切愛プリンシプル

「別れよう、骸」

 綱吉がそう切り出したのは特別なことは何一つない朗らかな午後の昼下がりであった。



 気づいてしまったのだ。否、これまでも勿論知らなかったわけではない。ただ、不意になぜか嫌に現実が姿を現し存在を主張してきた。自分達は結婚することができない。子供も産めない。同性の婚姻が認められている国もある、が逆に言うなればそうでもしないと認められない関係なのだ。先述通りそんなことは相手への気持ちを受け入れたその時に、もう通り過ぎてきた考えであった筈なのに、なのに何とはなしに報告書に目をやっていたある瞬間、どうしようもない苦しさが頭を擡げ大きく膨らんでいってしまった。綱吉自身に、結婚や子供の願望があるわけではない。けれど、同じように相手にそれを強いるのはあまりにも驕りのような気がした。家庭を築くその道を、奪ってしまっているのは他でもない自分なのではないかと。骸は惜しみない愛を注いでくれた。その気持ちを疑うわけではない、彼も自分を好きでいてくれているのだと実感している。それでも、その先の可能性を潰してしまえる権利など果たして持ち得ているのだろうか。何を今更、綱吉自身そう感じていた。しかし時として人の思考は安易に、そしてふとした瞬間に、気にも留めていなかった不安がまるで全てを飲み込む闇の様に突如その大きな口を開けるものなのだ。

 どうしてですか、開けてください。執務室と廊下を遮る木製の扉が乱暴に叩かれる。綱吉は扉に背を預け力なく座り込んでいた。心拍を乱すその振動に息が苦しくなる。ドアを隔てての別れ話など卑怯だとわかっているけれど、こうでもしないと、容易く自分が揺れてしまうことなんて瞭然であったから。

「男同士じゃん」

 震える声を必死に抑えたが、骸の耳には果たしてどう届いていたのだろうか、それを知る術はない。縋るようなノックの音が止まり、部屋は静寂に溺れた。こつこつこつ、と無機質な音がゆっくりと遠ざかって行く。綱吉は膝を抱える腕に顔を埋めた。




 不思議と綱吉は泣かなかった。心は耐え切れない程に痛いけれど、涙にはならない。寝返りを打つ、暁の鳥の囀り、誰かの足音、笑い声、たったそれだけのことでも胸はキリキリと痛みを訴えた。食事が喉を通らない日も珍しくない。そんな時には無理矢理胃に納めるが、その後便器を抱える自分に情けなくなって流石に笑えてくる。眠るのも怖かった。初めの方はよく二人の夢を見た。温かくて幸せな夢。その朝は決まって絶望と共に目が覚める。加えて周りが随分と気を遣っている事実が殊更綱吉を押し潰した。特に獄寺なんかは、不自然な程明るく振舞っていて、面白可笑しく話をしてくれるが、残念ながら愛想笑いしか引き出せない。あの雲雀も黙って部屋までやってきては、ただただ無言で隣に居続けることもあった。綱吉はその方が幾分、痛みは和らいだ。相変わらず平生通りなのは家庭教師で、誤字が多いだの字が汚いだの手加減のないダメ出しに少しだけ微笑む余裕も出てくる。ひたすらに仕事に打ち込んだ。他の事を考えられないように回路を潰した。億劫だった会談も食事もパーティも、誘いが来れば全て顔を出し、張り付けた笑みを振り撒く。二週間も過ぎれば、自然と空腹も感じるようになった。時間は時にこの上ない薬になるのだと実感する。依然と胸の痛みは続くけれど、今を耐えれば、愛する人の幸せになるのだと念じるように言い聞かせるのであった。あれ以来、骸とは顔を合わせていない(あの刹那も面と向かってはいないが)誰も報告には来ないけれど、どうやらリボーンによって数週間の任務に出向させられたようだった。綱吉だって大人だ、公私混同などするつもりは毛頭なかったが、師の優しいお節介に少しばかり感謝しなかったわけではない。顔を合わせる不安がないだけで僅か心が軽くなった。こうやって、ちょっとずつでも、日常に戻っていけばいい。失くしたものは、永遠にそのままかもしれないけれど、その分彼が幸福に足る何かを手に入れてくれたら良いと切に願った。



 その日は快晴だった。夏の終わりの秋の初め、季節特有の穏やかな太陽の光が居室に差し込む。朝一番、丁度目が覚めた折に、どうしてか泣きそうな顔の右腕が控えめなノックで部屋に入ってきて、ぐすりと鼻を鳴らしながら90度に腰を曲げ挨拶をする。普段も過ぎるくらいに心服されている自覚があるが、それにしたって様子のおかしい部下に訝しげにおはよう、と返せばやっと顔を上げる右腕。そのままウォーウインクローゼットへ吸い込まれていった。そこまでしなくてよい、と常日頃伝えているもののドンのその日の服を見繕うのも彼が至極大切にしている業務の一つである。ありゃ仕事じゃなくてアイツの趣味なのな、そんなことを友人は言っていたっけ。そうして右腕が大事そうに抱えてきたのは、真っ白なタキシードであった。合わせて白いシャツにネクタイはやや濃いめの青。着替えたら広間へ御出でください、そう言って名残惜しそうに右腕は部屋を後にした。礼服を纏えということははて、今日は何かの席でもあっただろうか、寝る前に予定を確認した筈だが見落としたのだろう。着慣れない袖を通す。慣れた手つきで締めたネクタイの色は恋焦がれた髪の色によく似ていた。

