ただそれだけ

「なに、これ」

 訪問は突然だった。スーツに身を包んだ知人が久方ぶりの来訪を気にも止めず玄関の敷居を跨ぐ。数年来の付き合いだ、彼の自由奔放さには慣れているが、雲雀が顔を顰めたのは、その後ろから隠れるようにこちらを伺っている小さな少年の存在である。

「次期ボンゴレだ」
「なんで僕のところにつれてくるの」

 小学校低学年位であろうか。身長は目の前に立つリボーンの腰に僅か届かない程度だ。最低限の対人関係で生活している雲雀にとって、この様な幼子を近距離にすること自体、もう何年も経験していないことである。知人との会話でさえ、何日振りかに声を発するという行為だった。

「両親の元に置いてやれない可哀想な子だ」
「僕の知ったことじゃない」
「一ヶ月だ、一ヶ月経ってもまだどうしても嫌だっつーならムクロの奴のとこにでも持ってくことにするさ。ホラ、ツナ挨拶しろ」
「こ、んにちは!」

 控え目に揺れた琥珀色が、付け加えるように慌ててお辞儀をする。小さいながらによく出来た子だと感心はするが全くもって興味はなかった。


 居間の隅で居心地悪そうに正座している少年。居場所を取ってしまわないように出来るだけ体を縮めているようだった。平屋の日本家屋が物珍しいのか、時折部屋をぐるりと見回している。何となしにその様子を眺めていると、目が合った少年はすぐに視線を外し俯いてしまった。咎めやしないのに、そうは思いもするものの特別言葉にする必要性も感じず、雲雀は湯のみに手をかける。座卓にはもう一客置かれていた。ジュースなんて洒落たものはなく、果たして子供が飲むのかわからないまま煎茶を淹れてみたが、どうやら相当熱かったらしく初めの一口以来、口をつけずに様子を伺っている。沈黙が時間と並んで流れていった。事情も何も聞かずに、こんな話断るはずだった。人と関わることを極度に嫌う雲雀が、いくら幼子と言えど寝食を共にするなど、到底無理な話であった。それが孤児(みなしご)であろうとも。だが、不運なことに知人へは一つ仕事上での貸りがあり、それを盾に取られてしまったのだ。雲雀は首を横に振ることができなかった。勿論、縦にも振ってないのだが、知人は「Grazie.頼んだぞ」と少年を残し出て行ってしまったのだ。動物すら飼ったことのない雲雀は途方に暮れたが、取り合えず居間に上がらせ現在に至る。

「ねぇ」

話しかけれるとは思っていなかったのであろう、沈黙を破った雲雀の声に小さな肩を揺らした綱吉はすぐに傾聴の姿勢を見せるように、丸まった背を正した。

「僕は大抵部屋で本を書いてるから、邪魔さえしなければ、この家を好きに使ってくれて良い」

 無機物と違って、必要がないならはい捨てましょう、とはいかない。勝手に託されたとはいえ、それはこの少年の責任ではなく、せめても衣食住は保障してやらねばなるまい。祖父母から譲り受けたこの一軒家も、書斎と寝室くらいしか普段利用しておらず、部屋はいくつも所在無げに持て余されていた。生業としている執筆活動に支障さえ出なければ、一人くらい増えようと大きな変化もないだろう。たったの一ヶ月だ。きっちり一ヵ月後に迎えにこさせる約束を取り付ければいい。知人にツナ、と呼ばれていた少年は理解したことを示すように大きく数回頷いた。首、?げるんじゃないの。


 締切の迫る原稿が残っていた。時刻は丁度昼時だが、雲雀は食に対してあまり執着がない。空腹を感じれば時間に構わず外出し、適当に済ますのが常であった為、自宅の冷蔵庫には殆ど飲み物程度しか入っていない。具合を測りかねたので、お腹空いたらこれ使って、と一万円札を渡し、雲雀は書斎へと篭った。

 それからどのくらい経っただろうか。筆を走らせているとつい時間の感覚を失くしてしまう。そして全くもって小さな少年の存在も失念していたのであった。あぁ、そういえば、と格段罪悪感を感じることもなく、雲雀はお茶を取りに行くついでに居間を覗いてみる。すると、少年は居間ではなく、隣接する縁側で丸くなっていて、座卓には昼ごろに手渡したお札がそのままの姿で残されていた。

(まさか)

 ずっとここで動かずにいたのだろうか。もうとうに日も暮れている。唯一、変わっていたことといえば、先刻は一口口をつけただけの湯飲みのお茶がすべて飲み干されていることくらいだった。

