片恋アモローソ
(愛情に満ちて)

雲雀恭弥と沢田綱吉は恋仲である。これはファミリーの大多数が暗黙の了解と得ているところであった。アジトに揃っている時は、殆どの時間を共に過ごす、部屋は別にあるというのに同じベッドで眠る、デートとしか言いようのないお出掛けもザラではなかった。この様子なら、あの二人は恋人か?などとわざわざ口にするなんて野暮に思われた。綱吉の隣には雲雀、これが当たり前の光景になっていた。だから、事の真実を知る者は、旧知の仲である守護者たちとわずかの幹部のみであった。それが、十年来の雲雀の片恋だと言うことを。

「綱吉、そんなとこで寝るなら、こっちにおいで」

山のような書類を前に、頭はかくりかくりと前後に揺れていた。本来、サインを書くべき箇所にはミミズが踊っている様な字、一つ前にはミミズが踊り狂っている様な字、いくつか前まで辿ってもミミズの大群だった。声を掛けられた綱吉は、びくりと肩を震わせ、数回眠たそうな瞬きをした後、ペンを置き(ミミズ製造機ではなかった)覚束ない足取りで、ソファに腰掛けている雲雀の隣にやってきた。

「ひばりさぁん、俺、しょるいやんなきゃ、」
「赤ん坊にミミズをかけって言われたの?少し寝なよ、起こしてあげる」

言葉の終わりの方は、小さな寝息と重なり、宛てを失い宙へと放り出された。自分の肩に頭を乗せて、規則正しく呼吸する体がどうしようもなく愛しい。起こしてしまわないようにジャケットを脱ぎ、膝に掛けてやった。どうしてこうまでして彼に夢中になったのか、そのきっかけは雲雀自身でさえもはっきりと覚えていない。ただ、初めて会ったその日から気になっていたのは確かだ。弱いのに弱くない、そんな矛盾がどうやっても許せなかった。その弱さの強さはどこからくるのか、考えている内に、気づいた頃には綱吉を気に掛けていた。いつかその笑顔を可愛らしいと思う。自分が近寄ると少し怯えたように竦める肩も、揺れる瞳も抱きしめたくて仕方がなかった。確かに自分は小動物が好きだが、それらに抱く気持ちとは格段と異なっていることをとうとう雲雀も認めざるをえなかった。そして、雲雀の長い長い恋が始まったのだ。顧みれば実に果てしない道のりであった。初めこそ、自分は彼にとって恐怖の対象でしかなく、会話なんて二言三言続けば上出来、並んで歩けば酷い時にはお互いの間に人一人分の間が空いていた。雲雀の性格上、精神的に負荷がなかったと言えば嘘になる。いつ力尽くで攫っていってしまおうかと何度も考えたものだ。それでも、ゆっくりと綱吉との距離を縮めていった。おはよう、から始め、一緒に帰ろう、また明日、まで。果てしない道を一歩ずつ、地道に。そうした努力としか呼びようのない行いで、綱吉の隣に座る今日があるのだ。ここまで寄り添いあっているのなら、愛を告げてしまえばいいのに、誰もがそう思うだろう。しかし、雲雀自体その手の類に慣れていないこと、何分相手が鈍感の極みとも言えるであろう綱吉だということ(大事なところで発揮できない超直感)、あまりにも賭すものが大きくあと一歩踏み出せない彼をどうか許してやって欲しい。それ程、雲雀にとって、沢田綱吉は無二の存在なのである。それにしても全く起きる様子がない。けして寝心地の良い体勢ではないだろうに、小さくいびきまでかいている。慈しむような笑みを漏らして、雲雀は綱吉を抱え上げ、扉続きの寝室ヘと運んでいった。そっと、ふかふかの枕に頭を乗せてやれば少しだけ瞼が持ち上がる。

「ひばりさん、一緒にねよー」

いくらか呂律の回らない舌で、両腕を伸ばしてくる。この時、雲雀がどんな気持ちかも知らないで、まったくこの子はなんと罪深い。雲雀は諦めたように息を吐き出し、誘惑の腕の中に身を投じた。暫くして、ミミズの大行列を見つけた家庭教師が、殴り込みに来たのは言うまでもない。




「出張?」

ほふなんふぇふよー、と、綱吉はサンドイッチを口にしながら軽い返事をする。ある日の昼食時、大したことでもないような口振りで、それまでの話とは何の脈絡もなくそう言い出しだ。それがなんて返答なのかは簡単に汲み取れたが、その意味までは納得できず、雲雀は眉間に皺を刻む。