 廊下を革靴が軽やかに踏み鳴らす。気持ちとは裏腹に、その音だけ次元が異なるようだった。半螺旋の階段を降り、確かな足取りで広間まで向かう。その部屋は屋敷内でもそれなりの広さを誇り、専らパーティやファミリーの総会等で使用される部屋である。重厚な扉が目立つのだが、今日は閉ざされたその前に、ブラックスーツに白ネクタイを締めた家庭教師が気怠そうに壁に寄りかかっていた。傍らにはビアンキ、こちらは清楚なドレスを纏っており、持ち前の美貌と相俟って思わず瞬きを忘れた程だ。その手には花冠が握られていた。

「おせェぞ、ちんたら脱いでんじゃんねぇ」
「ええと、今日は何の席?」

 首を傾げた綱吉の質問を遮るように、ビアンキが手にしていた花冠をその頭へと乗せる。小さな白い花をあしらった冠は、半周程度柔らかなレースの布がつけられていた。ふわりとレースが肩を擽る。髪の長い女の人はこんな感覚なのだろうかと、頭の隅で考えた。

「簡単なものでごめんなさいね。でも似合っているわよ、ツナ」

 救難信号を出した綱吉に師は、ん、と腰に当てた腕を突き出してくる。掴まれということであろうか。最早脳は理解することを停止して、その腕と取った。いつだって、彼にしがみつけば前へ進んでくれたから。


 ぎぃ、重い扉が開かれた先の光景が、息をするのも忘れさせた。真っ直ぐ伸びる赤いカーペット、脇には、守護者や幹部の面々が並んでいた。十代目ェと号泣している右腕の肩を叩く友人、ガッツポーズをする初恋の人の兄、弟分や兄弟子、雲の彼はどこか面白くなさそうに並べられている椅子へ座っていた。それでも目が合うと、少しだけ微笑んでくれる。そしてその先には、同じように白いタキシードに身を包んだ、骸の姿があった。口々に送られるおめでとう、の言葉と拍手、その中をゆっくりと勿体つけるように家庭教師は進んでいく。一歩、二歩と彼との距離が縮まる、眼前の顔にははっきりと幸せの色が浮かんでいた。

「ムクロ、大事な愛弟子をこれ以上泣かせたらタダじゃおかねぇからな」

 愚問だと言うように返事はあの独特の笑いだけで、そっと綱吉へと優しく手を差し出す。

「僕と結婚してくれませんか?」

 掴んでいた家庭教師の腕が促すように小突いてきた。今自分がどういう状況に置かれいて、掛けられた言葉がどんな意味を持つのかなんてこと、いくら処理の追いつかなくなった頭でだって、わかりきってしまっている。恐る恐る、儚いガラス細工に触れるが如く、その手を取った瞬間、綱吉の褐色の双眸からはぼろぼろと大粒の涙が溢れていた。

「紙がなんでしょう。そんなものなくたって、僕は君を幸せにします」
「む、く…ろっ」
「誓わせてください。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、君を愛し、君を敬い、君を慰め、君を助け、この命ある限り、真心を尽くすことを」

 真っ直ぐに色違いの瞳が注ぐ。全ての不安を振り切るように、大きく何度も大袈裟なくらいに頭を上下に振ってみせた。どこか安心したような口許が涙で濡れそぼった唇へと、重ねられる。誓いのキスは酷くしょっぱかった。






「この恰好では目立ちますね」

 真っ赤なオープンカーが海岸沿いの風を切る。頭に乗せたままの花冠のレースも靡いて飛ばされてしまわないように、少し注意する必要があった。密かに、それでいて盛大に行われた式の後、一週間は返ってくんな、と家庭教師に追い出されてしまった。なんて強引なハネムーン休暇だ。互いにそのままの格好で車へ乗り込み、向かう宛てもなかったが、いっそ新婚旅行らしくイタリアの観光地でも巡ろうかということになった。母国を離れてから数年経つが、言われてみれば観光地へ赴くなど初めてのことかもしれない。

「そうだな、まず服買わないと」
「宿はどうしましょう。三ツ星ホテルもいいですし、素朴な民宿も味がある」
「どこだっていいよ」

 指輪は用意していない、骸は言った。形がなくとも自分たちが繋がっているんだと、強く想い合う為だと。綱吉も心からそれに賛同した。証明なんてしなくていい、誇示など必要ない。共に歩む、互いに前を見て。そうして進むべき道があるのなら、それ以上は二人にとって有ろうが無かろうが同じことであった。空には真昼の月がささやかに浮かんでいる。


「骸と一緒なら」













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140917
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