「ちょっと」

 小さな肩を揺すると、重そうな瞼をゆっくり押し上げて、琥珀色の瞳が覗いた。まだ半分夢の中なのだろうか、身じろぎもせずじっと雲雀を見つめている。

「ごはん食べてないの」

 状況を察したのか、体を起こしながら遠慮がちに首を縦に振った。

「えっと…おなか、すいてな、」

 ぐぅ。続く言葉は腹部から届いた音に掻き消されてしまった。恥ずかしそうに俯く少年を前に、雲雀は少し反省する。そうか、まだ子供であった。知らない土地に連れて来られ、そこで好きにしろと言われても、どう好きにすればいいかわかる筈もない。外に出てしまえば道に迷い帰ってこれないかもしれない、けれどそんなことを雲雀に訴えられるような子ではない子を、この半日で雲雀も理解していた。寝癖のついた髪を梳いてやり、手を引いて立ち上がる。

「何が食べたい?」

 子供と手を繋いだことなんて、雲雀の生涯これが初めてであった。でも、何となくこの子にはそうしてあげないといけない気がして、痛くない程度に握り締める。その繋いだ手の少し下あたりから、控えめな声でハンバーグ、と聞こえてきた。





「おやすみ、なさい」

 パジャマに身を包んだ少年が、襖から少し顔を出して、机に向かう雲雀の背中に声を掛ける。雲雀が振り返り頷いてやれば、ちょっとだけ笑顔を見せ、襖は閉められた。彼の寝床には空いている和室を用意した。布団を敷きながら、何かあったら遠慮せず声を掛けるようにと釘を刺しておいた。何せ、他人の心情を測ることを得意としない雲雀にとっては、どんなことでも訴えてくれた方が幾分やりやすいのだ。少年――名を綱吉、というらしい。先刻、一緒に食べに行った洋食屋さんで、そう教えてくれた。ハンバーグはお気に召したのか、少しも残さず平らげてしまった。雲雀とて同じものを頼んでいるのに、これおいしいから、と一切れ分けてくれたから、本当だ、おいしいね、と同調したがそんな自分に少し可笑しくなった。こんな風に、他人に共感を示せる自分もいるものだと。

 廊下から、襖の閉まる音が聞こえた。一つ溜息を落とし、途中になってしまっていた原稿の続きに取り掛かる。こうして雲雀と綱吉の奇妙な生活が始まった。


 物書きになることを熱望していたわけではない。気の赴くままに筆を進め、気づいたらそうして作家になっていたのだ。煩わしい対人関係も必要ない、締め切りを守り、商品として世に送り出せる作品を提供できればそれで仕事としては完璧だ。雲雀はこの職を気に入っている。今手をつけている原稿もこの調子なら期日までには裕に間に合うだろう。一度筆を置き、体をほぐす。ふと時計を仰ぎ見れば丁度襖が閉まってから針が一周した頃であった。義理はないのだが、何となく気になってしまい、雲雀は腰を上げる。少し体を動かしたいと思っていたところだ。廊下の少し先の部屋、明かりは消えている。子供は寝付くのも早いと記憶していた、問題ないか、と部屋へ戻るため体を翻したその時、微かに声が聞こえた気がした。聞き間違いでなければそれは、泣き声だ。音を立てぬよう襖へ近づき、耳を欹てた。やはり、扉一枚隔てた向こうから、すすり泣く様な声がする。その次にはもう襖の取っ手に手が掛かっていた。部屋の真ん中の布団は中央が山を作っており、侵入者に気づいたのだろうか、途端声は止んでしまった。夜の静けさが部屋を支配する。雲雀はゆっくりと近づくと、おそらく頭があるであろうあたりに手を乗せ、自分でも驚くほどの優しい手つきで数回撫でてやった。

「怖いのかい」

 暫く動かなかった布団が、そうだ、と主張を示すように小さく揺れる。思い返せば雲雀も小さなときは、この家が怖かった。月明かりに照らされた障子にお化けが映っていたらどうしよう、掛け軸の水墨画が動き出すかもしれない。祖父母が同じ屋根の下にいるとわかっていても、よく布団を被って寝たものだった。今まさに目の前で丸くなっている綱吉が幼少の姿と重なり、妙な親近感と微笑ましさに漏れた笑みを誤魔化すように雲雀は布団をめくって、体を潜りこませた。涙に塗れる瞳の綱吉が不思議そうに布団から顔を出す。

「僕がいれば怖くないだろ。朝までいるから、さ、おやすみ」

 安心した表情を見せた綱吉が、寝息を漏らしたのは程なくしてからであった。ほら、子供は寝つきがいい。原稿はまた明日でいいや。






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140802
物書き雲雀とちび綱吉







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