青空に続く君と

 空欄の目立つ解答用紙から顔を上げる。壇上の教師と目が合いそうになり、慌てて窓の外へと視線を移した。青々と茂る山間を入道雲が縫い、更にその上に広がる青空は何とも開放的であった。それなのに、どうして自分はこんな閉鎖的な校舎で制服を身に纏い机に向かっているのか。逡巡するまでもない、答えは明白、補講だ。こうして綱吉が数式に唸っている間にも、自由な時間を楽しんでいる者がいるとは認めたくもなかったが、元を正せば定期試験で平均点以下しか取れなかった己の責任である。補習を受けたところで、学力の足しになるなどとてんで思っちゃいないけれど、一つの罰だと受け入れ出席していた。まあ、そんな大それた意見を言える立場ではないが。
 今度は教師に気付かれないよう、ちらりと壁の時計を盗み見た。時刻は十二時二十五分ほんの少し前。祈るが如く目を伏せたその刹那、カチリと針の動く音がした。

「プリント提出した奴から帰れー」

 十分とは言えない解答欄だがこれ以上頭を捻ったところで正答が出るとは到底思えず、指摘を受けぬうちにこっそりと教室を後にする。蝉の鳴き声が、コンクリートの壁をすり抜けて、廊下へも反響していた。連なるように、軽快な金属音も聞こえてくる。どこか遠くに感じる環境音と人気のない校舎は心地の良い不協和音で、まるで非日常へと誘うかのようだった。思考はいずこへやりつつ廊下の突き当たり、階段に繋がる曲がり角で何の意識も無く、自然と体の向きを変えたところ、何かにぶつかり二、三歩よろめいてしまった。

「廊下は右側通行って習わなかったの?」
「えっと…すみません…」

 肩口に押し付けられた鼻頭を摩る。ただでさえ低いのにこれ以上潰れなかったか心配になったらしかった。綱吉の眼前で、一寸も動じず腕を組んでいる雲雀は、綱吉と変わらず制服姿であった。

「雲雀さん、夏休みも委員会のお仕事してるんですか?」

 同様に制服を纏っているとは言え、まさか雲雀が補習授業を受けに来る筈はない。左腕へ当たり前のように鎮座する風紀委員の腕章が、明白な真実を語っていた。学生に与えられた夏休みという利権を、こうして校内の風紀の為に行使するなんて雲雀くらいのものだろう(複数名いてもらっては困る)

「そう、乱れてないかね。君は?」
「あ、いやー…ちょっと補習で…」

 怒られるだろうか、呆れられるだろうか、歯切れ悪く言った綱吉に反して、雲雀はふーん、と返しただけだった。

「終わったの?」
「はい、今さっき」
「じゃあ一緒に帰ろう。荷物持って来るから待ってて」

 言うが早いか綱吉の返答など待たず、背後の階段を登って行ってしまった。こういう自由気ままなところが、綱吉は羨ましく思う。壁にもたれ掛かり、聞こえてくる音に耳を澄ませる。やはりそれはどこか、自分と違う世界の音の様だった。



 殆ど真上に座する太陽がじりじりと容赦無く体を照りつける。抗うこともできず、額に汗が浮かんだ。田畑に囲まれた一本道、視界の先には山の緑と青い空と雲。そして所々住宅が点在しているだけ。何もない、と表現するに足る風景であった。この地に生まれ、この地で育った綱吉は、勿論都会への憧れはあっても、生まれ故郷に誇りを感じていて、ビルや人で犇き合う街を何処か別の空間の事のように感じていた。きっと驚くような速さで回っている場所に違いない。自分などすぐに躓いてしまい置いていかれることだろう。

「宿題、ちゃんとやったんだろうね」

 砂利道に二人分の足音が響く。歩みの早い雲雀と並んで歩くには普段よりもほんのちょっと頑張らねばならなかったが、雲雀も雲雀で平生は今よりも更に歩幅が大きい。互いが一生懸命相手に合わせようとしているらしかった。当然、そんなことに綱吉が気付くわけもないが。

「う…、31日までには終わらせます…」
「あれだけ僕が言ったのに。ま、綱吉らしいけど」
「雲雀さんは…!」
「少なかったから一日で終わったよ」
「あ、そっか、受験生ですもんね」

