いつか見る星
3words企画(@P_W_I_word)
「形勢逆転」「星」「屋上」

「何やってるの」

 まずい。
 あまりの窮地に綱吉の頭は思考活動を停止し、「どうしよう」と信号を発しただけで機能を失ってしまった。そろりと振り返った先に、給水塔から降り立った学ランが翻っている。とうとう脳みそは筋肉系統への指示すら放棄したようで(成績を下から数えた方が早い綱吉も、人体の動く仕組みに脳からの電気信号が必要だということくらいは辛うじて知識としていた)、ぎこちなく笑って見せるのがやっとだった。

「あ、えーと…これは、ですね、その」
「サボり?」
「、はい」

 出席すべき授業をサボタージュ、つまりそれは風紀を乱す行為と取ることもできるが、身構えた反面、あの鈍器が体にめり込むことはなかった。気付かれぬように吐息を吐き出した綱吉の隣で、雲雀は「ふーん」と、手すりに体を預ける。痛い思いをしなくて良かったと肩の力を抜いたが、これはこれでどうしたものかと、また違った緊張が背筋を抜けた。取り敢えず、背面へ向けていた首をこれまたぎこちのない動作で正面へ戻す。晩秋の昼の空は霞むように雲と青が溶け合ったいた。こんなことならば黙って数式を解いていれば良かったのかもしれない、呪うべくは刹那的に解放を求めた自分以外に何があろうか。冬の訪れを告げる風が、互いの肩の間を通り過ぎていった。風の音さえ孤立する程の沈黙。身動ぎすることすら躊躇われた。なぜって、隣に佇む風紀委員長がじっと綱吉へと視線を注いでいるからである。先刻までやや肌寒く感じていたのに、今はどうやら痛覚の神経すら切り離されてしまったようで、血液を送り出す心臓の荒れ狂った鼓動に全身を支配されていた。

 学校という場所は、教養や体躯を育む機関であることは言わずもがなだが、そんなこと大人にならなければ痛感しない。義務のように押し込められたこの建物で、彼らが一番に身近へ感じるのは、ヒエラルキーという社会構造だ。残念ながら人間誰しも平等ではない。能力、人望、外見、様々な立地から階級は存在するけれど、概ね彼らが絶対としているのが、年長者と力のヒエラルキー。こればかりは逆らいようがなかった。そしてあろうことか雲雀はどちらも頂点へ君臨していたのである。

「沢田もサボったりするんだね」

 泣く子も黙る、とはまさにこのことで、並盛中学校の風紀は彼によって守られていた。乱そうなんて画策するならば、仕込みトンファーが飛んでくるからだ。勿論、それに値する行為でしか振るわれないけれど、振るわれないからこそ、教師ですら咎める機会を失っているわけで。些事に対しては口頭での注意喚起であったり、校内掃除などの軽度な処罰と取り決めているが、いつしか校舎では秩序を乱す者へは鉄拳制裁ならぬトンファー制裁なんだと噂が広まっていた。事実に反する話ではあるものの、この噂が功を為し、並盛生で風紀委員の目に付くような行為は自粛する風潮が強い。

「ひ、雲雀さんこそ…」
「ふふ、強く出るようになったね、沢田も」
「いっ、すみませんっ」
「いいよ、隣でぶるぶる震えられてるより全然」

 そんな中で、綱吉はよく風紀委員にお世話になることが多かった。もし、遅刻者というランク付けがあったとしたら、間違いなく上位に輝いているからである。登校時、定時になると門を締めるのは風紀委員の仕事だ。時間までに入れなかった者は、委員によって名簿に名を連ねられる。この一年で雲雀が一番名前を書いたのが、言わずもがな、沢田綱吉の名であった。「将軍の名前を貰っておいて随分と小動物然としているんだね」初めの朝、そんな言葉が降ってきたのは忘れられずにいる。その時分では、なりふり構わずトンファーが飛び出るものだと噂を信じ込んでいて、閉ざされた正門に立つ雲雀の姿を捉えた瞬間は、大袈裟でも死すら覚悟した程だ。その覚悟を裏切るか如くなんと今日までトンファーと対峙する機会はなかった。ああ、そうか、皆が怯えているのは、彼らが作り上げた幻影なのか、彼の存在がそんな物騒なものではないと理解し出したこのところでも、だけれど翻る学ランを認識すれば、心拍が乱れてしまうのはパブロフの犬の様なものだ。またなの、と呆れられる春が過ぎて、懲りないねと笑う夏、そして秋を迎える頃には、待ってたよ、と言われる様になってしまった。

「何の授業?」
「数学でした」
「君、数字に弱そうだもんね」

 屋上へ吹く風に浚われるみたく、雲雀は微笑を浮かべる。学内を支配する恐怖の象徴が、綱吉の中で人間となったのはこの微笑みを見た時からだった。初めて目にしたのはいつだか忘れてしまったが、恐らく朝の校門の前であろう。何かのきっかけでふっと、雲雀が笑ったのだ。そこから少しずつ、積もった雪が春先にゆっくりと溶解していく様に、臆病な綱吉が、雲雀との関係を築き出した。相変わらず、門の前での会合が多いし、未だ驚く程緊張はするけれど。

 ふと、どこから舞ってきたのだろうか、落ち葉と思しき欠片が雲雀の黒髪へ咲いていることに気付く。ここで何故だか、言葉よりも先に指先が動いた。つい先程まで、機能が停止していたからだろうか、理由すら考えなかったが、兎に角自覚した時には、雲雀の前髪へ腕が伸びていた。僅か目を見開いた彼が、綱吉をはっとさせる。誰よりも驚いたのは綱吉自身で、慌てて後ろへ引こうとした足が引っかかりよろけ、あろうことか前方に――雲雀の方へ倒れこんでしまった。まさかその体勢から自分側へ傾くだなんて予想だにしていなかったのか雲雀は受け止められずに、そのまま後ろへと倒れる。上手く衝撃を逃した雲雀の頭の横に手をつき、覆いかぶさるように着地した綱吉の時間が止まった。何とも言わない雲雀の視線がじりじりと綱吉の脳神経を焼いているのだ。数秒間は状況が飲み込めなかった。例えば人は怪我をした時も、驚愕が勝り意外と痛みを感じないことがあると聞く。はたまた、緊急時には脳内麻薬が分泌して痛みを和らげることもあるそうだ。怪我をしたわけではない、痛みはないにせよ、麻薬に近いものが絶賛放出されていて、現実から遠ざけてくれているのかと思った程だ。人生で一番長い数秒だった。



「ごごごごごごごごめんなさ、」
「月」
「――…ふぇ?」
「月が出てるよ、昼間なのに」
「つ、き?」
「星は光れないのかな、明るいうちには」

 雲雀の視線は、綱吉を掠め、仰いだ空へと注がれていた。そんな体勢となった経緯へは全く関心のないように目を細めている。

「ああ、でも」

 にやり、そう表現するが正しいだろうか、雲雀は口角を持ち上げた。その笑みは綱吉の見たことない表情である。


「沢田なら見せてくれるかもしれないね、真昼の星」


 重力に逆らって柔らかな何かが唇に触れた気がした。






- - - - - - - - - -
141201
たのしくかけた!





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -