済ませたのは一番前の席に座る骸くらいだ。卒業を間近に控えた三年生の授業など大抵自由なもので、教師のお勧めの映画を見るだとか高校三年間を振り返るだとかおにごっこするだとか、他の学年からすれば何をやっているんだろうと首を傾げたくなるような内容ばかり。それは教師らなりに、この三年間を労う意図を込めて、いつからか並盛高校の定例となっている。 「高校最後の小テストもいい思い出になるよ」 はいはい筆記用具以外しまってー、そう号令が掛けられる頃には不満どころか笑い声が聞こえてくるのは沢田綱吉という教師の人望である。内容は堅苦しいものではない。国語を専任とする綱吉は、漢字の読みや書き取り、小論文などを盛り込んだが、それも、アイドルグループのメンバーの名前を漢字で書け、以下の沢田綱吉の小学校卒業文集を読み設問に答えよ、など小テストとは名ばかりのこれも労いの授業に他ならなかった。それがまた綱吉の文集というものが、歪な文字で延々と「如何にヒーローになりたいか、その素質があるか」を綴っており(テーマは「将来の夢」であるらしい。ありきたりであるが小学生の卒業文集など往々にしてそんな内容であろう)まず読解するのに時間を要する、読み解けば読み解いたで内容に肩を震わす生徒が続出したという。綱吉自身、読み返して恥ずかしさを覚えないわけではないが、ただの小テストでは面白味に欠けるし、そんな部分ですらもこの子達へなら晒してもいいと思えたのだ。 「はい、終了ー。採点して今日のホームルームで返すな。…おい、そこのにやにやしてる奴、何が言いたい。ヒーローを夢見て悪いか」 教室は笑い声で溢れる。集まった答案用紙を纏めたところで、手伝いましょうか?と骸に声を掛けられたが、次の授業の準備をするよう促して廊下に出た。終礼までもう授業のない綱吉はのんびりと職員室へ向かう。あと何度、彼らの前に立てるのだろうか。寂しさを抱いた己に首を振る。慣れ親しんだ学び舎を巣立つ者たちを自分はしっかりと送り出さねばならない。してやれることは多くないかもしれないが、それならばせめて笑顔でその門出を祝ってやりたいと。そう思ってはいるのだが、頭と心は別物である。今だって、答案に書かれた生徒らの慣れ親しんだ字に、漏れた吐息の色は筆舌に尽くし難かった。 何枚目かの採点で、一際美しい文字の答案を巡った。記名を見ずともわかる、六道骸だ。内容が内容と言えど、気持ちの良い程丸が並ぶ。子供の作文に対しても茶化すことなく真剣に解かれていた。彼らしさ、についくすりとした綱吉の目に一文が止まる。それは解答欄の外れにより綺麗な字体で綴られていた。 『好きです』 たった四文字だけれど、その筆跡に全てが込められている。暫く停止していた綱吉が徐にペンを走らせ、次の答案採点すべく紙を捲った。 迎えた卒業式、綱吉は泣き腫らした瞼で精一杯笑顔つくる。式典を終え、最後のホームルームには鼻を啜る音が絶えなかった。どうしても声が震えてしまう、そんな姿格好悪いので、送辞もいくつかに、早々に終らせる。なかなか教室を後にしない生徒たちに、お前ら早く帰れよ、なんて努めて普段のように声を掛け、自身は教壇を降りた。出入り口を跨いだ折に振り返ってみれば、赤と青の色違いの瞳と混じり合う。踏み出した足を止めるわけにはいかず、進む体に伴い視界から消えゆく刹那、彼が優しく微笑んだ気がした。 これで何度目の春だろうか。綱吉は職員室を覗く桜の木を仰ぎぼんやりと考える。幾度経験しようとも、やはり教え子たちの門出は寂しさや切なさを覚えずにはいられない。先刻も鼻を啜りながら、クラスの最後のホームルームを終えてきたばかりだ。教師生活も指折り数えると二つ掌が必要だが、どうにもこればかりは慣れようがない。慣れたいとも、思わないのだけれど。少し風に当たろうかと外套も羽織らず外に出てみた。桜は開花にはまだ早く、蕾が風に揺れている。人気のない校舎裏で裸の木を見上げたその瞳が、ふと、人影を、捉えた。 「――六道」 最後の記憶よりも少し伸びた背、大人の落ち着きを纏い始めた顔つき、見慣れない私服姿の元生徒にどこか擽ったさを感じた。 「先生、寒がりなんだからそんな格好で外に出てきては駄目ですよ」 ふわりと首元に暖かなもの。骸が身に付けていたマフラーだ。濃紺の軽い毛糸が鼻先を掠めると、懐かしくそれでいて知らない匂いが鼻腔を擽る。 「お前……まさか、」 「おや?先生はご自分で書かれたことを忘れておいでですか?」 口許を緩めた骸が首を傾げた。――自分の書いたこと。そんなものどう頑張っても忘れられなかった。 あの時の答案用紙。流麗な文字で書かれた欄外の一言に綱吉は、こう返していた。 「『4年後、想い変わらぬなら、またここで』、なんて随分とお預けをくらったものです」 マフラーに埋まった顎に手を掛けられる。その角度に生まれた身長差を意識せざる得ない。けれど、注ぐ色違いの瞳はあの日と同じ、柔らかな微笑みが浮かんでいた。 「ねぇ、先生。今度はちゃんと言いますね」 「先生が好きです」 あぁ、大きな花丸をあげよう。 - - - - - - - - - - 150309 パラレル美味しいです。 |