「なんか、俺が行かなきゃいけないみたいで、三ヶ月くらい」

三ヶ月って長いですよねー、ははー、と能天気に笑う綱吉に、思わず手にしていたフォークに力がこもる。長い、長い、長すぎる。この十年間、一週間と会わないことはなかった。ちょっとずつ縮めた距離がまた離れてしまわないよう、自分の存在が、彼の心の隅に追いやられてしまわぬよう、甲斐甲斐しく彼の傍に居続けたのだ。それが、突如、三ヶ月の空白を強いられる。思いが届いておらずとも、近くに呼吸を、体温を感じられていたからなんとか精神を保ってきた。その精神安定剤が、それ程の期間存在しないとなると、自分でもどうなってしまうかわからず、怖かった。彼の中の自分の濃度が薄くなってしまったら…考えたくもない。恋は誰しも、臆病者に変える。

「僕も行く」
「え!いいですよ!すんごい田舎らしいので雲雀さん来てもつまんないと思います!群れてるのは羊くらいらしいし!」

綱吉の精一杯の冗談であったのだろうが、雲雀はくすりともせず、部屋の空気は無情に少しの空気振動もなくなってしまった。目の前には射抜くような漆黒の瞳が、ただそこにあるだけ。時間が、止まったかと思った。いや、少なくとも雲雀の時間は止まっていた、止まって欲しいと願っていた。綱吉はこんな雲雀と対峙したことがなく、声を掛けようにも果たして何と発すればいいか、戸惑いに口をはくはくとさせるだけだった。言うべき事はたくさんあるのだろう。だが、言葉を供給する体の全ての機能が停止してしいる。雲雀にとっては一瞬だった。綱吉にしてみれば永久の様に感じられた。その真空空間を破ったのは、かちゃり、雲雀が手にしていたフォークを静かにテーブルへ置いた音。

「なんでわからないの?」
「ひば、」

その声には、悲しみとも絶望とも切望とも懇願とも取れる複雑な色が混じっていた。自分でも驚くくらい音のない足取りで、向かい合って座っていた綱吉へ近づくと、その華奢な腕を引っ張り無理やり椅子から立たせ、自身の方へと引き寄せた。あぁ、こんなに乱暴に扱ったのは、出会って間もない頃以来かもしれないな。

「君が、好きなの、三ヶ月も離れられない」

抵抗を許す隙間もなく、力任せに抱きしめた。案外、それはすんなりと、腕に収まる。らしくなく存在を主張する心臓の音が、綱吉に聞こえなければいい、そう願った。お互いの均衡が壊れることのないように、そうして守ってきた何かを、ついに己が手で壊してしまう時が来た。少しでも崩れてしまったのならいっそ、全て壊しにかかろう。胸に顔を埋める綱吉の顎に手をかけ、上を向かせる。間抜けに開けられたままの唇を塞いだ。




後悔先に立たず。先人というのはいかに偉大であるか、嫌でも思い知った。まさにその通り、ぐうの音も出ない。あの日、綱吉に膨れきった想いをぶつけ、唇まで奪い、何も言わず、何も見ず、部屋を後にしてから一週間後、綱吉は出張とやらに行ってしまった。勿論、言葉ひとつなく。何度も綱吉の部屋まで来ては、謝ろうとドアノブに手を掛けた。だが、その手がノブを捻ることはついぞ一度もなかった。逃げられたら?恐れられたら?正面きって嫌いだと言われてしまえば、立ち直れない自信があった。雲雀の十年間が重く足枷のように体を引っ張る。そして綱吉が片田舎へ向かったのを知ったのは、自称右腕からの報告だった。何となく二人の間に変化があったのを感じたのだろうか(そりゃそうだ、今まで飽きもせず四六時中一緒にいた)、ちょっとだけ言い辛そうにしていた彼の姿が、余計雲雀の心を抉った。憂さ晴らしに街に繰り出し、群れていたごろつきどもをはっ倒してみるも、気持ちは一グラムも軽くならなかった。いい大人が食事もままならず、ちょっとした任務で腕に流れ弾を受ける始末。情けない。いつから自分はこんなに弱くなってしまったのだろうか。今となっては強さなんていらない。一番欲しいものが手に入らないのなら、それ以上に必要なものなど、何一つないからだ。心が苦しい。胸の真ん中に、そんな感情を感じる機能がないことはわかっている。脳の信号に過ぎないのだと。それでも心臓の少しだけ上、その中央の辺りが痛くて痛くて仕方ないのだ。酷い時には眠りすら妨害する。任務など、すべきことのある場合はいい。僅かでも綱吉以外のことを考える余白を使うからだ。でも、空白の時間は、どうにも耐え切れない。この日は鬱屈した気持ちを紛らわせようと、屋敷の裏手にある小高い丘へやってきた。こんな風に気晴らしに体を動かせたのも、綱吉がいなくなってからやっと一ヶ月経った頃だった。柔らかな芝生へ寝そべり雲を眺める。気ままな彼らが、大空へ揺蕩っていた。うらやましい、とどこかで感じる。こんなに悲惨なことになるのなら、いっそ綱吉のことを好きになんてならない方が良かった?いいや、そんなことを雲雀は微塵も思わなかった。綱吉がいてくれたからこそ、今自分がここに在るのだと。そんな風にまで思えるようになったのは、過言ではなく綱吉のおかげ。隣にいるだけで、声を聞くだけで、温かな何かが雲雀の体内へ染み込み、その心を侵食していった。甘い砂糖が溶け出すみたいに。だから、彼の瞳は焦がしたキャラメルの色なんだろうか。甘くて甘くて時々苦い。どんな色であったか、鮮明に思い出せる。そう、今、まさに目の前にあるその色。――目の前?

