オモイ患い

「報告書です」

 また、まただ。急に心臓の脈が速くなる。どくんどくんと煩い位に胸を叩いて息が詰まった。手先が震え頬が熱い。この頃、六道骸を眼前にした綱吉の体の反応は決まってこうだった。どうしてだろう、そう思い巡らすもその度に必然として骸の顔が頭に浮かんでしまいいつもそこで思考を停止させる。否、停止すると言った方が適切か。俺、骸アレルギーかもしれないんだ、一度真剣に家庭教師に相談したことがあった。どう考えたってやはりこの体の反応はおかしい、もしかしたら病気なのかもしれないと綱吉は怖くなったのだ。あくまでも真面目に深刻に打ち明けたものの、家庭教師は鼻で軽く笑い、一瞥しただけで何処かに行ってしまった。ああ、病名も言えない程に重症なのかもしれない。

「…綱吉くん?」
「、あ、ごめん、ぼーっとしてた」

 受け取った報告書を手にフリーズしていたらしい。心配そうに顔を寄せる骸に、慌てて椅子ごと後ろに引けば、その脚が書類を纏めていたダンボールにぶつかる間抜けな音が鈍く響いた。どうしてこんなところにダンボールが、不条理に憤りを覚える。が、後でやろうと移動を驕ったのは紛れもない己であると瞬時に思い出し、悟られぬよう報告書で顔を隠した。紙の向こうから漏れ聞こえた小さな笑い声は遮断して、書面の文字に集中するも記号の羅列にしか見えない。頭も重い。これは本当に重度かも。斜め読みも良いとこで内容の租借は後回し、平静を装う振りをしてページを捲るが指が上手く動かなかった。はてどうしたものか、困り果てていたところで鉄壁の壁が取り上げられてしまった。あまりに脆すぎる壁。

「大丈夫ですか?どこか、」
「大丈夫!大丈夫だって!いいから――」


 世界が反転した。




 重い瞼を持ち上げると、ぼやけた視界にいつもの天井が見えた。状況の一切が理解できず頭を横にやれば赤と青の双眸と目が合うが、すぐにべちゃりという水音ともに視界が遮断される。

「気分はどうですか?」

 横から伸びてきた手は眼前を遮った理由を解決してくれた。落下したタオルを綱吉の額へと戻す。併せて、頭の位置を正されたが、今度はタオルが動かぬよう少しだけ首を傾けた。なにことの顛末を聞けば、あの時、世界が反転する前、正常であったその空間で、骸が近づくと慌てたように立ち上がった直後、雪崩れるかの如く崩れ落ちたのだという。

「体調が悪かったのならなぜ言わないんです。君はいつもそうやって無理するから」

 その手のひらが綱吉の頭を撫でる。無遠慮な温かさになぜか泣きたくなった。そうじゃない、と示すように首を大きく左右に振るから額のタオルはまた滑る。そうして同じように骸の無骨な手がそれを治すのだった。綱吉はもう気付いている。なんとかそれを言葉にしようも吐き出せるのは熱を帯びた吐息だけで、形にならない。それでも、声帯を震わせようと一生懸命腹に力を入れた。

「むくろ、俺ね、気付いちゃったんだ」
「何をですか?」

 きょとん、と僅か見開く色違いの眼は先の言葉を待っていた。大きく息を吸い込み、呼吸を落ち着かせる。発熱のせいだけではない体の火照りに思考回路は霞むものの、ぐっと両の手を握り締めた。


「俺、骸アレルギーなんだ」


 注ぐオッドアイは動きを停止してしまった。時間すらも止まったように思えたが、正確に刻む時計の針が、世界は正常なことを伝える。不可抗力と言えど、やはり相手を傷付けてしまったのだろうか、綱吉はやり切れない痛みに毛布を鼻先まで持ち上げた。困ったような骸が髪をかきあげ、力なく笑って見せている。

「綱吉くん、それはどういう意味ですか?」
「お前といると心臓が煩くなるし体は火照って息が上手くできない。手先が震えることもあるし、アレルギーの症状なんだと思う」

 また、二人の時間が止まった。暫く呆けていた骸の顔が不意に赤くなったかと思えば唇を噛み締めている。てっきり冷たい対応をされるかと確信していた綱吉は呆気にとられつつもそろりと口許を覆う毛布を下げる。布団の中よりは新鮮な空気が鼻から肺へと流れ込む。けれどほら、やっぱり今だって呼吸が乱れていた。人体というのはしっかりと抗体が戦ってくれているんだなぁ、とこんなところで生を感じざるを得ない。過熱した頭が思考の邪魔をする。回らない頭の綱吉を他所に、それまで沈黙を守ってきた骸は黙って腰を上げ、ベッドへと腰かけてきた。

「ちょっ…!だめ、悪化、するって」
「これでも症状が出ますか?」
「出る!出るから!」

 ゆっくりと近づいてくる体を必至に押し返すも元より力では到底勝ち目はない上、今の体調では殊更無力に等しかった。見慣れた天井は見えなくなり、視界いっぱいに広がる端正な顔。どくどくどく、心臓が混乱している。自然と空いてしまった口に気付かなかったくらいで。助けを求めるように布団を握っていた手、そこへそっと重ねられる温もりにびくりと体を震わした。

「これは?」
「悪くなってる!離れろって!」

 ぐいぐいと押し返すも先述の通り。気にも留めないような涼しげな表情の骸は、くすりと口許を緩ませてはさらに距離を縮めてくる。なにがおもしろい、死に至ったらどうする、と瞳に抗議込めるもお構いなし。どくどくどくどくどく。とうとう息が触れ合う程に近くなってしまった。骸の吐息が唇を擽り少しくすぐったいと思った。どくどくどくどくどく。心臓はもう壊れてしまったのだろう、皮膚を突き破り飛び出してきそうな勢いだ。

「では、これはどうでしょう?」

 長い睫毛の一本一本を目視できる距離に綱吉は最早何も言えず、口をはくはくとまるで餌を求める鯉のように開閉するだけであった。それからどの位、この状態であったのかは覚えていない。意識に残っているのは暴れ狂う心拍と、骸の眼球に映る間の抜けた己の顔だった。漸く骸が体を起こしたので短く息をつけば、またすぐに身を屈めてきて、休む間もなく硬直するハメになってしまう。今度は先ほどよりも一層縮まった距離、そして鼻頭へ触れる柔らかな感触。それが骸の唇だと気付いたのは、彼が隣の椅子へ腰を戻してからのことであった。

「……!」
「元気になったら、その病名を教えてあげましょう」



 発熱は単なる風邪で、アレルギーと信じていた反応の真実を綱吉が知ったのはそれから数日後のことだという。















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140913


















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