★対岸に咲く花★

カインは眠りに就くセシルの手を握りながら、兵学校でセシルに出会った時のことを思い出していた。

カインは兵学校の中で、鬱屈した心を持て余していた。
主席の座や、剣技大会の優勝杯など、この学校の士官が望むものを、自分はやすやすと手に入れることができるだろう。
自分を取り巻く人間は、自分のことを口々に噂した。
その中には羨望や陰口が紛れ込んでいた。
王から恩寵を受けていること、位の高い生まれであること。
しかし、それが一体何になるというのだろう。
くだらないことで一喜一憂している同級生を見ていると、自分一人が取り残されているように思えてならなかった。
恐らく、自分は王に認められる騎士となることができるだろう。
栄誉や称賛、そういうものは自分の表層を滑り落ちて行くだけだ。
そうやって、何にも縛られず、何にも執着せずに生きて行くこと。
それがカインを絶対的に自由にしていた。
しかし、カインにとって、その自由は檻のようにも感じられた。
その檻の中で、自分の人生な何の結実も見ることなく、終わって行くのだろう。

セシルの方でも、兵学校での生活は自分を通り過ぎて行くものに過ぎないように感じていた。
両親が亡くなり、兄と二人、取り残されてしまった時。
そして、世間の誰にも、もちろん兄も含めて、誰に頼ることも無く一人で生き延びようと決意した時、セシルの中では何かが終わってしまったように思えていた。
兄のことはもちろん大切だった。
しかし、生きて行く目的は別のように思えた。
兄は家を守っていかなければならない。
それには家庭を築く必要がある。
そうしたら、自分は家から出て行かなければならない。
当然のことだ。
自分も一端の男子なのだから、生活していくこと位、一人でできるだろう。
しかし、そうやって生きて行くことに何か意味があるのだろうか。

そういう中で二人は出会って、お互いを見つめていた。
カインは自分を称賛するセシルを見た。
自分を褒めるような口をきき、褒めた分以上に憎しみを向けてくる他の士官と同じだと思っていた。
しかし、セシルは全く別な方向を向いていた。
カインを見ているように見えて、その瞳は何も映してはいなかった。
どこまでも澄んでいるその瞳は、同時に、どこまでも空虚だった。

セシルもカインを見つめた。
苛烈な自意識で自分を律しているカイン。
至高の竜騎士になるという目標を掲げている。
今まで兄の事ばかり考え、兄のために生きていたセシルにとって、自分の目標のため、自分のためだけに生きて死ぬことのできるカインの姿は鮮烈だった。

二人は初めて会った時、決して視線が交わることはないだろうと思った。
全く別の性質に生まれ付いていたからだ。
しかし、同じ場所で生活をして、気が付いた。
幼くして両親を失った二人。
そして、自立しようともがいていること。
もがけばもがくほど、自分の存在が取るに足らないものだと思える。
このバロンの風景の中に溶け込んで、そのまま消えてしまうような考えに陥ることがある。
しかし、バロンは自分たちを失ってさえ、存在し続けるのだろう。
何事も無かったかのように。
生い立ちの似ている二人は、お互いの考えていることを理解することができた。
二人が向かい合って立ち、お互いを見つめる時。
それはまるで、鏡に映した自分の姿を見ているように思えるのだった。

相手の中に、何か恐ろしいもの、決して埋めることのできない空洞があることがはっきりと分かった。
その空洞に手を差し入れて触れてみたい欲求に駆られた。
もし、それに触れることができたなら、自分の輪郭を確認できるように思えた。
鏡像に触れること、それは自分自身に触れることと同じことだった。
今にも崩れて粉になり、空に舞って消えてしまいそうな自分が、未だにその輪郭を留めていることを確かめたかった。

その手を取り合うことができたのなら、自分の中にわだかまる倦怠の正体を見極められる気がしていた。
その正体を掴むことができないとしても、二人で一緒なら、闇雲に未来を駆け抜けることができるように思えた。
例えその先に何も無かったとしても、全力でかけぬけて、力尽きたのなら、それはそれで立派な生涯だったと胸を張って言えるだろう。
向かい合う二人は頬笑み合った。


しかし、ヴァンパイアとなってからは、そんな気楽な考えは何の慰めにもならなくなった。
最早カインにとって、未来は未知ではなくなったからだ。
不死によって、自分の行く先を完全に見通すことができた。
それは完璧な闇だった。
この世で得ることのできる勝利は、カインにとって、何の意味も成さなくなった。

セシルとは全く別なものになった時、カインは、セシルの空洞の正体が分かった。
それは愛だった。
自分とセシルに欠けているもの、それは愛だった。
そして、それをどうしたら埋めることができるのかも、カインは理解した。
ヴァンパイアとなった自分には決して手に入れられないもの。
しかし、人間のセシルだったら、それを手に入れることはできる。
未知へ向かって歩いていくこと。
その中でこそ、人間は何かを手に入れることができる。
カインには、セシルのその穴を埋める手伝いをしてやることもできた。

しかし、自分の鏡像だと思っていたセシルが、急に全く違うものになってしまったことに耐えることができなかった。
セシルを光へ導くこともできたが、永遠の闇の中に貶めることもできた。
カインをヴァンパイアにしたセオドールは、カインがセシルを仲間に引き入れるのを息を潜めて見守っていた。
自分のできないことを、カインにやらせるために。
カインはその焦れた視線に気づいていた。
カインは長い逡巡の末、セシルを闇に引き入れることに決めた。
―やってやるさ。そこで、指を咥えて見ていろ、腰ぬけが―
セシルの首筋に牙を突き立てる。
その様子をセオドールに見せ付けてやった。
天使殺しの瞬間を。

セシルの血、精気がカインの体に流れ込む。
束の間、カインは体が満たされるのを感じた。
しかし、それはすぐに去ってしまった。
残されたのは、永久に埋まらない闇を抱える体と、同じように未来を失ったセシルの冷たい体だけだった。

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