 中学三年生の夏、天下の分け目とすら言われる時期だ。綱吉も来年は同じような立場になるが、彼らに比べればなんともまぁ、呑気なもんだと思った。いずれは誰しもやってくるものであるけれど、今はまだ脳の片隅へと追いやりたい。まるで雲雀へ放った言葉が進行方向に逆らい自分に返ってくるようで息が詰まった。呼吸を乱したのは、ただそれだけの理由でないことも、何となく綱吉自身気付いている。夏が終わり、秋を向かえ、冬を越し、春が来たら、雲雀はこの学校からいなくなる。登校すれば雲雀がいて、会話を交わし、時には昼食を共に、こうして一緒に下校する時間がなくなってしまう。そんなことありやしないのに、どうしてか、雲雀との時間が永遠に続くものだと思っていた。いや、思っていたかったのかもしれない。変わってしまう日常が、怖い。

「雲雀さん、志望校どこにしたんですか?」

 うだるような暑さにワイシャツの第二ボタンを解放する。ふと横を向いた雲雀にそれを気付かれ即刻直されてしまった。さすが風紀委員長。一歩、二歩、と歩めど雲雀からの返事はない。互いの間を蝉の声が通り抜けていくだけだった。一年と少し前、桜の舞う校舎で初めて出逢った時を思い返す。当時は怖い上級生としか印象がなく、まさかこんな風に彼との別離を惜しむ感情を抱くようになろうとは全くもって予期していなかった。時折クラスメイトに、どうして雲雀と仲が良いのかと尋ねられることがある。生徒はおろか一部教師までも彼を畏怖の対象としている所以は、綱吉自身も理解していた。己を貫き一切の迎合なく揺るぎない、その姿はきっと常人には共感しにくいのだろう。綱吉だって、勿論そちら側だ。けれど、近くにいると案外そんなことは気にしなくなるものだ。並んで廊下を歩いている時に感じる周りの視線もいつしかどうでもよくなった。誰かは言う、雲雀恭弥は異星人だ、と、コミュニケーションが取れないから。そんな風に思うのは君がその努力をしないだけだろう、と綱吉は腹立たしさを覚えたが、それでも別段反論もしなければ賛同もしない。黙っておく。

(雲雀さんが本当は優しいなんてことを知っているのは、俺だけでいい)

 親しくなったキッカケが何だったのか、実はよくわかっていない。いつの間にか、雲雀から話しかけられることが増えて、こうなっていた様な気がする。それでも入学式の翌日の朝、校舎で一番大きな桜の木の下に座る雲雀と目が合ったあの瞬間は、昨日のことのように思い出せた。ひらひらと舞う花弁の中に紛れる漆黒。その不釣り合いなコントラストがいやに印象的だったのかもしれない。その時は、それだけだった。始業開始初日早々寝坊して、綱吉もそんなどころではなかったのだ。次の日、昨日の寝坊を反省して早めに登校すればまだ人気も疎らな校舎内で、赤い腕章をつけた雲雀と出くわす。擦れ違いざまに「今日は寝坊しなかったんだ」と声が降ってきた。驚いて振り返るも、相手は答えなど求めていなったらしく、躊躇ない足取りでその背中が遠くなっていく。まるで未知との遭遇。異星人という意見に真っ向から否定できないのも、実際としてその経験があるからであって、そんな風に言われてるんですよ、と進言したこともあったが、予想通り期待通り、興味のないへぇという返事が返ってきたに過ぎなかった。

「××高校」
「…隣町の?」
「うん」

 輪唱する蝉の一匹が羽を休めたところで返された雲雀の単語に綱吉は思わず歩みを止めた。一人分となった足音に気付き、雲雀も数歩先で足を止め振り返る。首筋を汗が伝った。

「どうして、雲雀さんならもっと偏差値高い学校行けるじゃないですか」

 今、自分がどんな顔をしているのか綱吉はわからなかった。なぜわからないのかもわからなかった。雲雀が口にしたのは、あまりにも彼の学力に相応しくない学校。それこそ綱吉ですら頑張れば入学できそうな位だ。てっきり街の進学校を志望するのかと思っていた、それくらいの成績であることを綱吉は知っている。期待と恐怖が一緒くたになって心臓から血液とともに送り出された。

「そこなら綱吉も来れるでしょ」

 三歩先で差し出される手。何を言っているんだこの人は、そう思いもしたけれど汗ばむ手のひらを前へ伸ばす以外に思考は停止した。多分暑さのせいだ。繋いだ手は互いの体温が乗算し、殊更熱を生み出すが不快だなんて微塵にも感じなかった。相変わらず青空は目の前に広がっている。きっとこの空をいつまでも忘れないだろう。




(補習、明日からマジメに受けよう)












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140907




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