「雲雀さん、見つけたっ…!」

いつの間にか空は、褐色の瞳に遮られていた。慌てて体を起こせば、彼の反応が少し遅れたのか、ふわりと毛先を掠めた。

「どこにもいなくて探し回っちゃいました」

その証明をするかの如く、両肩が小刻みに上下している。眉尻を下げ困ったように笑う一ヶ月ぶりの彼は、どこか懐かしくもあり、見慣れた顔でもあった。現実と飲み込めず、口も開けずにいれば、傍らに立つ綱吉が腕を引っ張る。これは自分にも立てということなのだろうか?抗いもせず、立ち上がれば今度は腕を引かれ、抱き締められた。なんだか、この光景、見たことある。

「一ヶ月、雲雀さんのいない生活して、わかりました。俺も雲雀さんがいないと駄目みたいです」

腕の中に収まった体は熱を帯びていた。依然と肩が上下しているのは、恐らく運動で乱れているだけではないだろう。皮膚を通して、相手の心音が微かに伝わってくる。それは、自分と同じ速度のリズム。

「仕事ではミスばっかして、大事な会談でも上の空になっちゃって、リボーンに怒られっぱなしでした」

雲雀に唇を攫われてから数日間、綱吉は夢の中で生きているような気持ちだった。雲雀が自分に対して恋情を抱いている、そんなこと信じられるはずもなくて、遠くに雲雀を見つけては、普段通り話し掛けにいこうとするも、唇の熱を思い出してしまい、それ以上体が動かなかった。そして逃げるように、出張へと向かった。近くにいなければ、気にすることもないだろうと踏んだのである。けれど手元の書類の文字は何だか外国語みたいに理解できないし、要人と会っても会話がちぐはぐになってしまった。あのキスのことが頭にこびりついて離れず、雲雀が隣にいないという現実が、寂しくてどうしようもできなかった。そうなって初めて、雲雀がいつも傍にいてくれたことに気づく。心の大部分を占めている存在にも。全てをお見通しだった家庭教師に蹴りを入れられ「ヒバリを連れて24時間以内に戻って来い」と車のキーと共に放り出されてしまった。このまま二ヶ月仕事にならないよりも、一日無駄にした方が明らかに生産的だという奸計だ。綱吉は慣れない田舎道を慎重に、それでも法定速度を時々破るくらいには、急いで戻ってきたのである。

「雲雀さんに好きって言われて、俺、あの時びっくりしちゃって…何も言えなくてごめんなさい。まさか、そんなこと…あるわけないって思ってて」

やっぱりなんだか今に似た状況を知っているが、その時と違うのは、綱吉の手が己の背に回り、不安げに服を掴んでいるところだ。

「…もう遅いかな、雲雀さん。あれから一ヶ月も経っちゃったけど、俺、やっと気づけたんです」

一層、服を握る手に力が込められたのがわかった。この数言がどれ程の勇気を必要とするか、雲雀には痛いくらいに理解できた。痛すぎて辛くなる。甘美な辛さ。もう衝動を抑えることができず、雲雀は綱吉を抱き締めた。そうしてあの時と同じように、けれど今度は優しく、彼の顎に指を掛け、こちらへ向かせる。

「遅いわけないでしょ。僕は十年も待ってたんだから」

優しく、愛情が零れ落ちるくらいの口付けを。あの時とは違う、幸せなキスだった。十年越しの、長い長い恋のご褒美。







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