求愛パラフレーズ
(言い換えること)


「好きです」


 二人きりの執務室、互いの呼吸以外には、綱吉が書類へペンを走らせる音が聞こえるだけだった。この耳障りのよいペン先の音が骸は堪らなく好きだ。来世はいっそペンでもいい。綱吉のその手で紙の上を滑るなんて、大層気持ちの良いことだと思う。彼の手のひらから体温が侵食し、きっと体が一つになったように感じるに違いない。
 そんな、居心地のよい空間を、自分の靴音で乱してしまうのは、気が引けたが、大きな机まで歩み寄り、冒頭の言葉を投げかけたのだ。これは、どう解釈しようにも、己の恋情を伝える単語に他ならない。相手と番いになることを望んで発するものである。綱吉は一瞬手を止め、ゆっくりと骸を仰ぎ見た。

「そっか」

 そうして、またペンを進ませる。一世一代の、とはよく言ったもので、こういった類の告白というものは、精神を酷く消耗するものだ。その一瞬で、勝者か敗者に二分されてしまう。天国と地獄が背中合わせの魔法の言葉。敢えて言及する必要もなく、六道骸は後者のレッテルを頂戴したわけだが、全くをもって落ち込んでいる様子はなかった。寧ろ小さく笑いを漏らして、その首を傾げるのだった。

「いい加減、答えを頂けませんか?」

 何十回、何百回も、骸はこの言葉を伝えてきた。その度、綱吉は簡単な相槌を返すだけだ。イエスもノーもない。答えを貰えなくても、それゆえ何千と繰り返そうと、骸にとってはその言葉の重量は少しも軽くなることはなかった。初めて伝えた好き、からひとつも欠けることなくその時分のことを覚えている。その始まりから一貫して、綱吉の態度は変わらない。そう言えば、あの日は雨が降っていた。梅雨は明けていたと思うのに、しとしとと雨が降っていた。まだ自分たちが中学生で、未完成な体躯を、一つ傘の下、肩を並べていた。なぜ、そんな状況となっていたのかは、曖昧にしか思い出せないが、おそらく下校時に傘を差していない綱吉に遭遇したのではないかと骸は記憶する(それが偶然であったか、必然であったかは、都合のいいことに憶えていない)送ると言ったのは自分の方だ。その時分は、互いのわだかまりは多少融解していたものの、味方でこそあれ友人と呼べる程の間柄ではなかった。もしかすると、二人きりなるのもそれが初めてだったかもしれない。事実に則して話をするならば、この時骸は綱吉へ恋情を抱いているとは露も思っていなかったのである。どうしてか、綱吉を前にすると心臓の辺りが落ち着かないわ、平生何をしてなくともふと気になるわ、彼が友人らと楽しげに話しているのを見ると邪魔をしてやりたくて仕方なくなる。日に日に狂っていく己の思考や体に、もはやマフィアという存在が憎すぎて精神がいかれたのかとすら考えた。だから、きっと、なんで傘持っていないんですか、とか、歩くの遅いです、とか何か憎まれ口を叩こうとしたんだろう。だが、それに反して口をついて出てきたのは、「好きです」という脈絡のない、突然すぎる恋の言葉だった。一瞬、思考は停止したがなぜかそれが、すとん、と胃に落ちてくるように、歪なパズルのピースが綺麗に嵌り合うように、骸はやっとしっくりきたのである。そうか、僕は君に恋をしていたんだ。
 隣の綱吉は、大きな目を更にまあるく見開いた。異なる歩幅に合わせてきたつもりではあるが、更に綱吉の歩みが小さくなり、一歩、二歩、三歩、と少しずつずれていく。濡れてしまわぬ様、その都度合わせてやった。ちょうど十歩目を数えたところで、「そっか」という小さな声が、雨音を潜って聞こえてきた。



 それから十余年。骸は「好きです」と言い続けたし、綱吉も「そっか」を繰り返した。無駄だと思ったことは一度もない。あの日の、まあるくなった綱吉の瞳が、骸の中で燻って止まないのだ。もし、綱吉が心から拒絶すれば、その時はやめようと思った。それでも、彼はいい、と言わなければ、嫌だ、とも言わない。であるから、骸は今日も囁く。きっと明日も、その次の朝も。綱吉は、変わった素振りも見せず再び手元の紙へと視線を戻した。また、心地よい音だけが室内を満たしていく。

(伝わっていないのだろうか?僕がこんなにも、あい、)


「あ」

 どうして忘れていたんだろう。今の今までこんなに大切な言葉を一度も口にしてこなかった。遅いだろうか、まだ口にしたことのない言葉。一番、大切な、ああ、どうして長いこと失念していたのであろうか、こんなに、ふさわしい言葉を!



「愛してます」


 不思議で仕方なかった。こんなこともあるもんだと、来世の笑い話にしようか。僕はその為に、また、君の傍に巡ってくると約束したい。それじゃあ、ペンに生まれ変わってしまったら駄目だ。君が紙となってくれるなら別だけれど、けれど僕は君の手に包まれなければ意味がないのだ。やはり、こうして君を抱きしめられる格好がいい。そうしたら、君は馬鹿だな、と笑ってくださいね。こんなにも盲目に生きてしまった僕を。
 大きな目が更にまあるく見開いた。そう、その瞳だ。胸の内でずっと呼吸をしていた、あの日の。大事に大事にしまっておいた、宝物。懐かしい雨の音が聞こえる気がした。肌に纏わりつく、雨と汗に濡れたシャツの感触も。手に取るように覚えているのだ、綱吉とのすべてを。



「俺もだよ、骸」

 その瞳に映る自分は何とまぁ情けない顔をしていたが、そんなことどうだってよかった。これ程までにシンプルなことだったのである。






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140722
昔に書いたものをリメイク







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